大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

反町批判に感じる違和感

2008-08-21 07:45:19 | サッカー全般
反町ジャパンの五輪での3試合を、テレビと現場とで見てきて感じる違和感がある。それは反町監督が取った戦術ではなく、反町ジャパンを取り巻く批評に対してなのである。

個人的には反町ジャパンのスタイル自体はあまり好きではないが、日本が3試合とも1点差の惜敗という結果で善戦できたのは、ひとえに反町監督が守備中心のチームを構築したからだということが言えるのではないか?実際本番が始まるまでは世界の強豪相手にいかにして守り、少ないチャンスをカウンターでモノにするにはどうすればいいかということに腐心していたように思えるし、メディアや評論家もそうした戦術を支持していたのではなかったか?

実際、反町ジャパンは4-2-3-1というシステムの下でとりあえず中盤に人を埋めて、バックラインは下がり気味で後ろを抜かれない形にして相手の攻撃をある程度凌ぐことは出来た。ただ、皮肉なことにそうすると相手の力にはある程度対抗できたとしても、攻撃に対してどうしても切り替えが遅れ、人数をかけられなくなってしまう。攻撃的に行こうと前がかりになるとどうしても一旦ボールを奪われるとカウンターを食らってしまう。仮に攻めに出てチャンスを造ったとしても、日本に少ないチャンスで一撃必殺で決められる決定力を持った選手というのはなかなか存在しないが故に決めきれない。故に反町は最後までFWの1トップの起用には迷いがあったように思える。

こう書くとだからこそもっと攻撃的に行ってリスクを冒し、人数を掛けて攻めるべきだという人がいるかもしれない。ただ、そうなるとリスクを冒した引き換えに大量失点する可能性が高くなるのであるが、そうしたリスクを支える余地が見る側にあるかといえば心ともない気がする。なぜなら、今の日本には守ってカウンターしかない、と主張していた高名な評論家までもが掌を返したかのように、もっと攻撃的に行くべきだったと反町批判を繰り広げているくらい、見る側、批評する側に一貫した批評軸が存在しないように思えるからだ。

反町と正反対のアプローチをしたと言えば、ジーコであって、緒戦のオーストラリア戦を落としてから逆に4-4-2にして攻撃的に戦い、ブラジルと真っ向勝負して1-4と玉砕したのだが、攻撃的に行くべきだというのならば、この試合だって敗れはしたものの玉田のゴールで先制したことは、攻撃的な観点からすれば、もう少し評価されるべきだとは思う。

結局、攻撃的に行くにしても守備的に行くにしても、何もかもが中途半端なのが今の世界における日本の立ち位置なのかな、と思うし、世界と戦う上で、守備的なのか攻撃的なのかはどちらで行くか、模索が続いていくだろう。今回はA代表を含めて守備的に行こうとしているようであるが、恐らくは何をやったとしても結果が全てというプロの世界では監督は結果が出せなければ批判に立たされるだろう。

ただ、批評するにしても批評する側がどういう軸を持ってその内容を評価するかが大事に思えるのであるが、今の日本ではそうした軸を見る側と批評する側が失っているのではないだろうか?攻撃的に行くべきだと考えるのであれば、0-1でも0-5であっても同じ一敗に過ぎないという価値観で、リスクを冒すことを下支えする土壌を造り出さないといけないだろうし、守備から入るべきだと考えるのであれば今回の反町ジャパンはもう少し違った角度から評価されていいのではないかと思うのである。