天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2013初夏・北欧バルト海紀行 #029:さらばエストニア、また来る日まで

2013-06-23 | 旅行

#028:旅先での食事事情からの続き

2013年5月3日

今日はいよいよ、エストニアの地を離れます。
早朝5時にタリン空港へ向かい、オランダのアムステルダム行き便にチェックイン。

搭乗ゲートへと向かう通路に、こんな写真展示コーナーがありました。

これまでにタリン空港を訪れたセレブリティ・有名人たちの記念写真集のようです。
国際的に有名な政治家や文化人、スポーツ選手のタリン空港でのスナップ写真が並んでいます。

スポーツ選手のコーナーには、この人の姿も。

大相撲の関脇、把瑠都 関。故郷エストニアに帰省した時のスナップでしょうか。
この後の平成25年五月場所では残念ながら7日目の稀勢の里 との取り組みで敗れた際に左膝を傷めてしまい翌日から休場となってしまいましたが…
恵まれた身体を持つ豪快な力士ですので、是非とも今後復活してエストニア人の大和魂を見せて欲しいところです。

タリン空港は、エストニアの首都の空の玄関である国際空港ですが、ターミナルビルはこじんまりとしていて日本の地方都市の空港のようです。
就航している航空機もパスポートチェック免除の「シェンゲン協定」が適用される欧州各国へと向かう便が主体なので、出国審査場も見当たりません。


フランクフルトかミュンヘンへと向かうルフトハンザドイツ航空機が駐機していました。
そう言えば、ベルリンからワルシャワへと向かう国際特急列車「ベルリン-ワルシャワ-エクスプレス」号のルートを将来的に延長する形で、ベルリンからワルシャワ、リトアニアのヴィリニュス、ラトビアのリガを経由してエストニアのタリンまでを高速列車で直結するという気宇壮大としか言いようのない計画(その名もRail Baltica計画!)も検討されてはいるようなのですが…
タリン駅にベルリン中央駅から直通の国際高速列車が乗り入れるのは、いつの日になることやら。


これが、今から乗る飛行機。
エストニアに来る時も乗ったエストニアン・エア(エストニア航空)のCRJ900、KLMオランダ航空2833便とのコードシェア便であるエストニア航空0173便です。




タリン空港を午前6時45分に飛び立ったCRJ900は、名残惜しいタリンの街並みを眼下に眺めながらバルト海に沿って南下していきます。


さらばエストニア、また来る日まで!




バルト海からスカンジナビア半島の南端、デンマークの上空を横切って、約2時間半でアムステルダム・スキポール空港に到着。
途中で東ヨーロッパ時間から中央ヨーロッパ時間への時差も飛び越えているので、朝8時にアムステルダムに降り立ちました。

スキポール空港からは日本の福岡へと飛ぶKLMオランダ航空869便に乗り継ぎますが、KLM869便の搭乗開始時刻は午後1時40分なので乗り継ぎ待ち時間が5時間以上あります。
今日はいい天気だし、重くてかさばるトランクはタリン空港でチェックインする際に福岡まで直通の預け入れ荷物にしてしまったので手ぶらで身軽です。

…旅の最後に、これからちょっとアムステルダムの街まで遊びに行きましょう!

#030:オランダ・アムステルダム街歩き 静かな運河と混沌の路地裏の散歩に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #026:エストニア・タリン街歩き 旧市街路地裏散歩

2013-06-19 | 旅行

#025:Ballet Matinee エストニア国立オペラ劇場“Rahvusooper Estonia”からの続き



午後。
エストニア国立オペラ劇場から、再びタリン旧市街に戻って来ました。
これから夕刻まで、旧市街を散策して過ごすことにします。

旧市街には、たくさんの入り組んだ迷路のような、石畳の小路の路地裏があります。




白昼夢のように中世から時が止まったままの、こんな路地裏をあてもなく彷徨い歩いてみましょう。




路地裏の先に、こんなお店を見つけました。ギャラリーでしょうか。
Sumi-eとは勿論、日本の墨絵のことですね。
軒先に提げられた円盤状の物は、そこが何の店なのか誰でも一目でわかるよう工夫された国際交易都市タリンならではの看板…だと思うのですが、この看板の意匠は何を表してるのかちょっとわかり難いような(笑)


この看板はわかりやすいですね。


もっと立体的でリアルな看板も発見。
お店の人のこだわりが覗えます。


これは寸胴鍋かなぁ?
枠から外して洗えば、そのまま実際に鍋として使えそう。


王冠をかぶった、ねじれプレッツェル?うずまき唐草の支柱もいい感じです。

看板ではなく、国旗を誇らしげに掲揚している建物もあります。

青地に金十字の旗と紋章を掲げたスウェーデン大使館。
タリン旧市街には、世界各国の大使館も集まっているようです。スウェーデン大使館以外にもあちこちで、それぞれの国旗を掲げた大使館を見かけました。

そして勿論、日の丸を掲げた我が在エストニア日本国大使館も…

…いまいち構図が良くなかったので、タリン旧市街に翻る日の丸の写真は撮りませんでしたが、そのかわりこんな素敵なものを見つけました。



日本大使館の前庭には、日本とエストニアの友好を願う桜が植えられていました。
あいにく、冷涼なバルト海地方ではまだこの時期でも桜の花が咲くには早すぎたようですが、きっともうすぐエストニアの遅い春を彩る友好の桜が美しく咲くんでしょうね。
桜の下の東屋では、花見の準備と思しき作業も進められていますよ。

ああ、いつか僕もタリンで花見がしたいなぁ!

ちなみに日本大使館は旧市街の山の手、トームペアの丘の「台所を覗く塔」のすぐ隣にあります。
「台所を覗く塔」からは日本大使館の厨房も覗けるかもしれません…いやまさか(笑)


そしてこちらが、トームペアの丘に建つトームペア城です!
トームペア城の原型は13世紀頃から造られていたそうですが、現存するのは18世紀後半に女帝エカテリーナ2世の命により建てられたバロック様式の宮殿で、帝政ロシア時代は知事公館として、そして現在はエストニア共和国の国会議事堂として使われています。
トームペア城は今でも、エストニアの政治の中枢として機能しているのですね。

昔も今もこの国の表舞台として、観光客から外交官まで世界中から人々が訪れ交流するタリン旧市街。
今もなおバルト海の潮風にのってハンザ同盟都市の自由の薫りが強く漂う、素敵な街歩きを満喫しました。
そろそろ、この街を離れる時間です。名残惜しいのですが…

ホテルに戻り、荷物を受け取ってから旧市街出口の城門へと向かいます。


旧市街の街外れに建つ、可愛らしい色違いの三つ子の建物が見送ってくれました。
その名も「三姉妹」と呼ばれる14世紀の商館で、現在はお洒落な高級ホテルになっているそうです。

「三姉妹」の先はもう沿岸大門(スール・ランナ門)です。
3日前から、この城門を出たり入ったりしていましたが、とうとうこれで最後。沿岸大門を出てタリン旧市街を去ります。



沿岸大門を出ると、お馴染み「太っちょマルガレータの塔」に別れの挨拶です。

さようなら、タリン旧市街。必ず、また来るよ!

#027:エストニア・タリン郊外の駅と近郊電車に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #024:エストニア・タリン街歩き 朝の旧市街散歩、教会巡り

2013-06-16 | 旅行

#023:エストニア・タリン街歩き 真夜中の旧市街を彷徨うからの続き

2013年5月2日

今日は一日中タリンに滞在します。ホテルに荷物を預けて、朝から旧市街を歩きましょう。
今回の旅を始めてエストニアに入国してからもう何日も過ぎましたが、タリンにはほんの少しの時間滞在しただけですぐに次の目的地、タルトゥやヘルシンキに移動していたので、一日じっくりとタリン旧市街を眺めるのはこれが初めてです。


先ずは、ホテルのお隣にそびえる聖オラフ教会(オレヴィステ教会)。
昨日の夕方にも尖塔を外から眺めましたが、今日は聖堂の中に入ってみます。


祭壇には大きなキリストの画があるだけで、とてもシンプル。


パイプオルガンとシャンデリア。
白い壁と天井が印象的で、外観同様にとてもすっきりとした聖堂内です。
それにしても、尖塔が元世界一高い建築物だっただけあって、聖堂も天井がとても高いですね。

聖オラフ教会を後にして、ライ(Lai)通りを旧市街中心部のラエコヤ広場方面に進んで行きます。


ラエコヤ広場の近くでピック(Pikk)通りに抜けると、壁に大時計が埋め込まれたゴシック様式の教会があります。
聖霊教会です。
この時計、1684年製だそうですが、どことなくプラハの天文時計「orloj(オルロイ)」に雰囲気が似ています。
タリンのオルロイ、といったところでしょうか。

