福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

不思議な臓器「脳」(2) 記憶について(2) 理解と共感(1) 深く刻まれる記憶

2023年10月28日 06時23分31秒 | コラム、エッセイ
 記憶には深さがある。
 それを決めるのは第一にその事象に対する共感であろう。さっと目の前を通り過ぎた事象は、たとえ一瞬目を向けた、としても記憶に残り難い。

 共感は、印象付けられた物事との間に、瞬発的に生まれるものと、意図的に理解しようとする努力の中で育まれて行くものがある。

 瞬発的共感は目まぐるしい生活の中で一瞬で生まれるものだ。そのような共感を引き起こしうる事象は日常的にあふれている。
 
 特に、自分と深く関わりのある事象についてはなおの事、共感の感情的強度は増すに違いない。瞬発的に生じる共感にはそれを自分で判断する鋭い感度のアンテナと共鳴しうる素養が備わっていなければならない

 共感は調べ学習し理解することでも深まっていく。

 強い感情をもたらさなかった事象は背後に追いやられ、やがて忘れ去られる
ことになる。 

 物事と共感の距離は、自分で調整することができる。 慎重にピントを合わせ、自らの内に像を結んでゆくこと。 その際大切なのは、「理解する」姿勢である。

  全体像の把握のために情報を集め、事実と信頼できるものを選び出し、それを思考の起点として生まれるのが、理解というものではないだろうか。 そこに強い共感が伴うことがある。

 当然ながら、それには時間がかかる。 すぐに結論にたどり着き、「分かった」と満足感を得ることが目的ではない。

 つまり、理解するために大切なのは、答えにたどり着かず、常に問い続けることだろう。

 言い換えれば、自分の思い込み思考や既知の眼差しの方向性を完全に信頼しないことなのだ。自分に寄り添いすぎず、少し距離を置いて見つめること。この過程で浮かんでくる像こそが理解の形であり、やがては共感、記憶として自らに刻み込まれることになる。 自分がいかに無知であるかの自覚がスタートラインになる。

 既製の言説で満足せず、自分の足で歩いて見回し、誰かの声に耳を傾け、読書や調査など独自の方法で、物事に対する視点を築き上げること、それこそが「記憶すること」なのである。そのように時間をかけて出来上がったものは、簡単に壊れはしない。 そして、新たに何かを得る度に形を変えつつも、深く根付き育まれることになる。

 別の言い方をすれば、記憶するという行為は、簡単に消えて行くようなものをを引き留めることなのかもしれない。

 共感には物事を噛み砕き、消化を促す作用がある。
 意図的に自分で仮説をたて、消化不良を起こせば、内に留まるものに目を向けるきっかけとなる。その時、一過性のものではない、理解に依る共感的感情も生まれてくるに違いない。

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