福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

幸福・不幸(7) 思い残す事はない死なんてあるか!!!

2018年10月29日 17時43分26秒 | コラム、エッセイ
幸福・不幸について考えても、全く結論めいたことが出てこない。まだ暫定的な結論すらも出ていない。

 ところで、死にあたって病床で発した最期の言葉として「思い残すことはない、満足だ。」と言って死んだとされるのは、捕物帳「銭形平次」の作者野村胡堂(1882〜1963年)である。上記の言葉は書評家細谷正充氏が秋田さきがけ新聞のコラムに紹介していた。
 作家「野村胡堂」は本名は野村長一。音楽評論家としては「あらえびす」の名で活躍した。その記念館は私の郷里の隣町岩手県紫波町に平成7年初夏開館した。盛岡市の中心部から30Kmほど南、近くに北上川が流れ、北に岩手山が悠然とそびえる景勝の地に建設され、数々の作品や執筆資料、SPレコードや音楽関係の資料を総合的に展示している。私も数回訪れている。
 あらえびす記念館に併設する「あらえびすホール」は小さい体育館くらいでグランドピアノと、タンノイのスピーカー・ウェストミンスター中心としたオーディオ装置もある。マイスキーによるバッハの無伴奏チェロ組曲のレコードをかけてもらったが、実演よりもいい感じ(?)で複雑な気分を味わった。静かで、とても落ち着けるいい雰囲気がある。

 古今東西の有名人の死の瞬聞をつづった、山田風太郎著「人間臨終図巻」(1)-(4)は私の書棚にもおさまっている名著で、私が日本人の死を考えるにあたって資料として参考にしているが、この中に遺言として紹介されている。

 だが、この言葉、野村夫妻と親交のあつた藤倉四郎の著書「バッハから銭形平次」には、誰かが洩らした言葉が、胡堂が語ったようにされたのではないか??と記載されているそうである。細谷正充氏も、この意見に同感と述べている。

 私もそう思う。

 胡堂は新聞記者として活躍、銭形平次を通じて国民作家となった。かつ、家庭も円満であつた。こうした胡堂の人生を、多くの人が尊敬したか羨んだか、妬んだかわからないが、本人の言葉として相応しいので、いつの間にか定着したのではなかろうか。

 「思い残すことはない、満足だ。」・・と言って死ねるのは無理やり死を容認した人の諦めの境地の言葉だと思う。本心は「死にたくない」につきる。
 身体は死の間際まで死を受け入れる事を拒否し続ける。そのために死の間際に「死戰期」と言われる厳しい時間がくる。身体が生きることを諦めたときに「死直前の安息期」が訪れる。

 葛飾北斎は90歳で死去した。当時としては超超長寿であった。それでも彼は、「天、我をして10年の命を長らわしめば・・・。いや、天、我をして5年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし・・ 」と言って死んだ、という。辞世の句は、「人魂で 行く気散じや 夏野原」。
 これは極端な例であるが、いかに考えても肉体の衰えは避けようがないから死を受け入れざるをえない。「思い残すことはない、満足だ。」は止むをえないから、仕方無く、残る人に想いをはせて発する言葉である。

 意識がしっかりして、判断能力がある死の場合、「幸せだった」と言って死ぬ人は居ない。必ず心残りがあるものだと思う。
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