そのままラエコヤ広場を突っ切り、どんどん進んで行くと坂道となります。
タリン旧市街の南西側はトームペアの丘と呼ばれる丘陵地となっていて、ここには城が築かれています。
3日前、タルトゥから列車でタリン駅に到着した時に駅前に見えていたのが、このトームペアの丘ですね。


トームペアの丘には、城と向かい合うようにして玉ねぎ頭のドームを持つロシア正教の教会が建っています。
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂です。
このロシア正教教会が建てられたのは、帝政ロシアの消滅する僅か十数年前のこと。
当時、帝政ロシアへの反抗意識と民族運動が高まりつつあったエストニアに対して、最後の睨みを効かせたいという意図があったのでしょう。

トームペア城とエストニアの人々を威圧するかのように、帝政ロシアの支配とロシア皇帝の権威の象徴として、豪華絢爛たる威容を誇るこのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂。
その後は幾度も取り壊そうという意見があがりますが、ロシア系住民の反対運動もあって命を繋ぎ、現在は民族対立の歴史を越えて建築学上非常に価値のある傑作として評価されるようになったそうです。

恩讐の彼方にあって、平和なタリンを見守るという素晴らしい役目を得たアレクサンドル・ネフスキー大聖堂。
聖堂内部もとても美しいイコンで飾られており、また丁度僕が訪れた時間は朝の礼拝が行われていて荘重で感動的な雰囲気が漂っていましたが、当然ながら異教徒が礼拝の様子を撮影するのは遠慮しました。


こちらはアレクサンドル・ネフスキー大聖堂からトームペアの丘を少し下ったところにある、聖ニコラス教会
ドイツ商人たちの多く住んでいた住宅地の中にあります。
聖ニコラス教会の聖堂内は現在では博物館とコンサートホールになっているようです。


聖ニコラス教会から再びトームペアの丘の方角へと向かう坂道を登ると、「太っちょマルガレータの塔」をスリムにして引き伸ばしたような高い塔があります。
15世紀後期に、トームペアの丘と城を守るために建てられたこの塔、「台所を覗く塔」と呼ばれています。
(タリンでは古い塔に妙な渾名を付けるのが流行ってたのかなぁ…(笑))
実際にこの塔に詰めていた兵士が、ふざけて近所の家の台所を覗き見していたのでいつしかこう呼ばれうようになったそうですが、イヴァン雷帝率いるロシア軍が襲来した際には塔の上層部を砲撃で吹き飛ばされ、今でも幾つもの砲弾が壁に埋まったままになっているとか。
呑気な渾名のわりには、激戦を闘い抜けてきたんですね。


路地の向こうに見える尖塔は、聖マリア大聖堂
トームペアの丘で最も標高の高い場所にあり、また西暦1233年以前からこの地に存在していたことが確認されているそうなので、事実上エストニアで最古の教会ということになります。
ちなみにこの聖マリア大聖堂、地元では単に「大聖堂」(トームキリク)と呼ばれていて、これがトームペアの丘の語源になっているそうです。

標高の高い聖マリア大聖堂近くの路地裏には、いくつかの展望スポットがあります。
ここからはタリンの旧市街と、その向こうに広がる新市街、さらにはバルト海までもを一望することが出来ます。
トームペアの丘からの眺めを、大きなパノラマ写真で是非ご覧下さい。


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そろそろ、トームペアの丘を降りて下町に向かいましょう。


トームペア城の裏手を通る、谷底のような坂道を下って行きます。


ラエコヤ広場まで戻って来ました。
昨夜も真夜中まで賑やかでしたが、昼間も賑わっていますね。


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タルトゥのラエコヤ広場の市庁舎は現役でしたが、タリンのラエコヤ広場の市庁舎は既に引退していて現在はコンサートホールや資料館として使われています。
教会のような旧市庁舎のバロック様式の尖塔の裏に廻って、昨日確認した道を通って新市街へと向かいます。

もうすぐお昼。
今日はこれから、新市街にあるエストニア国立オペラ劇場(Rahvusooper Estonia)でバレエのマチネ公演を観るのです。

#025:Ballet Matinee エストニア国立オペラ劇場“Rahvusooper Estonia”に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #023:エストニア・タリン街歩き 真夜中の旧市街を彷徨う

2013-06-12 | 旅行
vaimu tänav


#022:エストニア・タリンのスーパーマーケットで寿司を買ってみたからの続き


およそ千年に及ぶ長い歴史を持ち、バルト海最北のハンザ同盟都市 として繁栄したタリン
世界遺産にも登録されている旧市街は、中世以来この街で暮らしていたハンザ同盟のドイツ商人たちの影響が今も色濃く残り、「ドイツよりもドイツらしい」と讃えられています。

タリンはまた、歴史に翻弄された都市でもあります。
ハンザ同盟以降、スウェーデンや帝政ロシアの支配下に置かれ、20世紀以降はエストニア独立からナチスドイツとソビエト連邦による占領を経験し、第二次大戦後は長らくエストニア・ソビエト社会主義共和国の首都となりました。
ソ連邦時代はタリンにもソ連の軍事関連施設などが置かれていたようで、当然ながら“西側諸国”の外国人が自由に訪れることが出来る場所では無かったのです。

しかしながら、抑圧が長く続いた社会主義体制下にあったタリンの旧市街は中世当時からの姿をそのまま残して変わることなく、まるでタイムカプセルのように生き永らえました。
この美しい中世の古都が再び自由な世界に開かれたのは、バルト三国がソ連からの独立を果たした1991年のことです。


そんな歴史の幾星霜が折り重なる、真夜中のタリン旧市街を、少し彷徨い歩いてみましょう。
夜の闇の中に沈んだ街角は、旅行者にも何かを語りかけてくれるかもしれません。
この街の長い長い記憶と古くからの物語を、感じることが出来るかもしれません。




昼間は観光客が行き交いよそ行きの顔をしていた路地も、夜にはその真実の姿を見せます。


石門の向こうに切り取られた箱庭にブルーモーメントの夜空と、三角屋根の塔と星が一つ。
深夜のタリンに出現した、稲垣足穂の「一千一秒物語」 の世界…

旧市街のメインストリート、ピック(Pikk)通りからは、分かれて建物の間に入る横丁の路地が幾つもあります。
その中でもいわくありげなのが、旧市街の下町地区のほぼ真ん中を通るこのvaimu通り



…vaimu(ヴァイム)とは、エストニア語で「幽霊」。
そう、この道の名は何と幽霊通りなのです。
言い伝えによれば17世紀に、ここでオランダ商人による妻の殺害事件があり、
以来この道では夜な夜な不気味な足音や物音が聞こえてくるとか、こないとか…


…千年の歴史を持つ街なのだから、怪談話や幽霊通りの一つや二つはあっても可笑しくありませんね。

でもやっぱり怖いから、薄暗いvaimu通りではなくて街灯の点っている明るい大通りを歩いて行きます(笑)





つるべ井戸のある広場に出ました。
この井戸にも、水の精が住んでいるという伝説があるそうです。でも、今は蓋をされて使われていないみたいですね。
井戸に閉じ込められた水の精はどうなってしまったのかな…?


