福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

こころと身体2022(31) GG(4)  子供の日に「少年少女の主張」を

2022年04月09日 04時51分54秒 | コラム、エッセイ
 少年たちの様子を観察するのは楽しい。ただ、私にとってそうある機会ではない。
 私の偏見?なのだろうか、今の少年(少女も含む)たちは一般的に落ち着きが乏しく、心に余裕がないように見える。その大部分は少年たち自身の問題というよりは、周囲の環境に影響されたもので、いわば自我の発達が未熟な立場の子どもが、一番最初に時代の変化の洗礼を受けていからだろう。

 私が感じるに、今の子供たちは両親にとって贅沢なおもちゃ的存在、ペット的存在なのではと感じられる。育児には細心の注意が必要であり、とても費用がかかる。だからか、一般的に過干渉に見える。

 少年たちにとって、必要なものは何だろうか。
 特に年少の少年たちにとっては「遊び」の保障であり、年長の少年たちにとっては「自由」の保障、将来への「迷い」なのではないだろうか。そして、それらをやさしく見守る親や教師の心の「ゆとり」が大事、と思う。
 「遊び」を介した人間関係の構築や確執、両親の「やさしさ」を経験しなかった子どもが将来どんな大人になっていくか、心配である。

 一方、中学生や高校生になると自分の置かれた環境に対する評価もできるようになる。自立していく過程で、彼らは大人に向かって言いたいことが多数あるのではないだろうか。

 ■親にあらゆることをコントロールされ押し付けられるのは嫌だ。
 ■親の顔色を伺って生きるのは嫌だ。
 ■親から自立して別の家に住みたい。
 ■異性と付き合いたい。
 ■クラブ活動で青春を燃やしたい。
 ■友達同士でカラオケなどしたいが、親が許さない。
 ■将来への希望が見えない。自分は生きていても意味がない。
 ■・・・・・・
 まだまだあるのだろうが、私にはよくわからない。

 つまり、いつも親のいう事に従って生き、親が決めたコースに乗って正しく、まっすぐ生きる。自分は素直な子のふりをし、人前では作り笑顔をし続ける。
 だけど、そんなんじゃ、青春とは言えないのでは?

 青春とは、人の顔色を伺うものではない。将来やりたい事を求めて悩み、挫折し続ける時期でもある。

 私ども大人は子供たちの声を聞く機会をもっと持つべきでないだろうか。

 私はいつもNHK第一放送を、最近ではR1放送というらしいが、いつも微かに流し続けている。TVほどではないがラジオでもバラエティ番組というべき内容の時間が多い。勿体ないことである。NHKには世代のギャップを埋めるような特集も折々に組んでほしい、と思う。


コメント (1)
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