所在地=函館市杉並町23番11号
名称=学校法人遺愛学院ホワイトハウス(旧遺愛女学校宣教師館)
五稜郭電停から、湯の川温泉へ向かう市電通りにある敷地に、一歩足を踏み入れると、そこは静寂さと緑の香りがする別世界。
奥に建つホワイトハウスは清楚な姿で迎えてくれた。
(全て写真をクリックすると拡大できます。)
ここの学院には、5つの文化財がある。
1.このホワイトハウスが国重要文化財。
2.遺愛学院本館が国重要文化財。
3.遺愛学院講堂が国登録有形文化財。
4.謝恩館が国登録有形文化財。
5.函館山麓、西部地区にある遺愛幼稚園が函館市伝統的建造物。
これらの建造物は、函館市民が誇りとする貴重な傑作建物であり、後世に伝え残していきたいものである。
ホワイトハウスは、外国人宣教師の住居として1908(明治41)年に本館とともに建てられた。白壁と尖塔、1,2階を仕切る胴蛇腹が作り出す外観の美しさが目を引く。
例年、夏休み前に一般公開され、今年もその時期に訪れてみた。
玄関と地下室の明り取り。レンガはイギリス式積み、アーチ部分も丁寧だ。
珍しい軽井沢彫りの家具。宣教師の研修会が軽井沢で開かれたときに求めたという。身も心も温まる暖炉。燃料は石炭だったようだ。
オルガンと高さ約110センチの旅行ケース。当時としてはかなり機能的デザインと思う。キャスターは付いていなかった。
ハリポタに出てきそうな古風なベッド。故郷アメリカを思いながら眠ったのであろう。
食堂。椅子、テーブルは最近のものに見える。
本格的和室もあり、日本文化を理解しようとした心が伝わってきた。
お茶、お花、礼儀作法などを学んだのだろうか?
談話室。夜や休日にはここに宣教師が集まって語らいを。奥が食堂。
木製の冷蔵庫。昭和40年代初めまでは、函館のお屋敷でも見た記憶がある。
右の大きな冷蔵庫は、アメリカの自動車メーカー「ゼネラルモーター社製」。
浴槽が日本製とは面白い。釜は循環式。
これらは、あとになって付け替えたのでは?と思われる。
洗濯機の脱水は、2本のロールの間をくぐらせる。
函館はペリー提督が黒船を引き連れてやってきた翌年の、1855年に国際開港場となった。
間もなく多くの外国人宣教師がやってきて、布教に努めるかたわら、教育、福祉などの向上にも心血を注いでくれた。
その中に、アメリカ人宣教師MCハリス夫妻の姿もあり、元町の地に「日々学校」を開いたのがこの学院の前身になっている。
受付と案内はこちらの女学生が担当、親切で礼儀正しい応対ぶりに好感が持てた。見学を終えたら、広い前庭の樹木の下で冷たいお茶を出して下さり、とても清清しい思いでホワイトハウスをあとにできた。
学院の皆様、有難うございました。
ミカエル
開設1周年のお祝いの言葉、有難うございます。
私のPCも、時々ストライキをおこしますので不安ながら使っている状態です。
「写真を撮らせて下さい」と言ったら、「だったら早めに開放しますので、思う存分どうぞ!」と、好意を頂いたおかげで、ゆっくり時間をかけて撮ることができ、やはり、宗教関連校は違うなと感じました。
1年に1度の公開、来年も見学に行く予定です。
ミカエル
まずは遅ればせながらブログ開設一周年おめでとうございます。
この夏はパソコンの調子が悪くてなかなかネットに繋がらず、言いそびれてしまいました(ごめんなさい)。
これからも「のんびり」とした記事を楽しみに待っていますね。
そして今回の記事。
遺愛学園の建物いいですねぇ。
見学のチャンスは少ないので、ミカエルさんの写真を拡大させながらじっくり見させてもらいました。
家具が昔の生活状況を伝えてくれるようで、いろいろ空想をめぐらせてしまいますね。
1年に1度の公開?が恨めしいです(笑)。