段々人通りが多くなって来ました。旧市街の中心部が近いようです。


そしてここが、旧市街の中心。ラエコヤ広場です。
エストニア第二の都市タルトゥにもラエコヤ広場がありましたが、どうやらラエコヤとはエストニア語で市庁舎のことのようです。
美しくライトアップされた市庁舎の周囲に広がる広場は真夜中だというのに観光客で大賑わい。
オープンテラスのカフェで一杯やってる人も多いようです。皆さん元気だねぇ…


↑サムネイルをクリックすると大きな画像が開きます↑


夜明けまで盛り上がっていそうなラエコヤ広場を後にして、そろそろ帰りましょう。



路地を一本入ると、すぐに辺りは暗闇と静けさに包まれます。


ホテルはどっちだったっけ…
迷っちゃったみたい。

適当に歩き回ることにします。
何、タリン旧市街は全長1キロ程の小さな区画。彷徨い歩いていれば、いつかホテルに行き着く筈…




何となく通り過ぎた薄暗い路地で見つけた、僕と同い年のマンホールの蓋。

そして、ふと路地の住所板に目をやると…


「vaimu通り…何てこった。ここは、幽霊通りじゃないか…!」

この時はさすがに、背筋が寒くなりました。
さっきは避けて通った幽霊通りに、結局迷い込むなんて…ひょっとして、幽霊に呼ばれたかな?まさかね…




でも、幽霊通りを出たところはホテルに続くLai通りでした。尖塔がライトアップされた聖オラフ教会が見えます。
「きっと、幽霊が道案内してくれたんだな。親切な人じゃないか、オランダ商人の奥さんは、ははは…」


ホテルに辿り着いた時には、もう午前1時を回っていました。

あの細長い部屋に戻ったら、シャワーを浴びてさっさと寝てしまいましょう。
初夏のエストニアの短い夜は、あっという間に明けてしまうでしょうから…
それに…

vaimu通りから誰かが着いてきてたら、困るからね…

#024:エストニア・タリン街歩き 朝の旧市街散歩、教会巡りに続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #020:ヘルシンキ→タリン 快晴の午後のバルト海ショートクルーズ

2013-06-10 | 旅行

#019:フィンランド・ヘルシンキ街歩き 港の市場とウスペンスキー大聖堂からの続き

午後4時半、ヘルシンキ港西ターミナルから出航。再びバルト海を渡って、エストニアのタリンへ戻ります。




ヘルシンキの港と街がだんだん遠ざかっていきます。
やっぱり、わずか約28時間の滞在では物足りなさ過ぎましたね。素敵な街でした。







タリンへと向かう船は、昨日も乗ったタリンクシリヤライン社の大型豪華フェリー「スーパースター」です。
今日のバルト海は本当にきれいに澄み切ったド快晴。時刻は既に午後5時を回ろうとしていますが、陽はまだ高くて真昼のようです。
海風は少し冷たいですが、オープンデッキ甲板で太陽の日差しを浴びながら青空と海を眺めて過ごす、最高のショートクルーズになりました。



波穏やかなバルト海を滑るように船は進み、気が付けばもう行く手にはエストニアの大地が近づいています。
帰りもあっという間の、タリンまで2時間の船旅です。


青空を背に、天を突いてそびえ立つタリンのランドマーク、タリンテレビ塔が出迎えてくれました。


港の入り口の水路で、タリンを出港してヘルシンキへと向かう船とすれ違いました。
タリンクシリヤライン社のライバル、ヴァイキングライン社の「ヴァイキング XPRS」です。
「ヴァイキング XPRS」も、「スーパースター」と同じくらい大きな船です。こんな大型船がひっきりなしに行き交っているのだから、タリンとヘルシンキとは本当に交流が盛んで経済的にもしっかりと結びついているという事がわかりますね。


こちらはタリン港に係留されたままの改修中の「イザベル」です。
ヴァイキングライン社からタリンクシリヤライン社に移籍してきた「イザベル」、よく見ると船体色の塗り分けパターンが「ヴァイキング XPRS」とほとんど同じで、ロゴの部分だけTALLINKに書き換えているようです。




午後6時半、「スーパースター」は無事にタリン港Dターミナルに接岸しました。
すぐに折り返しヘルシンキに向かって出航する準備を慌ただしく始めた「スーパースター」に別れを告げて、明るい日差しの降り注ぐ下をタリンの街へと歩きます。

ただいま!また帰ってきたよ、タリン。

#021:エストニア・タリン街歩き 遅い午後の旧市街に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #019:フィンランド・ヘルシンキ街歩き 港の市場とウスペンスキー大聖堂

2013-06-08 | 旅行

#018:フィンランド・ヘルシンキ中央駅で国際列車を眺めるからの続き

ヘルシンキ中央駅からトラム3B/3T系統に乗って、Kauppatori(カウッパトリ)という停留所で下車。
ここは港に面した市場で、面白いから是非行ってみるようにとフィンランド通のTwitter宇宙クラスタ・日蝕貧乏知恵者猫さんからも勧められていた場所でした。


うわ~、賑やかですねぇ!
青空の下にテントの屋台が並び、地元のヘルシンキっ子たちや観光客が大勢集まっていて楽しい雰囲気の市場です!


食べ物の屋台が特に多くて、メニューもバラエティ豊か。
きっと「フィンランドのB級グルメ」的なものを食べられるんでしょうね。

それから、集まっている人たちの中に、揃いの白い水兵さんの帽子のようなものをかぶった人が目立ちますね。
これも日蝕貧乏知恵者猫さんに教えてもらったのですが、この日5月1日はフィンランドではVappu(ヴァップ) と言って春の訪れを祝う学生達のお祭りの日だったそうです。白い帽子は学生帽で、ヴァップのシンボルみたいなもののようですね。
学生ばかりでなくヘルシンキ中の人がこのヴァップを楽しんでいるようで、若い連中からおじさんおばさん、そしてお年寄りまで思い思いに学生帽をかぶって街中でピクニックをしたりして楽しんでいて、とても大らかで愉快なお祭りなんですね!

ぶらぶら歩くだけでも楽しいカウパットリを通り抜けて先に進むと、港を望む丘の上に重厚な赤レンガの建物が見えてきました。


東方正教会の大聖堂、ウスペンスキー大聖堂です!
昨日見たヘルシンキ大聖堂と並ぶ、ヘルシンキを代表する大聖堂ですが、
ヘルシンキ大聖堂が優美な白亜の建物なのに対して、このウスペンスキー大聖堂はがっちりと堅牢ないかにもロシア風の建築となっており、とても対照的です。

ウスペンスキー大聖堂の中に入ってみましょう。


高いドームの天井から提げられた巨大なシャンデリアと、綺羅びやかなイコンの壁。
典型的な東方正教会の佇まいですが、これもシンプルで静謐だったヘルシンキ大聖堂の内部と好対照を為しています。




帰り際、大聖堂の建屋の裏に回ると、壁に埋め込まれた銘板に気が付きました。
これは帝政ロシアの皇帝アレクサンドル2世を祝福したものです。
この東方正教会の大聖堂が建設された1860年代当時、この地はフィンランド大公国としてロシア皇帝に統治されていたのですね。
ウスペンスキー大聖堂は、ロシア皇帝アレクサンドル2世のフィンランドへの置き土産といったものなのかも知れません。



…またいつか、もう一度この街を訪れたい。
そう祈って、大聖堂を後にします。

ホテルに戻り、預けていた荷物をピックアップする前に、
少しだけ時間があったので国立オペラ劇場裏手の湖の畔に広がる公園を散策しました。
湖の向こう岸に、先程乗車したヘルシンキ近郊線の電車が走っていくのが見えます。



行き交う電車を見ていたら、何故だかとても寂しくなってきました。
ほんの少しだけ街に溶け込んで体感できたヘルシンキの日常と、もう別れなくてはならない…
旅情と共に、そんなせつなさを感じる瞬間でした。

さあ、もう港へ行く時間です。
さようならヘルシンキ。この次はもっとゆっくりと、この北欧の街を歩きたいな…

#020:ヘルシンキ→タリン 快晴の午後のバルト海ショートクルーズに続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #015:フィンランド・ヘルシンキ街歩き トラムに乗って大聖堂へ

2013-05-28 | 旅行

#014:タリン→ヘルシンキ 豪華フェリーでバルト海ショートクルーズからの続き


タリンからの船が発着するヘルシンキ港の西ターミナルは、南に向かって海に面したヘルシンキの街外れに位置します。
ここから市街地への移動はトラム(路面電車)が便利。
港のターミナルの建物を出ると、目の前がそのままトラム乗り場です。


さて先ずは、トラムのチケットを買わないと…
でも、船を降りた乗客の多くがトラムを利用するにも関わらず、チケット売り場はプラットホーム上にある自動券売機1台のみ。
当然、大勢の人が自動券売機に並びますが、この券売機が慣れていないと妙に使い難い代物でなかなかお客が捌けません。チケット購入の行列が進むのを待っている間に、市街地方面行きのトラムが3本も発車…

結局、随分待って、そして僕も他の人を待たせて(笑)、どうにか2日間市内エリアの公共交通乗り放題パスを購入。
さすが物価が世界一高いと言われるフィンランド、2日間乗り放題だと12ユーロもします。ちなみにシングルチケット(1回のみの乗車券)は2.2ユーロなので、2日間で6回以上乗り降りすれば元が取れる計算になります。

さあ、乗り放題パスも手に入れました。早速、トラムに乗ってヘルシンキの街に出発です!


ヘルシンキ港西ターミナル前から乗車したトラム9系統から、途中の停留所でトラム3B/3T系統に乗り換えます。
乗り換え停留所で降りてトラム3B/3T系統を待っていると、何とトラムの停留所に路線バスが乗り込んできてそのまま停車。
ヘルシンキ市内の停留所はトラムとバスの共用になっているんですね!



