福田の雑記帖

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薬物依存症(4) 突撃錠 猫目錠として軍が使用

2019年12月09日 07時54分48秒 | 時事問題 社会問題
 昨日12月8日は、1941(昭和16)年真珠湾攻撃が行われた記念すべき日である。アメリカでは例年記念の慰霊祭などを行なっている。対して我が国の記念行事はとても少ない。メディアはあえて触れないようにしているのではないか?
 日本は当時、国際的に孤立し、国としての存続が危ぶまれる状況にあり、苦渋の決断がなされたものである。このあたりの歴史は誤解があるようで、勉強する価値は大きい。

 戦争中は覚せい剤の軍事利用があった、とされる。兵士だけでなく、工場で働く女子工員などにも用いられ生産能率向上が図られた。
 大日本製薬が覚醒剤ヒロポンを発売したのは1941(昭和16)年。同年12月には真珠湾攻撃によって日本は太平洋戦争に突入することになる。

 医薬品の分野では、1941年5月に医薬品及び衛生材料生産配給統制規則によって、全面的な医薬品統制が敷かれ、指定重要医薬品は生産許可制となるなど統制が一段と強化されていた。また、大手製薬会社は軍管理工場に指定され、戦線の拡大とともに増加する軍用医薬品の需要に応じた。
 統制下での製薬業の状況は、民間用医薬品は品不足で危機的状態にあったが軍需用には原料が割当てられ、特に覚醒剤、睡眠剤、抗マラリア剤、ホルモン剤、サルファ剤、解熱鎮痛剤、ビタミン剤などが軍管理の下で生産が強要され各地で使用された。それでも供給は不十分で、南方の戦線では栄養失調死、マラリア等の感染症死が多かったとされる。

 覚醒剤ヒロポンは、軍部や軍需工場で大量に使用されていた。しかしながら、戦争末期に資料が焼却され状況を知る資料はほとんど残されていない。散発的に、「覚醒剤は軍需工場で労働強化ために、徹夜作業にもちいられた。服用で一時的に視力が良くなることから『猫目錠』と呼ばれていた・・。」、「戦闘の前線では兵士の士気高揚のための興奮剤として覚醒剤が使われた。特攻隊員たちは「突撃錠」と称するヒロポンの錠剤を飲まされた」などなどの証言がある。

 上記の話は多分本当だろう。
 私は新潟大学の授業で、戦時中の軍需工場で働いていた若い女性たちがフェナセチンを投与され、それによる腎障害を起こしていた、と習ったことがある。当時は日本の歴史に関する知識も薄く、大きな感慨もなくそんな事実もあったのか、と受け流していたが、今は複雑な思いで日本の歴史の一場面として捉え直している。
 
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