私が小学1年の頃から使い慣れてきた丸い卓袱台、そろそろ処分を考えている。
昭和27年に貰い火で自宅が火災にあって大部分の家財道具を消失した。家族が多かったから必要があって急遽買い求めたのであろう、中型のそれほど立派な作りではない。脚が折り畳みで比較的軽く、広げるのも仕舞うのも便利であった。
郷里の自宅で20年ほど用い、私の引っ越しについて、盛岡、秋田と渡り歩いてきた卓袱台は70歳ほどになる。私の終活のためにそろそろ処分しようか、と考えている。
丸い卓袱台は大家族の時はとても有用であった。そのイメージはサザエさん一家の食卓のシーンである。磯野家でも客間は立派な角卓袱台であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ae/e61e3d7cedcddf424656a7dd35bf8ba4.jpg)
(サザエさんの食卓研究 〜50年前、磯野家の晩酌はこうだった〜渥美まいこ 2019/03/19 より引用)
岩手の我が家では住み込みの看護師さん2-3名、お手伝いさん一人いて最も多い時で10数人家族であった。比較的立派な角形卓袱台で上座は勿論祖父母と父で、次いで私。その下座に広げた丸い卓袱台に、みんなが囲んだものである。
秋田の我が家では最も多い時で9人家族であった。
ただ、私は食事をする時でもお茶を楽しむ時でも、どうも角形の卓袱台の方が、落ち着く。
卓袱台は一般的に脚が短く座位で使う。今は脚が長く椅子で使うからテーブルと呼ぼう。
なぜ角形を好むのかと考えると、おそらく私は「自分の領域」がはっきりしないと不安を感じるタイプだから、と思う。
角形のテーブルの場合、普通は一辺が一人分の領域という感覚になる。対して丸いテーブルの場合は、どこからどこまでがこの人の領域かはっきりしない。逆に、だからこそ丸型は、ハッピーでピースフルなイメージを持つ形と言えるのだろう。歴史上でも参加者間の相互関係や席次の明確化を避けるなどの目的で円卓を用いて行われた会議は多数記録されている。
しかし、私にはどうもそれが、居心地悪いのだ。
私は滅多に客を招かない。食卓を囲むのは家族が中心であるが、食事の時に丸いテーブルだと、家族の間であっても私は、オーバーに言えば不安な気持ちが募る。
中華レストランの円卓くらい大型ならどうでもよくなるだろうが、一般家庭ではそんなのは無理。より小さな丸テーブルだと、常に誰かに領域が侵略される。
他人であれ家族であれ相対峙する時、「これ以上接近されたら嫌」と思う距離が人にはそれぞれある。私はそれがかなり広い。常にキープしておきたいその距離以下だと忽ち不安になる。
角テーブルのうちさらに縦に長いテーブルが好きだ。そこに各人が離れて座る、これが私の理想である。いま私が愛用しているのは100x170cmのガス台付きの食卓で、これ以上のサイズは我が家では事実上無理。
テーブルにも、流行があるらしい。丸い小型の格好いいのが今、若者の間で流行っているようだ。
いろいろ感慨はあるが、丸い卓袱台は今後も用いられることはなかろう。終活の対象になっている。
昭和27年に貰い火で自宅が火災にあって大部分の家財道具を消失した。家族が多かったから必要があって急遽買い求めたのであろう、中型のそれほど立派な作りではない。脚が折り畳みで比較的軽く、広げるのも仕舞うのも便利であった。
郷里の自宅で20年ほど用い、私の引っ越しについて、盛岡、秋田と渡り歩いてきた卓袱台は70歳ほどになる。私の終活のためにそろそろ処分しようか、と考えている。
丸い卓袱台は大家族の時はとても有用であった。そのイメージはサザエさん一家の食卓のシーンである。磯野家でも客間は立派な角卓袱台であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ae/e61e3d7cedcddf424656a7dd35bf8ba4.jpg)
(サザエさんの食卓研究 〜50年前、磯野家の晩酌はこうだった〜渥美まいこ 2019/03/19 より引用)
岩手の我が家では住み込みの看護師さん2-3名、お手伝いさん一人いて最も多い時で10数人家族であった。比較的立派な角形卓袱台で上座は勿論祖父母と父で、次いで私。その下座に広げた丸い卓袱台に、みんなが囲んだものである。
秋田の我が家では最も多い時で9人家族であった。
ただ、私は食事をする時でもお茶を楽しむ時でも、どうも角形の卓袱台の方が、落ち着く。
卓袱台は一般的に脚が短く座位で使う。今は脚が長く椅子で使うからテーブルと呼ぼう。
なぜ角形を好むのかと考えると、おそらく私は「自分の領域」がはっきりしないと不安を感じるタイプだから、と思う。
角形のテーブルの場合、普通は一辺が一人分の領域という感覚になる。対して丸いテーブルの場合は、どこからどこまでがこの人の領域かはっきりしない。逆に、だからこそ丸型は、ハッピーでピースフルなイメージを持つ形と言えるのだろう。歴史上でも参加者間の相互関係や席次の明確化を避けるなどの目的で円卓を用いて行われた会議は多数記録されている。
しかし、私にはどうもそれが、居心地悪いのだ。
私は滅多に客を招かない。食卓を囲むのは家族が中心であるが、食事の時に丸いテーブルだと、家族の間であっても私は、オーバーに言えば不安な気持ちが募る。
中華レストランの円卓くらい大型ならどうでもよくなるだろうが、一般家庭ではそんなのは無理。より小さな丸テーブルだと、常に誰かに領域が侵略される。
他人であれ家族であれ相対峙する時、「これ以上接近されたら嫌」と思う距離が人にはそれぞれある。私はそれがかなり広い。常にキープしておきたいその距離以下だと忽ち不安になる。
角テーブルのうちさらに縦に長いテーブルが好きだ。そこに各人が離れて座る、これが私の理想である。いま私が愛用しているのは100x170cmのガス台付きの食卓で、これ以上のサイズは我が家では事実上無理。
テーブルにも、流行があるらしい。丸い小型の格好いいのが今、若者の間で流行っているようだ。
いろいろ感慨はあるが、丸い卓袱台は今後も用いられることはなかろう。終活の対象になっている。
私の場合、独身時代が長かっため一人で食事をする機会が多かったのですが。 この場合、自分の領域も何も、家中が自分の領域ですので自由度が高かったものです。
今でも「一人飯」は好きですね! 外食時にも平然とそれをしたりするのですが、今の時代「一人飯」が市民権を得ていて、随分と気楽になっています。
娘が大学時代に大学の学食を訪れる機会があったのですが、ここでも今では「一人席」が多く一人飯が主流となっているようにすら感じました。
世は良き時代に移り変わっています!
福田先生はたとえ「一人飯」であれ、おそらく外食はお嫌いですよね?
食事だけでなく種々の座席なども同じで、発車した後、離陸準備終了などの場合は許可を得て「一人」になれる席に移ったものです。私のこの習癖にも問題点を感じますが、自分にとっては辛いことです。そばに知人がいたりすると最悪です。
世は自分にとっては良き時代に移り変わっているとは思いますが、気持ちは複雑です。
私は外食は嫌いです。多分この一年は、全く思い出せないのでなかったように思います。いや、その背景はいつも自宅に食事が用意されていると言う、超恵まれた環境のためと考えます。