バスが出て行くと、次にトラムが到着。これは合理的!
トラム停留所とバス停が別々にあるより道路上のスペースが有効活用できますし、何より乗客の乗り換えが非常に楽になります。日本でも取り入れて欲しいシステムです。

乗り換えたトラム3B/3T系統はヘルシンキ市内をぐるりと8の字状に周回する環状線で、沿線に観光名所が多いことから特に観光客の利用が多く、ガイドブックでも乗車を薦められる程に利便性の高い人気路線。
僕が今夜泊まるホテルも、このトラム3B/3T系統沿線の国立オペラ劇場前にあります。ホテルにチェックインして荷物を部屋に置いたら、すぐまたトラム3B/3T系統に乗ってヘルシンキ街歩きに出発です!
ヘルシンキには28時間しか滞在しないので急がないと、この街を楽しみ損ねてしまいます!

まずやってきたのは、ヘルシンキ中央駅



ヘルシンキ中央駅はフィンランド国内各方面への列車のみならず、ロシアへの国際列車も発着するヘルシンキの陸の玄関口です。
20世紀初頭に建てられた駅舎は大聖堂をイメージさせるエントランスとコンコースや、ちょっとレトロフューチャーなイメージの漂う時計塔や巨大な人物像が印象的です。






近郊列車や地方都市へと向かう列車が並ぶ頭端式プラットホームは、北欧の旅情が漂います。
この次にヘルシンキに来る時は、サンクトペテルブルグ辺りから国際列車に乗り込んでこの駅に降り立ちたい…
そんな気持ちを噛み締めながら、ヘルシンキ中央駅を後にします。

またトラムに乗り込んで、途中で賑やかな広場が見えたので何となく下車。





広場をぶらぶら歩いていると、トラムの走る通りの先に美しい建物が見えてきました。




ヘルシンキの街のシンボル、ヘルシンキ大聖堂です!
広場の先の、小高い階段の上に建っているので、下から見上げるとまるで空に浮かぶ教会のように見えます。

それにしても、初夏の北欧の澄み切った濃い青空と流れる雲に白亜の大聖堂が映えて本当に美しい!
あまりに美しいので暫く階段の下からただ大聖堂を見上げて立っていたら、地元在住と思われる金髪碧眼の少女から日本語で
「こんにちは。あなたはずっと教会を見ているけど、教会の建築が好きなんですか?」
と声をかけられました。
彼女は大学で日本語を勉強しているとのことで、突然現れた日本人らしき男が呆然と大聖堂を見て立ち尽くしている姿が気になって勇気を出して話しかけてくれたのかもしれません。
「うん、この教会があんまりきれいなものだから、感動してしまって…
あなたは、日本語が上手ですね。話しかけてくれてありがとう!」



大聖堂前で偶然出会った人と一言二言だけ言葉を交わし、また別れる。
一期一会。旅しているということを強く感じる瞬間でした。

大聖堂の中にも入ってみました。



観光客や地元の人たちで賑わう大聖堂前広場とは打って変わり、大聖堂の中は人の気配も無く静謐な空間が広がっています。


ヘルシンキ大聖堂には立派なパイプオルガンもありますね。
今日は誰もいないので演奏は聴けませんが、どんな荘重な響きなのでしょうか。

パイプオルガン演奏は聴けませんでしたが、今夜はこれから楽しい音楽の夢の時間が待っています。
宿泊するホテルを国立オペラ劇場の前に取ったのは、勿論今夜オペラを観るからです!

さあ、ホテルに帰って一張羅に着替えて胸ポケットにチーフを挿し、お気に入りのネクタイを締めましょう。
ちょっとだけお洒落をしたら、オペラの夢の世界を観に行きましょう!

#016:OPERA NIGHT フィンランド国立オペラ劇場“Ooppera”に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #014:タリン→ヘルシンキ 豪華フェリーでバルト海ショートクルーズ

2013-05-26 | 旅行

#013:タリン旧市街、雨の夕暮れからの続き

2013年4月30日

朝から、港にやって来ました。今日は船に乗ってバルト海を渡り、フィンランドの首都ヘルシンキに向かいます。
午前10時半、タリン港から出航です!


タリンはバルト海に君臨したハンザ同盟都市らしく、今でも大きな港を擁する海の交通の要衝です。
バルト海沿岸諸国を結ぶ定期船のみならず世界中からやってくる豪華クルーズ客船も寄港するタリン港には、行き先別に幾つもの岸壁とターミナルがありますが、僕がこれから乗り込む船は北欧・スカンジナビア半島方面への船が使用するDターミナルに接岸して出航準備中でした。

黄緑オレンジの波模様という、常軌を逸した(笑)ド派手な船体色に全身を包んだ大きな船。
ここタリンを拠点にバルト海の各地へと航路を展開するタリンクシリヤライン社の大型フェリー、
その名も「スーパースター」です!


「スーパースター」はタリンと対岸のヘルシンキの間を2時間で結ぶ“タリンクシャトル”と呼ばれる幹線航路で使用される高速船で、2008年に就航したというまだ新しい船です。
タリンとヘルシンキの間は、他にも幾つかの船会社が就航して激しく競合しているドル箱航路なので、新しくてド派手な船を投入して集客に務めているようです。

船会社間の競争が激しいということは、お互いに利便性やサービスの良さや船賃の安さを競い合っているということなので乗客にとっては嬉しい話。
実際、タリンからヘルシンキまでのタリンクシリヤラインのチケットは早割や往復割引やWeb予約割引が効いて、往復で58ユーロと国際航路にしては随分お手頃な価格で購入することが出来ました。

タリンクシリヤラインのチケットも勿論ITの国“eストニア”の会社らしくEチケット。
出航30分前までにターミナルの自動チェックイン機に予約番号を打ち込むとボーディングパスが発行されて乗船手続き完了。そのままボーディングブリッジを通って「スーパースター」に乗り込みます。空港で国内線の飛行機に乗り込む感覚です。
エストニアとフィンランドは共に「シェンゲン協定」適用国なので、出入国管理のパスポートコントロールもありません。

船に乗り込んだら、先ずは最上部のオープンデッキ甲板に向かいます。
ここでタリンの出港風景を眺めることにしましょう!

タリン港には、大きな船が何隻も接岸していて賑やかです。


「スーパースター」の隣に停泊していたこの船は、同じタリンクシリヤラインの「ヴィクトリア」
タリンと、スウェーデンの首都ストックホルムを結ぶ夜行航路に投入されている船で、昨夜一晩バルト海を走って、つい先程タリンに到着したばかりのようです。


こちらは「シリヤ ヨーロッパ」
「スーパースター」と同じくタリンとヘルシンキを結ぶ航路の船ですが、2時間でバルト海を渡る高速船ではなく、
夕方にヘルシンキを出て夜中にタリンに到着し、乗客を船内に宿泊させたまま一晩停泊。乗客は翌朝下船してタリンの半日観光を楽しみ、午後にはヘルシンキに戻るという観光クルーズコースに使用されているとのこと。
タリンは世界遺産の旧市街を目当てにした観光客が近年急増中で市内のホテルの部屋数が不足気味なため、このような効率的な船内宿泊込みのクルーズも人気があるんだそうです。

甲板から港の船を見ているうちに、出港時刻間近です。
乗船手続きが早めに完了してしまったらしく、10時半より少し前には舫い綱が解かれて「スーパースター」は港を離れます。



タリン港の外れには、赤い船体の船が係留中。
タリンクシリヤラインのライバル船会社であるヴァイキングライン社から移籍してきたクルーズフェリー「イザベル」です。
現在タリンクシリヤライン仕様に改修中で、近日中にラトビアのリガとストックホルムを結ぶ航路に投入される予定だそうです。

新入りの「イザベル」の横をすり抜けて、「スーパースター」はタリン港外に出ます。


遠くなっていくタリンの街。
タリンは「バルト海でもっとも美しい港街」と言われているそうですが、なるほど海から眺める旧市街は趣があって、タリンを去るのが名残惜しくなってきます。まぁ、明日の夕方にはまたタリンに戻ってきますが(笑)


タリンの街外れの森の中には、高い塔がそびえ立っているのが見えます。
ソ連邦時代、モスクワオリンピックのTV放送のために建設されたタリンテレビ塔です。
エストニアのソ連からの独立の際には、エストニア国民へのニュース放送を死守しようとした放送局員と独立を阻止しようと迫るソ連軍兵士との間での攻防戦も展開されたという、歴史の舞台でもあります。

タリン港を出た「スーパースター」は、一路ヘルシンキを目指し曇り空の下のバルト海を進んでいきます。
あまり天気が良くないので見晴らしも良くないし、何よりバルト海は初夏と言えども気温が低く海風が冷たいので、甲板から船内に戻るとしましょう。




「スーパースター」の船内は、この豪華さ。
乗船時間わずか2時間の高速フェリーとは思えない、まるでクルーズ客船のようです!


