大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

札幌戦の後に改めてガンバの現在の状況を振り返る

2008-08-29 07:18:18 | ガンバ大阪
昨晩、串カツ屋にて、大分vs京都の試合を観戦していたのだが、試合内容がアレだったので、ガンバのことについてもう少し書くことにした。ちなみに見た試合に関してはまあ、フェルの動きが良かったというのがガンバサポ的にはツボだったかな、と(そういう選手を出してしまったのはウチです。しかしその彼を更に又貸ししているのは清水です、と逃げておきますw)。

しかし大分ってなんかどこかのチームみたいな勝ち方をしてしまいましたな。えっと、ほら、あの赤いどこかのチームみたいに・・・あ、再開後の緒戦でまた激突するみたい興味深いですね。どちらのチームが先制してベタ引きになって守るかが。この間の試合だってもし浦和が先制していたら真逆の展開になっていたかもしれないし。

あ、そうそう、ガンバについて書くんでしたね・・・串カツ店長から、「民国さん、ガンバは大丈夫ですよね?」と尋ねられた時には「うん、まだ大丈夫ですよ」と答えておいたんだけども、別にそれは根拠もなく楽観的に答えたわけではない。むしろ自分だって世間並みに今の状態が良くないことぐらいは認識しているが、皆が言うほど悪いか、と言えば?だとは思う。特に悪い悪いと言っている人たちの議論を聞いていると。

まあ、なにせサポの先生方を満足させるって難しい。バレーの決定力に散々嘆いておきながら、実際居なくなるとバレーの抜けた穴は大きいと言うしw、カントクが固定メンバーを使うと若手を使えと言い、その若手を使っても出来が悪ければもうイラネ(特に下平に対して)と言う。リスクを冒して勝負せいといいながらリスクからカウンターを食らうと中澤の守備は何やねんと騒ぎ出す。4-4-2でやっている時は3-4-1-2の方がいいんじゃね、と囁きながら、実際3-4-1-2が裏目に出るとやはり4-4-2に戻せという(その後4-4-2で失点していくとやはり4バックには向かないと言うんだろうね)。かくも人間て自己矛盾の塊なんやなあ、と改めて思い知らされてしまうんですがね。

まず、3-4-1-2に関する批判であるが、札幌戦を振り返ってみると、3-4-1-2にすることで、確かに両サイドの裏にスペースができてそこを突かれた。ただ、それはそのシステムを採用することである程度想定の範囲内だったことであるし、逆にコンサがサイドを突くことによって中央にスペースが出来るとそこを突くことが出来たのは、3-4-1-2であったからという側面もある。もっと言えばカントクって最初に布陣ありきではなく、今いる選手の適材適所を生かした布陣というのを考えたりもするのだから、3-4-1-2というのは、

・ストッパー加地を相手のエースFWにつける(神戸戦でレアンドロ、札幌戦でダヴィについたように)
・両サイドを高い位置に張らせる
・トップ下の素材を生かす(この試合では寺田)

というところに主眼を置いていたものだと考えられる。それは正に相手がどうこうというよりは自分たちの持っているものを出そうという発想から来ている。もっともそうは言っても(報道によると)札幌戦の前にスカウティングのビデオを封印したというのはどうかと思うのだが・・・まあ、見てしまって余計な先入観を持ってしまうということもあるからカントクはそれを気にしたんだろうな。

誤解のないように言っておくと、私はなにも3-4-1-2が4-4-2より優れていると言いたいわけではないし、「サッカーは布陣でするものではない」と言いたいわけではない。どちらかと言えば4-4-2で言って欲しいとは思う。しかし、4-4-2に戻す場合において問題なのは、今のウチは4バックのセンター2枚を任せられる適任者を持たないままで敢えて元に戻すということである。即ち、そうしたリスクを承知の上で敢えて戻すということを自覚しておかねばならないのだが、今のサポの精神状態を考えると、4-4-2に戻したら戻したでその弱点が露呈すればまた騒ぎ出しかねないのが気になる。だから、毎年最初は4-4-2を試行しておきながら途中で3-4-1-2に変更したりするのもCBの守備にモロさが露呈した後であるということも覚えておいた方がいいのではないだろうか。

また、札幌が後半数的不利に陥ったのに加地を前に上げなかったことを批判する向きがあ。確かに1トップに対しては2バックで十分だという定石には反しているんだけども、ならば仮に加地を上げた結果カウンターでダヴィが2枚のDFを振り切ってゴールしてしまうかもしれないというリスクを承知した上で言わないといけないだろう。

あと、3得点したけども3失点したことが嘆きの論拠にはなっているんだけども、そうした気持ちはコンサの側にだってあることだろうよ。確かにこちらの2得点は相手のミスによるものなのだが、それは札幌が先制した後に前線が前がかりになっている分前後が分断された中で中盤にスペースが出来、なおかつ裏にも抜け出せる程のスキがあったからで、そうしたスキや相手のミスを逃さないしたたかさ(と言えるのかどうかは判らないが)というか反発力がまだ残っていたとも言えなくもない。

それはある意味ガンバのチームカラーの本質にも通じるところがあって、相手が浴びせる光が強烈であればあるほど、その光を相手にも反射してしまうのが我がチームの真骨頂ではなかったか。まあ、敢えて言えば好調時のガンバは相手の光に対して更に強力な光を反射させることができたんだけども、この試合ではそれができなかった。だからまあ、こういう打ち合いを制することができない分本調子ではないと言えるんだけども。

だからまあ、こうやって振り返ってみると、コインの表側だけを見れば悲観的にもとれるし、コインの裏側も合わせて見ると一概に悪いところばかりではない。というのが今のガンバかな、と思う。それは札幌にだって言えることで、藤田は3点目のアシストのクロスと同点になるクリアミス(もっと言えばヤットのミスキックが彼の元へ転がり込んだものだが)を同時にやってしまっているし、GK高木は確かにミスはしたものの後半佐々木のミドルに対して反応している。

私に言わせれば人間が人間である以上ミスはどこかで起こりうるものだから、選手にはそれを補って余りある働きをして欲しいと思うからこそ、藤田や高木には良かった点を褒めて上げたい(本人らはミスしたことを悔やんでいるからこそ)。その意味では、ミスした人間には少なくとも一度はチャンスを与えるべきだとは思うわけで、中澤や藤ヶ谷にはチャンスが必要なわけですが。