福田の雑記帖

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こころと身体2022(34) いじめ(3)  いじめとは?? いじめの定義

2022年04月19日 18時58分22秒 | 未分類
 「いじめ」が成立するためには、(1)加害者の嗜虐意欲、(2)加害者による現実の攻撃行動、(3)被害者の苦しみ、の三要素が必要である。

 「いじめ」は若い人たちに特有のものではない。老若男女あらゆる集団で「いじめ」は発生し、蔓延する。親が子どもを虐待するのも「いじめ」である。特にその人間関係、人間集団から逃れられない環境下においては頻発する。

 被害者の意識を基準にした定義が散見されるが、被害者が「苦痛」と感じさえすれば「いじめ」とすれば、何でも「いじめ」になりうる。暴力行為によって苦痛を与えるだけでは「いじめ」ではない。

 いったい何から何までが「いじめ」なのだろうか。

 「いじめ」における攻撃では、被害者が苦しむことがはじめから目的とされて、被害者の苦しみが具現化され、その手応えを加害者側が遊び感覚、楽しみとして享受する。この嗜虐的意欲が、「いじめ」のコアである。

 「いじめ」の多くは、特定の一人によるものではなく、周囲に賛同者がいるなど何らかの社会構造に埋め込まれた、複数の「みんな」の勢い、あるいは「自分たちなり」の特殊な秩序を背景にしているのが特徴的姿である。

 だから、ほぼ閉鎖的な学校は「いじめ」の温床になりうる。
 学校で「いじめ」が発生する根本的な要因は、雑多な人間が集められたクラス内において過度に人間関係の親密さを強要するシステムそのものにあるから、学校、特に中学は「いじめ」の温床になりやすい。
 特に中学は一般社会のルールや常識も知らず、にもかかわらず中学生としての自覚を要求されるな微妙な位置にいる。
 学校関係者、教育関係者はこのことをよく認識してほしい。

 私は3人の子どもがいる。今とは、時代も異なっているが、わが家で「いじめ」が深刻な話題になったことはなかった。しかし、個々に聞くと多少はあったようであるが、幸いにそれほど深刻ではなかったようだ。
 今は孫たちが若干心配である。「いじめ」問題は私にとっても看過出来ない問題である。
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