乗船時間が短いにも関わらず、個室の客室もかなりたくさんあります。
2時間ではベッドで昼寝をするにも短すぎると思うのですが、どんな人たちが利用するのでしょうか。
ひょっとしたら、「シリヤ ヨーロッパ」のように港に一晩停泊する観光運用も考慮しているのかもしれません。
ちなみに僕が買った割引乗船チケットはもちろん「部屋なし」です。

格安の「部屋なしチケット」で乗ってくる乗客も、船内で居場所がなくて不自由することはありません。
「スーパースター」には様々なサービス設備(=チケット単価の安い乗客におカネを使わせる施設)(笑)が揃っています。



バルト海の景色を見ながら食事ができるレストランも、豪勢な食べ放題ビュッフェからファーストフード店までいくつもあります。


国際航路らしく、免税店もあります。


スーパーマーケットもあります!品揃えも街中のスーパーマーケットと比べて遜色ありません。
世界でも最も物価の高いフィンランドから、物価の安いエストニアに、週末に日用品を大量に買い出しに来る人が結構多いそうで、そういった乗船客に移動中も安く買い物をさせようということでしょうか。
何とも商魂逞しい…


そして何とカジノまで!

…とにかく船内には何でもありのタリンクシリヤライン「スーパースター」。
ここまでくると大型フェリーというより、国際空港がそのまま海に浮いているような感覚です。

船内散策ですっかりくたびれたので、再び甲板に出てみます。

おお、いつの間にか随分、天候が回復しています!バルト海の上に青空が広がり始めました。

タリンを出てから1時間、「スーパースター」はバルト海フィンランド湾のど真ん中辺りを航行中です。
バルト海の大海原と水平線をパノラマ撮影してみましたので、ぜひ大きな画像でご覧下さい。







↑サムネイルをクリックすると大きな画像が開きます↑




やがて、船の前方遥かに陸地が見えてきました。フィンランドです!


タリンから2時間。「スーパースター」は無事、ヘルシンキ港西ターミナルに接岸しました。




初めて来る国、フィンランド。天気はすっかり良くなり、青空が出迎えてくれました。

ヘルシンキにはこれから約28時間だけの短い滞在となりますが、やりたいことはたくさんあります。
さて、どれだけヘルシンキを楽しめるでしょうか…?

#015:フィンランド・ヘルシンキ街歩き トラムに乗って大聖堂へに続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #013:タリン旧市街、雨の夕暮れ

2013-05-26 | 旅行

#012:タルトゥ→タリン ソ連製の列車で行く、エストニア鉄道の旅からの続き


再びエストニアの首都タリンに戻って来ました。
とは言え、市街地に入るのはこれが初めてです。初めて訪れるタリンの街、鉄道駅の前には小高い丘の上の城があり、列車で到着した旅人を出迎えてくれます。


雨がそぼ降る中、今夜泊まるホテルを目指し歩き始めます。
欧州では少しぐらいの雨では誰も傘をさしません。僕も現地の習慣に習い、濡れながら歩きます。
小雨で肌が濡れると、まるで雨粒に溶けたエストニアの大地とバルト海が僕の中に染み込んでくるような気がします。


今夜のホテルは城壁に囲まれた旧市街の中にあります。
駅を見下ろす古城の脇、この門をくぐると、世界遺産にも登録されているタリン旧市街です。

旧市街の中は石畳の小路が迷路のように入り組んでいるのですが、
事前にGoogleマップのストリートビューで道順と景色を頭に叩き込んでおいたので、迷わずホテルに行き着くことが出来ました。

もっとも、旧市街の築数百年は経っていると思われる屋敷を使ったクラシックホテルは館内も迷路のように入り組んでいて、
レセプションを見つけるのに随分迷いましたが…
(宿泊中に、僕以外にもホテル内で迷子になっている人を何回も見かけました。さすがに分かり難すぎるでしょ…(笑))

ホテルに無事にチェックインしましたが、外がまだ明るいうちにまた出かけます。
実はタリンには今夜一晩だけの滞在。明日は朝から船に乗ってバルト海を渡り、隣国フィンランドの首都ヘルシンキへと向かいます。
ヘルシンキ行きの船は旧市街から少し離れた港のターミナルから出航するので、事前に港までの道順を確かめておきたいと思ったのです。


まだ小雨は降り続いていますが、構わず濡れて歩きます。雨に濡れて美しく光る石畳の道を歩いていくと、行く手に城門が現れます。


この城門をくぐると、もう旧市街の外です。
タリン旧市街は全長が南北に1キロ程度しかない、小さな区画なのです。


今くぐった城門はタリン旧市街の港側の出入り口で、その名も沿岸大門(スール・ランナ門)。
沿岸大門の隣にはずんぐりした円筒形の建物がありますが、これはかつて最北のハンザ同盟都市としてバルト海に君臨していた交易都市タリンを海からの脅威から防御するべく14世紀初めに建てられた要塞の砲塔です。

その後、この地域一帯が帝政ロシアに支配されるようになると砲塔は不要となり、いつしか監獄として使われるようになってからは「太っちょマルガレータの塔」と呼ばれるようになったとのことですが、“マルガレータ”とは一体誰のことなのかについては諸説あり、真相は今ではもうわからないとか。
ちなみに「太っちょマルガレータの塔」は現在は監獄ではなくエストニア海洋博物館として使われています。


沿岸大門を出てしばらく歩くと、トラムが走る大通りに出ました。
旧市街をバックに走る青いトラムは絵になる風景ですね。これで晴れていれば最高だったんだがなぁ…


旧市街から徒歩で30分ほどで、タリン港に着きました。明日はこのDターミナルから、ヘルシンキに向けて出発します。
雨のタリン旧市街と一晩でお別れなのは心残りですが…
でも大丈夫。明後日にはまたタリンに戻ってきますから!(我ながら、何とも忙しない日程の旅だなぁ~(笑))

#014:タリン→ヘルシンキ 豪華フェリーでバルト海ショートクルーズに続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #011:エストニア・タルトゥ街歩き 文化首都タルトゥ、大学のある街

2013-05-24 | 旅行
Tartu raekoda/Tartu Town Hall

#010:エストニア・タルトゥ街歩き たそがれ時の川沿いの散歩道からの続き

2013年4月29日

タルトゥでの一夜が明けました。今日も群青の空が広がるいい天気です。


ホテルの部屋はシティビューなので、月曜日の朝を迎えたタルトゥの市街地が見渡せます。
窓の下には新市街の大通りが通っているのですが、ホテルの向かいは公園になっていてとても開放感があります。
この公園の向こうがタルトゥ旧市街です。今日はホテルをチェックアウトしたらフロントに荷物を預けて、夕方の列車の時間まで旧市街を中心に街歩きを楽しむことにしましょう。

先ず向かった先は、昨夜もちょっとだけ眺めたラエコヤ広場の奥に建つタルトゥ市庁舎


この街が帝政ロシアに支配されていた18世紀末、1782年から89年にかけて建てられたネオクラシック様式の建物で、ロココやバロックの手法も取り入れられているそうです。ピンク色の壁が可愛らしいですね!
ちなみに現在も現役のタルトゥ市庁舎として使用されています。


市庁舎前の噴水には恋愛映画のワンシーンのような「傘をさして抱き合う恋人たちの像」も立っていて、
一人旅の独身男の旅人を大いに妬かせてくれます(笑)


市庁舎から見渡すラエコヤ広場。
1775年に街を焼き尽くす大火災がタルトゥを襲った後、同じ高さに揃えられた建物が並ぶ美しい姿に整備されたそうです。
この広場がタルトゥ旧市街の中心で、市庁舎の背後にそびえる丘陵(トーメの丘)とエマユギ川の畔とをつないで細長く伸びています。

