福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

こころと身体2022(33) いじめ(2)  被害者の心の叫びを聞け

2022年04月18日 18時49分50秒 | コラム、エッセイ
 北海道旭川市で「いじめ」を受けていた被害者がツイッターに匿名で「私はいじめを受けていました」などと書き残していたことが1月、関係者への取材で分かった。遺族が本人の投稿と確認した。本人が詳細に残していた「いじめ」被害の経緯、当時の心情や悩みが明らかになるのは初めて。
 これは状況を判断するのに重要な示唆を与える。

 私はこのネット時代の申し子たちが「いじめ」被害についてなぜ記録を残さないのか不思議に思っていた。
 被害者本人がツイッターに書き残した内容
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●私は前の学校でいじめを受けていました。
●先輩たちと仲良くしようと頑張りました。でもどこからか変わっていくのに気が
付きませんでした。
●いつの間にかコンビニに行くときは私が全部払う。
●1人になりたくなかった。でも先輩たちといることによって私は誇りも失うこと
になります。
●居場所のない私はよくネットに籠るようになりました。
●いじめを受けてから1年たちそうなのに私は何もできません。
●何もかもが怖くて怖くてたまりません私は存在価値を見いだせなくなってきました。
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 これは、親から受けた虐待で亡くなった5歳児の残した「反省文」と同じく、読むものに深い悲しみを抱かせる。それは以下の文章からなる。
●「パパとママにいわれなくてもしっかりとじふんからもっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるしてくださいおねがいしますほんとうにおなじことはしません ゆるして」

●「きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやっていたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから もうぜったいやらないからね ぜったいやくそくします」(原文のまま)

 被害の女児は上記のいわゆる「反省文」を残していた。女児は毎朝4時ごろに起床し、父親から平仮名を書く練習をさせられていた。

 「いじめ」問題を考えていくと加害者側の子供達の行動に理解しがたい状況に突き当たる。また、学校は教育の場として専門家集団のみが担っていて、閉鎖的な、一般人には近づきがたい存在となっている。ひとたび「いじめ」事件等が生じると、いままでのケースではその閉鎖的組織の壁を打ち破るのは一般的には至難の業のようである。

 過去の「いじめ」問題の報道を通じて私は以下の疑問を持っていた。以下は2012年11月27日に記載した内容であるが現在と何ら変わっていないように思われる。

■なぜ、学校側・教育委員会は事実をこれほど隠すのか?
■学校は危機管理の面で組織的機能を果たしていないのではないか? 
■学校と教育委員会間の関係は過度に緊張関係、上下関係にあるのでは?
■教職員、教育委員会に人間をあつかっていると言う感覚が乏しくないか?
■何故被害者は誰にも相談なく死を選ぶのか? 
■なぜ子供達は同級生や学校のいじめを見て、見ぬふりするのか?  
■加害者側は遊び感覚、楽しんでいる様子で、多くの場合「いじめ」の感覚なし。
■一部に名誉毀損、強要、恐喝、暴行などを伴うことがある。これはほぼ犯罪行為であるが、被害者はそれでも隠し通そうとするのは何故か。
■ほぼ犯罪行為と言って良い「いじめ」もあるが、この場合には学校組織だけでの対応は困難だろう。 
■被害者は尊厳がずたずてにされる。大人になっても深いトラウマとして残っている様である。
■一定以上の身体的障害を伴った場合は警察に届けるべきと思う。

以上。

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