梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

心の振幅が狭いような気がする

2011-06-10 09:43:18 | 雑記
自分が生きる事に執着が無いと言うと恐らく嘘に成るだろうとは思う、しかしその事に関しての自覚が無い、
私の子供達は女房の連れ子である、しかし自分は本当にあの子達の父親になれたのだろうかと言う疑問はずっと有る、いや若しかしたら自分は親に成ってはいけなかったのかも知れないと自問する事もある、
ドラマや歌詞、小説や詩に大人になった人達が母親に感謝と深い愛情を表現する物が多くある、
最近は特に多い、「貴女に」と言う言い方に違和感も有るが兎に角、感謝し、若い時の過ちやかけた心配を謝る歌詞が多い、どう言うわけか父親は出て来ないのだが其れは置いておくとして自分はこの感情が余り無いような気がする、
「親に感謝しないとは」と言う誹りは仕方ない、自分の中で母親は12歳までしか記憶に無いのだ、記憶の一番古いものは姉に聞いたら「4歳の秋頃」だそうだから記憶の年数で言うと病床に居た時期をいれても8年でしかない、父親が死んだのはそれから5年後だが最後の1年半は自分が東京に就職していたので実際に一緒に暮らしたのは3年多いだけだ、しかし父はともかくとして母親に関して言えば未だ子供の感情の時期でしか接触が無い、自分がある程度大人としての判断力が着いてから親に接触する事が殆ど無かった、反抗期と言うのも恐らく表す暇なぞ無かっただろう。
だから親が無条件で子供を愛すると言う事がよく理解出来ない、理屈では解るのだが実際にそう言う記憶が殆ど無い様な気がする、15歳から結婚する36歳までは全く一人で暮らしていたので自分の事を誰かがしてくれると言う生活の経験が無い、それ以前にも母親が倒れた時は当然父親が家事をやっていたが半分は自分が担当せざるを得ないので此れを入れると24年間は自分の為に誰かが何かしてくれるとか、いわゆる「見守ってくれる」という経験が無い、永い時間は其れが極当たり前になってしまい少し違うなと言う様な事は友人の家にお邪魔した時くらいだった、
だから「只今」と言う言葉は24年間発した事も無く、「お帰り」と言う事も言った事が無かった、
一緒になって暫くした時女房が「子供を作らなくていいの?」と聞いた事があるが「俺は自分の子供が出来ても今の子供たちと全く同じに接する事が出来るか解らないから止めよう」といった事がある、
仮に外見的には同じだったとしても子供の方が其れを素直に受け取れるか解らないのも怖かった、だが考えてみればその時点で既に本当の親に成れなて居なかったのでは無いのか、何時も「この子達の本当の親にならなければ」と思って25年以上が過ぎたが孫が出来、友人の子供に対する感情を見ていて「俺は親にはなれなかったかな」と言う思いを消す事が出来ない、
人間が生き続けるという事は他の生物と同じ様に未来に向けて紡いでいかなければ成らないのだろうが其れは意識の奥に有る物で生きている時は死を恐れ死を悲しむのが本当の生き方なんだろう、しかし自分の中には傍観者のような白けた部分がある様だ、達観しているのとは違う斜めに構えた所が自分自身に見えて嫌な気分になる、