ちょっとラエコヤ広場のカフェでケーキでも食べたい気もしますが、街歩きを続けましょう。
市庁舎から北側に伸びる横丁を歩くこと暫し。



赤レンガを積み上げた立派なゴシック教会が建っています。ヤーニ教会(聖ヨハネ教会)です。
14世紀の創建で、当時のタルトゥ市民をモデルにしたとも伝えられるテラコッタ製の人形が外壁の至る所に飾られているのが特徴だそうですが、現在は外壁に飾られているテラコッタ人形はレプリカに取り替えられていて、オリジナルの人形はバロック様式の礼拝堂の内部に保存されているとのこと。
礼拝堂に入ってみたかったのですが、残念ながら扉は閉じられて施錠されていました。

ヤーニ教会から、再び市庁舎の方に戻る道を歩いて行きます。





突如、ギリシャ神殿のような威風堂々たる建物が出現しました。
エストニアのみならず北欧バルト地方の最高学府である名門校、タルトゥ大学(ドイツ語でドルパット大学とも呼ばれています)の本館です。


タルトゥ大学は1632年、当時この地を治めていたスウェーデン王グスタフ2世アドルフによって設立されて以来、400年近くの歴史を誇ります。
タルトゥの街は、この大学と共に学園都市として歴史を歩み発展してきたのです。
大学はタルトゥの人々の誇りであり、「タリンがエストニアの政治経済の首都なら、大学のあるタルトゥは学術文化の首都だ」 と自負しているとか。

タルトゥ大学本館の裏手はすぐ、トーメの丘と呼ばれる丘陵になっています。
このトーメの丘を中心にして、タルトゥ旧市街の西側はタルトゥ大学の建物が並ぶ広大なキャンパスです。
昨日、タルトゥ科学館AHHAAで見たエストニア共和国初の人工衛星ESTCube-1も、自分たちの手での宇宙開発を夢見て頑張るタルトゥ大学の学生たちがここで日夜研究室に入り浸って、キューブサット衛星の開発作業に没頭して造り上げたのでしょうねきっと。


トーメの丘へと続く道を登って行くと、道の上に瀟洒な陸橋が架かっています。


これは天使の橋と呼ばれているそうで、19世紀に架けられ、当時のタルトゥ大学の学長に捧げられたとのこと。
学長さん、天使と呼ばれるほど学生に優しかったんでしょうか。或いはひねくれものの学生連中の皮肉かな?(笑)


せっかくなので、天使の橋を渡ってみましょうか。天使に会えるような、いい気分になれるのかな?


天使には会えませんでしたが、トーメの丘の麓から続く学生街を一望できるので確かに気持ちの良い眺めです。


反対側には、大学の各学部棟等が並ぶ典型的なキャンパスの風景が。

天使の橋から、さらに先へと進みましょう。



どうやら、トーメの丘の頂上まで来たようです。


トーメの丘の頂上には、エストニアゆかりの偉人たちの像が並んでいます。
数ある像の中でも存在感があったのが、こちらの決意に満ちたというか随分と厳しい表情をしている青年の像。
足元の案内板によるとKristjan Jaak Peterson、19世紀初頭の詩人で、若くして亡くなった人だとか。
彼が生前、思索しながらエストニアを放浪した時の姿を表現しているようです。想い悩み流離う若き詩人か…

トーメの丘の頂上には、大きな廃墟も建っています。



タルトゥ大聖堂です。
15世紀の末に建てられたゴシック様式の大聖堂だったのですが、1520年代にこの地に到達した宗教改革の波によって破壊され、その後は朽ち果てるまま数百年間に渡り放置されました。
現在、荘厳なゴシック大聖堂だった頃の面影は高くそびえたレンガの壁が物語るのみ。
はるかな昔はステンドグラスが厳かな光を通していたであろう窓からは、明るい青空が広がっています。

そろそろ、トーメの丘を降りましょう。
下り坂を進んでいくと…



また陸橋が架かっていますが、さっきの天使の橋と比べると薄黒くて何とも陰気な感じ。
これは悪魔の橋と呼ばれていて、20世紀初頭に架けられ当時の帝政ロシアの皇帝に捧げられています。
これはわかりやすいですね。祖国エストニアを支配していた憎きロシア皇帝をそのまま悪魔呼ばわりしていますから(笑)

悪魔の橋を渡ってしばらく行くと、丘陵の中腹に塔を持った印象的な建物が見えてきました。


タルトゥ大学付属の天文台です。
1810年に建てられ、二重星の観測で知られる天文学者フリードリッヒ・フォン・シュトルーベが勤務していたそうです。
現在は新しい天文台が建てられているので、この旧天文台は資料館になっています。
シュトルーベ先生の時代の古い観測機器や望遠鏡があるとのことで、見てみたかったのですが、月曜日だったせいか門扉が締まっていました。
…残念!

旧市街とトーメの丘を一周りして、麓の新市街に戻って来ました。
小さな街タルトゥの、小さな旧市街散策。
ほんの数時間もあれば一通り見て廻れますが、意外と見どころがたくさんあって興味深く、楽しい街歩きでした!

駅に向かうまでもう少し時間がありそうだったので、タルトゥ科学館AHHAAの裏手のエマユギ川沿いにあった市場を覗いてみました。


花や食料品から衣料まで、様々な日用品が売られています。
すぐ近くに大きなショッピングモールもあるのですが、昔ながらのスタイルの市場に買い物に来るお客さんも結構いるみたいです。
「旅先では市場を見れば、その街がわかる」 が僕の旅のモットーですが、タルトゥは昼下がりにのんびり花屋さんに買い物に来る人たちが住んでいる素敵な街、ということで決まりのようですね。

さあ、そろそろ駅に行きましょうか。

#012:タルトゥ→タリン ソ連製の列車で行く、エストニア鉄道の旅に続く

おまけ画像


天使の橋の近くの、学生街の音楽教室の前を歩いていたふさふさタルトゥ猫。
音楽教室から出てきた、バイオリンか何かのケースを背負った小学生くらいの子と一緒に追いかけたのですが、空き地に逃げられてしまった。残念…

でも、エマユギ川に架かる橋の欄干に猫がいた…

…っていうか、エストニアにもこの手の、やたら作り込まれたAA(アスキーアート)があるのねやっぱり(笑)

タルトゥでは街を上げて公共アート大会のような催しをやっているらしく、橋の欄干をはじめ道端の至る所にちょっと洒落た落書き風アートが描き込まれ、そのまま展示されていました。


中にはこんな芸術的な作品も。
こういう落書きなら大歓迎ですよね!

2013初夏・北欧バルト海紀行 #010:エストニア・タルトゥ街歩き たそがれ時の川沿いの散歩道

2013-05-23 | 旅行

#009:エストニア・タルトゥ街歩き 街外れの鉄道駅を見に行こうからの続き

タルトゥ鉄道駅から、街の中心部へと戻って来ました。
もう午後9時ちかくですが、夏至間近の高緯度帯の太陽はまだ沈みきりません。
タルトゥの街は美しいたそがれ色に包まれています。

ホテルに帰る前に、もう少しだけ夕暮れの街を散歩していきましょう。



タルトゥの市街地の東側を流れるエマユギ川。
雪解け水のせいか水量が多いですが流れは緩やかで、水面が鏡のように岸辺の並木道と暮れていく空を映し出していました。


エマユギ川の橋の上から、タルトゥ科学館AHHAAのある新市街方面を眺めます。
ガラス張りのモダンなオフィスビルが、タルトゥの街の新しいシンボルのようです。エストニア第二の都市らしい、近代的な都市景観です。


一方こちらは、タルトゥの歴史と伝統を感じさせる旧市街。
エマユギ川の畔から丘陵地に向かって細長く伸びるラエコヤ広場です。広場の奥には市庁舎の建物が見えています。
今日はもう店じまいしていますが、昼間はオープンテラスのカフェなども並ぶ賑やかな場所のようです。




エマユギ川の畔の並木道を歩いていくうちにすっかり日が沈んで、辺りは静かな夕闇色に…


やがて街はブルーモーメントの中に沈んでいきます。


街灯の明かりに浮かび上がるラエコヤ広場を横切って、ホテルに帰るとしましょう。
今日は初めて訪れたタルトゥの街で、本当に色々なことがありました。

明日はもう、タルトゥを離れます。
でも、列車が発車する夕方まで丸一日時間があるので、もう一度ゆっくりタルトゥの街を見て廻りたいと思います。

#011:エストニア・タルトゥ街歩き 文化首都タルトゥ、大学のある街に続く

おまけ画像


散歩の途中で、
エマユギ川沿いで見つけた深夜営業のスーパーマーケットで買って帰ったエストニアの飲み物各種。
向かって左から、オーガニックが売り(らしい)のヨーグルトと、謎の茶色い飲料水、そして水です。

ヨーグルトはとても美味しかった!これはまた食べたい。
水は、僕はいつも地元の銘柄で一番安いものを買うようにしているのですが、このラベルに灯台の絵が描かれたものは苦味を感じる程のものすごい硬水で、正直辟易しました…
そして謎の茶色ジュース…ラベルにKALIとありますが、こりゃ一体何なんですかね?(笑)
恐らく麦芽を発酵させた系統の飲み物だと思うのですが、発泡性ではなく醸造系の妙な甘みが癖になる、まぁ要するに得体の知れない味わいでした。
棚一段にズラ~っと同じ商品が並んでいたので、多分かなり売れ筋のエストニアの国民的飲み物だと思うのですが…
どなたかKALIについてご存じの方がおられたら、詳しく教えて下さい!

