福田の雑記帖

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マンガと本と映画 葛飾北斎の娘、葛飾応為(お栄)関連3作品 (1)北斎父娘

2022年04月15日 17時47分15秒 | コラム、エッセイ
 私は嬉しいことに音楽他の芸術にも広く興味と感受性があり絵画鑑賞も好む。特に西洋画とりわけ宗教画を好むが日本人の作品にも関心と興味がある。
 その中で浮世絵の世界における葛飾北斎らの作品は最も身近な存在である。

 江戸後期の画家・葛飾北斎(1760~1849)は当時としては長寿で、浮世絵師として70年活躍した。北斉の画は江戸庶民に愛されただけではなく、ゴッホやモネ、セザンヌ、ドビュッシーにも影響を与えた。
 北斎は森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。その気概は衰えを知らなかった。
 臨終の有名なエピソードとして次の発言が残っている。
 北斎は卒寿の90歳にて臨終を迎えた。臨死にあたり「天、我をして十年の命を長らわしめば・・・、天、我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし・・・」、と言ったという。

 北斎は93回転居した。彼自身と出戻り娘の葛飾応為(お栄)が、絵を描くことに集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引っ越していた、と言う。あらゆるものを美しく描き尽くそうとした北斎と娘、共に身の周りには気が回らなかったようだ。そう言う欠陥を持っているからこそ深い技能を成し得たのだろう。

 北斎には2人の息子と3人の娘がいた。三女お栄は、北斎の弟子、助手として生涯共に暮らした、とされる。お栄は父の背中を追い、絵の道を志す。夫の作品を嘲笑ったことで離縁され、病に倒れた父の看病をしながら、己の才に歯がゆさを覚えながらも努力を続け、自分だけの光と影を見出していく。北斎は「美人画にかけては応為には敵わない」と語ったと伝えられている。

 葛飾応為(お栄)の作品は暗い背景の中に光をうまく生かして人物を浮かび上がらせる技法を持っていることから、後に「江戸のレンブラント」とまで言われたらしい。しかし、現存する作品は十数点と非常に少ないし、応為に関する資料もとても少ない。

 その中で、私にとって以下の3点は葛飾応為(お栄)を理解するのに役立っている。
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