梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

雨を眺める

2011-06-02 10:10:16 | 雑記
入梅である、鬱陶しい雨の日が続く事になる。しかし私は結構雨をぼんやり眺めるのが好きなのだ、
生まれて中学卒業まで住んでいた家は親父の手作りなので正しく「そま家」と言うもので間取りは変だったが生まれ育った家だから今ても「未だ有ったらあの家に住んでみたい」家でもある、
南北に通る未舗装の県道から西側の緩い坂道を100m程度上がった所に有って1畳ほどの土間の先に4畳半程度の板敷きには囲炉裏があってそこに薄縁を敷いて食事をしていた、
後は6畳の納戸と8畳の部屋があって此処だけ畳が敷いてあった、天井はなく通しの梁と屋根の裏側が見える家だった、
この辺りの農家は余り廻り廊下はなく雨戸と障子は殆どくっ付いて作られている、縁側がないが長庇はかなり大きく出ていてかれこれ一間弱はあったのでよっぽど風が強くないと雨が吹き込む事はなかった、
雨の日は障子を開け放して畳にごろりと横になって軒を伝って落ちる雨を眺めているのが好きだった、何しろ手作りなので雨どいはない、したがって雨は屋根に敷いた杉皮を押さえている竹に沿って滴り落ちる、下の庭も取り立てて何か施してあるわけではないので幾つもの穴が開いて其れが横に繋がった様になっていた、
特に梅雨時や秋の長雨の時は細かな雨が続くと向側の山が霞んで少し離れた山の頂は雲の中に入ってしまう、
雨の日は子供たちも遊べないので村は静かである、何を考えていたのか子供の事だからたいした事を考えていた訳もないのだが妙に飽きなかった。
その後旅行に行っ時に雨に当たる事も時々有るが、寛いだ格好でやはりぼんやりと窓の外や庭を見ているとふとあの頃の事を思い出して(又、あの畳に横になって雨垂れを見てみたい)と思う事が有る、
あの土地はとっくに人手に渡り何年か前に帰ったが近寄る事すら出来ない状況だった
村は変る、田舎を出た人間にはノスタルジーの対象だが今住んでいる人にとってはリアルな現実だから仕方ないがちょっと寂しい気分になる