2013初夏・北欧バルト海紀行 #006:タリン→タルトゥ ハイテクITバスで行く、エストニア縦断快適バス旅行

2013-05-18 | 旅行
Tallinna lennujaam タリン空港・ターミナルビル


#005:夜のバルト海を越え、エストニアまで一っ飛びからの続き

2013年4月28日

エストニアでの最初の夜が明けました。
今日は、朝からバス旅行。首都タリンでは到着後一晩寝ただけで、すぐにエストニア第二の都市タルトゥに向かいます。


エストニアの北岸、バルト海のフィンランド湾に面した港街タリンから、南部のロシア国境にも程近いタルトゥまでおよそ200キロ弱、国土の小さなエストニア共和国をほぼ縦断する旅です。
早速、朝になったらタリンの鉄道駅へ…といきたいところですが、今回は残念ながら鉄道旅行ではありません。

エストニアではソ連からの独立後、国内の鉄道網が大幅に整理された結果として旅客列車の運行数が激減してしまい、首都と第二の都市を結ぶ「エストニアの東海道新幹線」とでも言うべき主要幹線でも都市間直通の旅客列車は1日3往復程度が運行されるのみ。しかも早朝と夜だけの運行で、日中は全く列車が走らないという悲惨な状況になっているのです。

その代わり、エストニアでは国内各都市を結ぶ高速バス路線が非常に発達しています。
また、IT産業が盛んで“eストニア” と称されることもある国らしくバスの利用環境もIT化が進んでいるようで、高速バスのチケットは各社共通のホームページからオンラインで簡単に予約が可能です。
僕も今回、予め日本でタリンからタルトゥまでのバスをeチケットでネット予約してきました。価格は税込みで片道10.8ユーロ、千数百円といったところ。
ところで、予約ページでバスの時刻を調べていたら、タリン発タルトゥ行きのバスは毎時2~3往復も運行していて、しかもわざわざバスターミナルまで行かなくても途中でタリン空港に立ち寄る便もあることが判明。
「なんて便利なんだ… スゴイぞeストニア!」

朝10時。ホテルから空港まで、昨夜歩いた道を再び戻って来ました。
空港のターミナルビル入り口には、タルトゥ行き高速バスのチケット自販機もありました。

一見、ゴミ箱みたいなデザインですが(笑)、クレジットカード対応でオンラインのタッチパネル式の優れものです。

僕は自宅のPCでプリントアウトしてきたeチケットの控えを持ってきているのですが、
試しに自販機に予約コードを打ち込んでみたらちゃんとチケットが発券されましたよ。

「おいおい、こりゃ日本より便利じゃないか… スゴすぎるぜeストニア!」

タリン空港のターミナルビル前には、バス停がいくつか並んでいます。

これはタリン市街方面行きの路線バス乗り場ですね。


これがタルトゥ方面行き乗り場です。英文で案内が書かれているのですぐに分かります。


タリン空港を経由するタルトゥ行きは、Sebeというバス会社が運行する路線です。
本当に運転本数が多いですね。しかも深夜バスまで走っているようです。こりゃあ、鉄道が衰退する訳だよなぁ…

午前10時半、定刻通りにタルトゥ行きのバスがやって来ました。

全身紫色というド派手な巨大バスです。


運転手さんにチケットを見せて、トランクを荷物スペースに収納してもらってさぁ出発!
タリン空港を出たら、タルトゥ市街地までノンストップで突っ走ります。
ビジネス客はあまり利用しないであろう日曜日の午前中の便のせいかタリン空港から乗った乗客は僕一人でしたが、車内は乗車率70~80%といったところで結構混んでいました。


タリン郊外の風景はこんな感じ。薄曇りの空の下、針葉樹の森が続いています。
それにタリンからタルトゥまでを結ぶ国道2号線は路線改良工事の真っ最中のようで、工事現場の中を走るような殺風景な車窓が連続します。

でも、車窓が味気無くてもエストニアの高速バスは車内サービスがスゴイ!

革張りシートの背もたれにはパーソナルモニタ完備です!
そしてこのモニタのメニューがこれまたスゴイ事になっています。
無料で映画や音楽が楽しめるのは勿論のこと、何とインターネット接続にも対応していてウェブサイト閲覧まで可能なのだ!


タッチパネルで「INTERNET」ボタンを押すと、閲覧可能なサイトのアイコンが表示されます。
ニュースサイトが一通り揃っていますね。


CNNのサイトもこの通り。
走行中のバス車内から誰でも無料で、ネットで世界の最新ニュースを見られるとは…
eストニアのバス恐るべし!

でも、一番便利で楽しいのはやっぱりこのサービスかな。

GPSでバスの現在位置を表示してくれる地図情報サービス。
これもカーナビの画面をそのまま表示している訳ではなく、バス専用のシステムが用意されているようで、
次のバス停までの距離や到着時間予想まで表示してしまう優れものです。
特にバス停周辺の地図情報が一目で解るので、初めての街を訪れる旅行者にとっては、バスを降りた後に取るべき行動も予め見極めることが出来て、実に便利です。
「参ったねこりゃ… 気合い入り過ぎだろ、どこまでやってくれるんだeストニア!!」

モニタのサービスの充実ぶりに感心することしきりですが、
バスがタルトゥに近付くにつれて天気もよくなってきました。





ヨーロッパらしい澄み切った群青の青空の下に、大平原と森と、雪解け水で潤う豊かな農地が広がります。


タリンから約2時間半。
お昼の零時半に、Sebe社の紫色の高速バスは無事タルトゥ市のバスターミナルに到着しました。
実に快適で、そしてエストニアのIT社会の発達ぶりに圧倒されるような気分も味わったバスの旅でした。

さて、今回の旅の最初の目的地であるタルトゥの街に到着しました。
これからすぐ、お目当ての「御本尊」が鎮座まします場所へと向かいましょう。僕はこれを観るために、遥々日本からエストニアの南の街までやって来たのですから…

#007:Science Centre AHHAA -タルトゥ科学館「AHHAA」-に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #005:夜のバルト海を越え、エストニアまで一っ飛び

2013-05-15 | 旅行

#004:到着!アムステルダム・スキポール国際空港からの続き

午後8時過ぎ、アムステルダム・スキポール空港からエストニア共和国の首都タリン行き便の搭乗開始です。
Eチケットの記載ではKLMオランダ航空の便名になっていましたが、
エストニア共和国のフラッグ・キャリアであるエストニアン・エア(エストニア航空)の機体で運行されるコードシェア便でした。
エストニアの国旗と同じ青系のトリコロールカラーで、爽やかな機体色が印象的です。


エストニア航空の飛行機はボンバルディア社製のCRJ900、プライベートジェットのような小型機です。
スキポール空港の滑走路脇に沖止めで、乗客は順番にタラップをぞろぞろ登って乗り込みます。


真っ正面からエストニア航空機の鼻面を拝んでみました。
ちょっと「モグラ」か何かの小動物のようで、愛嬌がありますね。
これから北海を北上してバルト海を突っ切りエストニアまで、旅の最終区間をよろしく頼むよ!


