福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

映画「私は貝になりたい」

2014年04月17日 08時28分43秒 | 映画評
 


映画「私は貝になりたい」の第一作目は1959年にフランキー堺が主演した。
 盛岡市の高校に通学する際にはよく映画館街を通った。ある映画館にはこの映画の大きなポスターとスチル写真が張ってあった。当時、戦争の事など何も知らなかった私にとって、フランキー堺の悲痛な表情の白黒写真は今でもはっきり覚えている。この写真の記憶は日本の近代史を学び直している私のルーツにもなった写真の一枚である。しかし、この映画を見る機会は無かった。 

 2008年には主演がSMAPの中居正広、その妻に仲間由紀恵で2回目の映画制作がなされた。これが今回私が観た版である。放送を録画したDVDで観た。
 作品は、戦犯として巣鴨に勾留、死刑判決を受け、後に再審で減刑されて釈放された元陸軍中尉加藤鉄太郎氏の手記「狂える戦犯死刑囚」をもとに制作されている。内容はフィクションである。主人公の清水は二等兵の設定であるが、二等兵でBC級戦犯として死刑が執行された例はないとされる。

 あらすじは、理髪店を営んでいた気弱く平凡な人物の清水は戦争が激化する中、昭和19年に出征した。内地の日高中隊に所属し訓練を受けていたが、ひ弱で毎日小隊長から激しく叱責されていた。ある日、撃墜されたB29の搭乗員が山中に降下した。虫の息であった搭乗員を銃剣で刺すよう清水は小隊長から命じられた。実際には勇気がなく、怪我をさせた程度しか刺せなかった。
 戦後、清水は平穏に理髪店を営んでいたが、BC級戦犯として逮捕され、理不尽な裁判にで絞首刑を宣告された。刑執行までに長い期間収監され減刑される望みもあったが刑執行される事となる。絞首刑が行われる2時間ほど前、清水は家族宛にメモ風の遺書を残す。「こんど生れかわるならば、私は人間になりたくありません。どうしても生れかわらなければならないのなら、私は貝に生まれるつもりです。」

 私はフィクションであろうと無かろうと、第二次世界大戦関連の映画やドキュメンタリーを集中的に観ている。私は昭和20年生まれなので、体感できない当時の日本、一般庶民の生活ぶりを理解するのに少しでも役立てたいからである。この映画もその意味で大いに役立った。

 貴重な歴史の記録だとは思うが、戦時中の映画を見ていて私が不快で堪え難いのは軍隊の下級兵を殴る場面である。迫力あるカメラワークであればあるほど不快である。この作品も例に漏れなかった。
 また、出征する住民を壮行会で送り出したにもかかわらず、戦地から帰還した兵を社会は暖かく迎えていない。戦争犯罪人扱いで、家族含めて村八分にまで遭った兵もいた。GHQによる宣伝が浸透した結果であった。
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1 コメント

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貝にならず・・ (基本理念)
2014-04-20 13:06:37

あれから日本の先住民族は世界の悪徳警官による武力支配下にあります。

これが自由と平等を謳う国の常套手段、最大のテロ国家であり植民化は完了。

そういえば脱脂粉乳は家畜のエサでしたね。




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