福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

余生をパソコンと共に生きる(10) パソコンと新聞 新聞週間で考える

2018年10月21日 17時17分39秒 | 近況・報告
 報道の使命と責任を再確認するという趣旨で戦後に始まったのが新聞週間(10月15〜21日)だそうだ。

 かつての新聞は国民の教育と称して上から目線で編集されていた。その為に日米開戦を世論が支持したと言うおぞましい任務を担ってしまった。この点を新聞界は深く反省しているし、読者も監視を怠るべきでは無い。その為の新聞週間は重要である。

 私は新聞好きである。かつては6紙を購読していた。今は自分の処理能力が落ちたので3紙にしている。
 私が新聞に期待するのはニュースではない。ニュースはMacを立ち上げたときに出るYahooの表紙の簡単なニュースのチラ見と19:00pmNHK-TVニュースで得る。それらを翌朝の新聞で確認する、これでまず充分である。
 
 新聞を好むその理由は情報の豊かさであり、私は新聞から情報を収拾する。私が集める情報の7割方は新聞からである。

 私は新聞は朝の時間を用いて飯川病院で読む。当日の新聞は朝日のみ。秋田さきがけ新聞と日本経済新聞は前日のを読む。後二者は家族も読むから一日遅れで持って行く。

 社会面、第2社会面、文化欄、エッセイ欄、国際欄・政治欄に移る。スポーツ欄は大谷のニュースがなければ無視、芸能面は無視、それからもう一度社会面から読み、有用な記事を切り抜く。前日分の2紙は資料収集が中心になる。大体毎日40−50枚のスクラップができる。それをスキャナーで取り込み電子化する。

 新聞を読んで思うことはその情報量の豊富さである。
 新聞は冷静、客観的、俯瞰的な視点を求められるだけでなく、それを正確に検証することまで求められる。各社のポリシー、ブランドが信用の拠り所となる。

 世間には、インターネットの情報かあふれているが、その信憑性が脆弱で、私ははじめから当てにはしていない。放送などのメディアの場合も録画もできるが再度見るに値する番組は少ない。
 新聞が他のメディア一番違うところは幾度も読み返せること。つまリ幾度も読み返すに足る正確で豊富な情報が掲載されている。

 最近の新聞の嬉しいのは文化面を中心とする記事である。私はこの面に価値を見る。本の紹介、展覧会の紹介欄、健康欄、科学欄 政治経済の解説記事などが充足している。
 専門性のある医学、科学、文芸欄、書評欄には専門家の依頼原稿が高頻度で取り上げられる。記者が記述した記事より当然内容が深く参考になる。

 今年の新聞週間が終わるに当たって私の新聞の利用法についてまとめた。
 電子化した新聞スクラップは2008年から蓄積されている。読みたい記事は検索で一発で出てくる。私にとっては新聞を読むにもパソコンが必須である。

 私は余生をパソコンと共に生きている。
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