KLMオランダ航空2831便ことエストニア航空0474便がスキポール空港を飛び立つと、
ようやく空の上にも遅い夕暮れがやって来ました。

アムステルダムからタリンまでのフライト時間は約2時間半、途中で中央ヨーロッパ時間から東ヨーロッパ時間に切り替わるので1時間の時差があり、タリン到着は深夜23時半になります。
タリンに着くまでに、機内食のスナックでちょっと腹ごしらえを…と思ったら何と、エストニア航空の機内ではエコノミークラスは機内食も飲み物も全て有料!
フラッグ・キャリアなのにサービスはLCC並みだなんて、ちょっとガッカリ…
窓の外も日が落ちて真っ暗になり、福岡からの長時間フライトの疲れも出てきたので暫し、ふて寝。


目が醒めると、既にタリンが近いのか、窓の外の眼下には小さな町灯りが連なっているのが見えます。
エストニアに来るのは初めてですが、何となくホッとするような穏やかで暖かい灯りです。

深夜のタリン空港は、小さなターミナルビル内に人影もなくて照明も薄暗く、お店も全て既に閉店していてひっそりしていました。
どうやらエストニア航空0474便はタリン空港に到着する本日の最終便だったようです。
福岡で預けたトランクを無事にピックアップして、夜中の空港ターミナルビルを出て見知らぬ国の夜道を歩きホテルへと向かいます。
夜霧が漂い、しんしんと冷え込む夜道を歩くのはさぞかし心細かろう…
と思いきや、実は事前にタリン空港周辺の道路をGoogleストリートビューで見てホテルまでの道順を把握してあるので、既に頭の中に土地勘が出来上がっているのです。
世界中の街の道を自宅に居ながらにして歩き回って確かめておくことが出来るなんて、なかなか素晴らしい21世紀になったものですねぇ!

という訳で、何のトラブルもなく空港近くのホテルに到着してチェックイン。
旅の最初の夜は、何はさておきバスタブに熱いお湯をたっぷり張ってゆっくり浸かり、長い空の旅で凝った身体を伸ばす…つもりだったのに生憎シャワーのみでバスタブ無しの部屋でした。
気を取り直して、温かいシャワーを思いっきり浴びてからベッドにもぐり込みます。

おやすみなさい… 明日から、エストニアでの日々が始まります。初めての国エストニア、どうぞよろしく…

#006:タリン→タルトゥ ハイテクITバスで行く、エストニア縦断快適バス旅行に続く

2013初夏・北欧バルト海紀行 #004:到着!アムステルダム・スキポール国際空港

2013-05-12 | 旅行

#003:KLM870便(福岡→アムステルダム)空の上からの風景からの続き

現地時間の午後3時。
KLMオランダ航空870便は昼下がりのオランダ、アムステルダム近郊のスキポール国際空港に到着しました。
時計の上では福岡を飛び立ってからまだ5時間程しか経過していませんが、
実際には日本とオランダの7時間(夏時間)の時差を飛び越えてきたので、実に12時間にも及ぶ長時間フライトでした。



福岡から頑張って飛んでくれたB777-200「Pont du Gard」号ともここでお別れです。お疲れ様でした!

さて、スキポール空港ではエストニア共和国の首都タリン行きの飛行機に乗り継ぐのですが、
乗り継ぎ時間が5時間もあります。
外はまだ明るいし、ちょっとアムステルダムの街まで遊びに行きたい気もしますが、自分の体力を過信して過酷な長旅の途中で気を緩めるのは怪我のもと病気のもと。
ここは大事を取って、空港のターミナルビルの中で休息しながらエストニア行き便の出発時刻を待つことにしましょう。
(…二十代の頃は、平気で街まで遊びに行ってたんだがなぁ。三十路後半になると、体力の衰えが自分でわかるのがツライ。)

スキポール国際空港はヨーロッパでも有数の規模を誇る巨大ハブ空港。
ターミナルビル内にも、乗り継ぎの旅客を退屈させないような面白い施設が色々と揃っています。
中でもスゴイのがこれ!

何と、空港内に本格的なカジノがあるのです!
もちろん未成年者はお断りですが、大人なら誰でもパスポートを提示すれば入って運試しが出来ます。
僕も一つ、ヨーロッパに来て先ずは今回の旅の運試しを…
やめときましょう(笑)旅の初日にいきなりスッて無一文になったりしたら洒落になりませんからね。


カジノの隣には、アムステルダム国立美術館スキポール空港分館があります。
ここにはこの前の年末年始にも来ましたね




展示されている作品にも見憶えがあります。
時々テーマを変えて展示作品を入れ替えているそうですが、お正月以来まだ替えていないようですね。

このようにターミナルビルの中を見て回るのも結構楽しいのですが、2時間も経つとさすがに退屈になって来ました。
ちょっと空港の建物の外に出てみましょうか。
オランダの入国審査を受けてパスポートにスタンプを捺してもらってから、到着ゲートの外に出るとそこは…

すぐにオランダ鉄道のスキポール駅です!
スキポール空港の真下にある地下駅で、空港ターミナルビルと直結しているという実に立地の良い駅ですが、それだけではありません。
アムステルダムの都心部方面へはもちろんベルギー方面への国際路線ともつながっており、長距離運転の国際高速列車も停車するのでとても便利な駅なのです。

ちょうど、アムステルダムからスキポール駅を経由してベルギーのブリュッセルとフランスのパリとを結ぶ高速列車タリス(Thalys)がやって来ました!



最高速度時速300キロを誇るフランスの超特急TGVをベースに、真っ赤な専用塗装をまとったタリス。
これはカッコいい!!
思わず「このままタリスに乗り込んでパリに行くのも悪くないなぁ~」などと考えてしまいます。


タリスに続いて、オランダ国内線の高速列車Fyraも登場。
こちらは本来は新型の流線型電車を導入し、最高速度時速250キロでベルギーまでの国際運行を行う計画でしたが、
新型電車が雪による運行トラブルを続発してとうとう運行停止となってしまい、やむを得ず旧来の電気機関車を用いてオランダ国内のみでかろうじて運行を続けているという変わり種の高速列車です。

空港の地下にある駅で、次々にやってくる個性的な列車たちに会えるので大満足。
そろそろエストニア行き便の搭乗ゲートに向かうとしましょう。
オランダとエストニアは共に「シェンゲン協定」が適用されるので、国境検査は免除されます。空港でもパスポートチェック無しの国内線扱いとなるので便利です。

#005:夜のバルト海を越え、エストニアまで一っ飛びに続く

おまけ画像


スキポール空港の中にあるスーパーマーケットで売っているSUSHIです。ここに来ると何となく毎回買ってしまいます。
(前回買った時のレポートはこちら→2012-2013中欧鉄道音楽紀行 番外編:10 オランダの寿司
今回買ったこれは「HANAMI SNACK」とありますが、日本ではこれをお花見で食べるというイメージなんでしょうか(笑)


中身はこの通り。割とまとも…というか普通に美味しそうですね。
手毬寿司?のようなオニギリ寿司が可愛らしいです。
実際、お米がちょっとパサパサしていましたがそれなりに食べられる味でしたよ。

2013初夏・北欧バルト海紀行 #003:KLM870便(福岡→アムステルダム)空の上からの風景

2013-05-12 | 旅行

#002:KLM870便(福岡→アムステルダム)エコノミークラスの機内食からの続き

福岡空港を飛び立ったアムステルダム行きKLMオランダ航空870便は日本海に沿うように北海道まで北上して、
小樽上空から日本海を横切りロシア極東・シベリアへと抜けていく飛行ルートを辿りました。


夏至も間近のこの時期、北極圏に近いシベリアの北回りを太陽を追いかけながら飛ぶこのルートはヨーロッパに着くまでずっと日が沈まず、
飛行機は延々10時間以上も濃い群青の空の中を飛び続けることになります。


機内は就寝時間となり、窓の日除けを下ろして消灯され真っ暗になりますが、
客室後部のギャレー近くにある非常脱出扉の窓は日除けが開いていますので、
時々この窓から空の上からの風景を眺めました。

高度10000mから見下ろすシベリアの大地には、初夏のこの時期でも雪と氷が残っています。
氷結したままの大河が地平線まで延々と続く、美しく雄大でそして過酷な風景です。



一見、どこか遠くの宇宙にある氷の惑星の地表のようにも見えるこんな環境にも、
目を凝らすとしっかりと人々の営みがあることが解ります。
真っ白に凍りついた湖の畔にはきちんと区画整理され建物が並ぶ小さな町がありました。

氷雪のシベリアを過ぎてウラル山脈を飛び越えると、そこはもうヨーロッパ。



スカンジナビア半島南部辺りまで来ると、もう地表に雪はありません。
強い日差しに雪解け水が輝く季節を迎えているようですね。


北欧らしいフィヨルド地形を見ながら、オランダを目指し南下していきます。



大きな空港の上空を通過しました。
並行した2本の滑走路の間に垂直方向の搭乗ゲートとターミナルビルがある構造から、
おそらくノルウェーのオスロ空港だと思われます。

ここまで来たら、オランダまではもうすぐ近く。北海を飛び越えれば終点のアムステルダムです!

#004:到着!アムステルダム・スキポール国際空港に続く