今年、函館は横浜などと共に開港150周年を迎える。
市役所をはじめとする団体は諸行事を立案中で、夏にはそれらが実行へ移される。
この行事の一環として、地元放送局が「青函連絡船の思い出」を募集。
私は、行事に何らかの形で参加したいと思っていたので、3月末に下記のとおり投稿した。
青函連絡船の思い出
函館は連絡船とともに歩んだ町。
それだけに私の「思い出たんす」には「連絡船の引き出し」もある。
今回はその引き出しにある数々のファイルの中から「幸福の船出」を開いてみた。
昭和45年前後は同僚や友人が次から次と結婚。
夜の9時に祝宴がお開きになると、私を含めた悪友たちは駅前・大門での二次会へと繰り出した。
そこでまた飲み、そして語り合いもした。
午前零時近くになると腰をあげ、そろって連絡船桟橋へ向かう。
当時、真夜中零時台に本州行きの青函連絡船が二本あって、ほとんどの新カップルはこの船で新婚旅行へと旅立っていた。
行き先は熱海ブームが去って、九州宮崎や京都に替わっていた。
二人が桟橋待合室に姿を現すと、栄養ドリンク剤をぶら下げたレイをプレゼント。
やがて出航のドラが叩かれると、デッキに並んだ二人めがけて五色のテープが渡され紙吹雪もまかれ華やいだ光景は映画のワンシーンそのものだった。
「バンザイ! バンザイ! バンザーイ!・・・頑張れよー」と悪友たちの大声援。
二人は大いに照れていた。
一方、二人のご両親は、私どもに遠慮されてか後方の柱の陰に。
仲間が気を利かして「前の方へどうぞ!」。
「有難うございます。でも、こちらで見送りさせてください」と。
きっと、幼児のころの姿と今夜の華やかな姿を重ね、思い出に耽っていたのかも知れない。
「バンザーイ!頑張れよー」の大声は、船の灯りが闇に消えるまでしつこく続いた。
零時40分発の最終便が出航すると、駅前・大門のあちこちのネオンがひとつ消えまたひとつと消える。
ようやく動きが一段落した街は、早朝4時台の一番船を迎えるまで、つかの間の眠りについていった。
連絡船の思い出は、たくさんの応募がありそうですね。
私が連絡船に、たった一度乗った日は、海が凪いでとても穏やかな日でした。
デッキで友人とゆっくりコーヒーを飲んだ思い出があります。
書きやすい題材ですから、きっと多くの方が投稿されると思います。
船旅は格別。
デッキでのコーヒーは、さぞかし美味しかったことでしょう。
私のハネムーン出発の際には、目いっぱいカタキをとられましたよ。
ミカエル