幕末に、アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊が箱館にやってきた。
その時に、かねてから洋船に興味を抱いていた船大工・続豊治(つづきとよじ)が、箱館奉行の命を受けて乗船、船内をくまなく検分し書面に残した。
(写真をクリックすると拡大できます。)
(この船は、青函トンネルの開業を記念して開催された「青函博覧会」の時に復元展示されたもので、現在は大町の埠頭に置かれている。)
この図面と独学、創意工夫で得た知識を使い、安政4(1857)年に我が国最初の洋式帆船・箱館丸を造り上げた。
彼の造船所は、現在の赤レンガ倉庫群のあたりにあった。
完成すると、箱館奉行・堀利煕(ほりとしひろ)は、江戸出張にこれに乗船、出来具合を確認した。
続は60歳でこの船を完成させ、その後も2号船・亀田丸を造り上げ,ロシア・アムール河(オホーツク海流氷の源)まで航海した。
豊治には4人の子供がいた。
長男・七太郎の孫・フサさんは、函館市内にある老舗レストラン・五島軒の二代目店主(若山徳次郎氏)に嫁いでいる。
そんなご縁があって、「続豊治百年祭」が関係者を集め、昭和55年11月19日に五島軒本店で開かれた。
五島軒には、こうしたハイカラさを追求したご先祖を持っていたのだった。
この復元船は博覧会が終了してからは、野ざらし状態。
しかも、人目につかない場所に置かれている。
右写真の船首飾りは傷みが目立つようになってきた。
管理している市役所港湾空港部の、展示ビジョンが見えないのは寂しい限りだ。
お持ちになっている写真は「お宝」クラス。
貴重なものばかりですね。
五島軒の人脈は奥行きが深いですよ。
使われている日本酒「櫻正宗」にも、理由がありました。ミカエル
私は古い写真を集めるのが趣味で
その写真を検分、歴史に関してはさっぱり判らないのでとても参考になります
店主が若山さんなのに
五島軒さんの店名がなぜ五島なのか
先日、知りました
まだ、確認してないので後ほど。
これからお伺いします。
ご両親やお友達も待ち望んでいた再開店、今日はお玄関が靴であふれることでしょう。ミカエル・ミケ
ブログ再開しました。
是非また遊びにいらして下さいね
五島軒のカレー食べたいです