福田の雑記帖

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本 村山由佳「風よあらしよ」(2) 伊藤野枝の評伝 力作と思う

2022年01月15日 18時05分31秒 | 書評
 本作は、20世紀初頭に活躍した婦人解放運動家である伊藤野枝の一生を描いた作品。

 九州の貧しい漁村から激しい向学心を持って上京、女学校4年へ編入し、翌年には級長となるノエ。実在の人物を描いた小説ではあるものの、伝記的な内容ではなく、作者は女性の活躍がまだまだ抑圧されていた明治・大正の時代に、自分の意志のままに躍動する野枝の姿を詳細に調べ、著者の心で咀嚼され、結果を生き生きと描いている。

 ノエは貧しいが故に貧困や立場が弱い女性問題に早くから目覚めていたが、貧乏であるがために郷里で無理やり結婚させられるが婚家を早々に飛び出し再度上京、教師であった辻潤と再会、同棲し二児を設ける。
 その後、ノエは女性問題、社会問題の活動を地道に続けていたが、足尾鉱毒事件に関する見解を講演で述べた大杉栄に宛てた手紙は、大杉のハートをわしづかみにして、大杉と強烈な個性でひかれあう。夫も子供も棄てて大杉のもとへ走った彼女の、さらなる精神的な高みへの飛躍はこうして始まった。「あたりを意識するあまり、自分の意見さえ口にできないような、口にすればたちまち弾圧をうけるような、そんな世の中であっていいはずがない」、その頃の彼女の言葉の一つ。

 大杉栄はいわゆるイケメンであったが同時に自由恋愛論者であった。そのために彼の周辺には常に複数の女がいて頻回に問題を起こしていた。ノエ、堀保子、神近市子、女性の三角関係ならぬ男性を巻き込んでの五角関係は修羅場となって、大杉は神近に刃物で刺され重傷を負う。これが日蔭茶屋事件である。
 女性解放運動の活動家は概して男女間の倫理上のハードルが低いように思われる。それも女性の解放なのか?

 大杉にも野枝にも定まった収入がないのに、平塚らいてうが進めていた解放運動の新聞や同人誌を代わりに出版し活動に努めたが、常に出版禁止処分を受け赤貧を洗うが如くの貧乏生活が強いられていた。約束した家賃を払えず引っ越しの頻度も数えきれない。にもかかわらず、大杉と野枝は6人の子供を育て、明るく生きていた。

 大杉が不当な逮捕を受けた時、野枝は当時の内務大臣後藤新平への抗議の手紙も書いた。この手紙は男まさりの筆跡で「あなたは一国の為政者でも、私よりは弱い・・・」とあり、後藤新平はこの手紙を書いた伊藤野枝にいたく興味をひかれた、という。この手紙は岩手県奥州市立後藤新平記念館に所蔵されている。

 大杉栄、野枝の死は闇から闇に葬られそうであったが、陸軍憲兵による拉致をつかんだ警察から後藤新平の耳にも入り、後藤の強力な指示の元で憲兵による私的なリンチであったことが明るみになった。

 関東大震災に続く社会不安の不幸な時代の事件とはいえ、あまりにも理不尽な国家の犯罪行為には怒りを覚える。「本来は国家権力の暴走を見張るべき新聞が、軍人どもの極悪非道な行為を護ってきた」、現代のマスコミはどうであろうか?

 28歳で終えた野江の人生はまさに波乱の連続で、多くの女性作家の関心を引くのであろう。寂聴にも著作、「美は乱調にあり」、「諧調は偽りなり―伊藤野枝と大杉栄(上) (下)(共に岩波現代文庫)がある。

 村山氏の作品は、概して話題が豊富すぎて時に食傷気味になることもあるのだが、この作品では伊藤野枝28年の生涯について、つぶさによく研究し、野江を取り巻く多くの人物も登場し詳しく語られる。その登場人物の視点を通して、野江の実像に迫る。資料としても参考になる。時代背景の描写も素晴らしい。力作である。
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