戦前(昭和14年デヴィユー)からの歌手だったが、戦後もヒット曲に恵まれ多くのファンが居た。
イワン・アサノヴィッチの好きな曲は、「大利根月夜」と「かえり船」だ。
二次会のカラオケでは必ずといってもいいほど歌った二曲だった。
ヴァイブレーションの効いた、あの嗄(しゃが)れ声で歌われる曲には、哀愁が漂っていた。
曲自体も、剣豪でありながら華々しい世の中から外れた人間(平手造酒)や、敗戦後慌ただしい日本に向けてヒッソリと帰国せざるを得なかった大陸からの帰還者たちの心境を踏まえたもので、哀調切々たるものがあった。
戦前のステージでは軍部の検閲があり、『お前の歌は軟弱だ。』と弾圧的な暴言を吐かれ、憤然と『なら、東京では歌いません。』と言って大阪に移ってしまったそうだ。
デイック・ミネと言い、軍部支配の世の中に抗した人間がここにも居た事に安心する。
そんなこととはイワン・アサノヴィッチは一切識らなかったが、手向けの気持ちもあって1万円をはたいて、CD5枚組特集を購入した。
曲の中には、戦前戦後にヒットした歌謡曲をカバーしたものも在った。
気になる一曲が在った。それは何と言っても「女の階級」だった。
原曲はハイテンポの、いわゆる古賀政男メロデイーである。まさに、「丘をこえて」ばりの曲であり音程が高い。
イントロを聴いただけで、田端義夫には合わない、もっと言えば彼には歌えない曲だと直感した。
第一小節に突入した!
そこには普段の田端義夫とは思えない、ハイテンポ・高いキーを使いこなす田端義夫が居たのである!
ちょっと、鼻に抜けるが決して嗄れてはいない、甘い高音程の符を見事に歌いきっていた。さすがプロである。名曲の一つになった。