第2次大戦の最中、日本の社会はまるごと戦時体制となり、自由な言論は消え、あらゆる経済、文化活動が統制下に置かれた。国民の全てが程度の差こそあれ、影響を受け苦渋を舐めた。
政府・軍の無謀な国土拡大政策は日本の国際的な孤立を招き、諸外国に多大な苦しみを強いた。
国民の戦意をいかに効果的に鼓舞するか。
公的機関はそこに傾注し、企業も同調した。国家の繁栄を求める国民の心理と共鳴し、戦争遂行への熱は高まっていった。
政府・軍のみならず国民が、直接的、間接的に支えることなしには開戦もなかったし、続けることもできなかった。
一方、報道機関は検閲下に置かれた。新聞も大本営発表を伝え続ける一方、戦況を正しく報じ、批判する責任を果たさなかった。
人々には正しい情報が与えられなかった。だれも戦争を止められなかった。
戦争は人を極限状態に置く。その状態では平時における倫理観、価値観を悉く変えてしまう。
第2次大戦の戦犯裁判には「勝者の裁き」との批判がある。戦争という極限状況下で日本兵も残虐な行為に手を染めていったのは事実であろう。しかしながら、米国による無差別絨毯爆撃、原爆投下などの非人道的行為は裁判では一切取り上げられなかった。
戦争を指導したA級戦犯を裁いた東京裁判は国際的に知られる。
一方、BC級戦犯は、連合国によって布告された国際軍事裁判所条例及び極東国際軍事裁判条例における戦争犯罪類型B項「通例の戦争犯罪」またはC項「人道に対する罪」に該当するとされる罪状に問われた裁判の総称。
日本のBC級戦犯は、GHQにより横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。被告人は約5700人で約1000人が死刑判決を受けた。
だが、連合国の各国がそれぞれ自国民らの被害を扱ったBC級裁判で、唯一、日本国内で開かれた横浜裁判の全容すら詳細は分かっていない。横浜裁判では約1000人が起訴され、裁判で「上官の命令だった」との抗弁を許されず、最終的に8割強が有罪になり、50人余に絞首刑が執行された。ましてや連合国各国で開かれたBC級裁判は受刑者の記録すらないのが大部分である。
日本政府は詳細がわからないBC級裁判の調査をすべきである。
その様な姿勢を欠いたまま全国戦没者追悼式を行なっても犠牲者の霊は浮かばれない。
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