私が患者と外で会った場合に無視、またはせいぜい無表情のまま黙礼程度としている理由は、●医師-患者という関連で、診療の場でのみ成り立つ関係である。●日常生活の中では私と知己である事は何も意味を持たない。●各自プライバシーがある。●病院外では私は偏屈な一個人であり、人とのお付き合い、対話は基本的に苦手である。
あえて理由を挙げれば上記の如くになるが、要するに私が身勝手に決めつけていると言うことである。
診察室の中では、時間に余裕があれば、職業柄かなりの対話に耐えられる。外来の始まり頃で気力が漲っている場合でも、5-6時間ほど立って疲弊しきった状態での診察でもそれほど大差なく対応できていると思う。しかし、内情は、外来診療の後半は午後のスケジュールを意識しての焦りもあり、疲れのためもあって連日の外来診療はかなりのストレスとなっている。
しかも、後半に受診される患者ほど、一般的に手のかかるデリケートな方々で、時間もかかる。毎回いつもと同じ不毛な会話が繰り返される。これらの方々に対し、すべて、優等生的対応に終始しなければならず、そこでの対話に私は本音を一切出すことはない。このような状態が続くと、時には私の身体が勝手に反応して不整脈、全身の熱感、発汗、軽度の嘔気すら伴うこともある。それでもこの対話は治療の一環だから、私としては平然と維持しなければならない。
私にとっての外来診療はこんなもので、とてもストレスである。だから、ひとたび診察室を離れた場合、出来ることであれば患者とは対話は避けたい。待合室や院内で患者から声がかけられると無視できないだけに一層辛い。だから、外来への往復も出来るだけ待合室を避けるルートを取る様にしている。
せめて院外では、患者-医師と言う関係をかなぐり捨てたい。だから、私は院外では患者に出会ってもあえて無視させていただいている。これは私が診察室ではずっと押し殺し決して出すことのない本音の一部である。
書簡への返事のハガキに詳細はホームページで、と書いた。これがハガキに書けなかった私の返事である。
あえて理由を挙げれば上記の如くになるが、要するに私が身勝手に決めつけていると言うことである。
診察室の中では、時間に余裕があれば、職業柄かなりの対話に耐えられる。外来の始まり頃で気力が漲っている場合でも、5-6時間ほど立って疲弊しきった状態での診察でもそれほど大差なく対応できていると思う。しかし、内情は、外来診療の後半は午後のスケジュールを意識しての焦りもあり、疲れのためもあって連日の外来診療はかなりのストレスとなっている。
しかも、後半に受診される患者ほど、一般的に手のかかるデリケートな方々で、時間もかかる。毎回いつもと同じ不毛な会話が繰り返される。これらの方々に対し、すべて、優等生的対応に終始しなければならず、そこでの対話に私は本音を一切出すことはない。このような状態が続くと、時には私の身体が勝手に反応して不整脈、全身の熱感、発汗、軽度の嘔気すら伴うこともある。それでもこの対話は治療の一環だから、私としては平然と維持しなければならない。
私にとっての外来診療はこんなもので、とてもストレスである。だから、ひとたび診察室を離れた場合、出来ることであれば患者とは対話は避けたい。待合室や院内で患者から声がかけられると無視できないだけに一層辛い。だから、外来への往復も出来るだけ待合室を避けるルートを取る様にしている。
せめて院外では、患者-医師と言う関係をかなぐり捨てたい。だから、私は院外では患者に出会ってもあえて無視させていただいている。これは私が診察室ではずっと押し殺し決して出すことのない本音の一部である。
書簡への返事のハガキに詳細はホームページで、と書いた。これがハガキに書けなかった私の返事である。
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