福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

日本人の食を考える(4) 人は一日3食必要か?(1)

2018年10月24日 11時03分15秒 | 未分類
 最近、大げさにいえば日本人は食うことにしか興味がないのか?と思う。メディアには美食情報があふれている。

 生きるためには栄養摂取が必須である。それを軽視する気はない。食料が枯渇した時、自分で食べれなくなったら終わり。ただ、私の目から見て生きるための食事のレベルを質量的に遥かに超えている。口から食べられない人も生かされている。

 私はTV、新聞、雑誌などのグルメ番組、記事は嫌いである——というより嫌悪している。
 私は貧しい岩手の片田舎で育った。母親も料理は保守的であった。新潟大学では6年間学生寮で一日130円の食費で、空腹を抱えた生活であった。
 そんな私は、大袈裟に言えば一汁一菜で良いのであるが、秋田に来て食材の豊かさに、賄いの石井さんが作る夕食の多様さには驚きを感じている。45年も驚き続けている。「基本は一汁一菜でいい!!・・・」、と45年も言い続けているが、秋田人には効果は乏しい。

 日常、不足なく食べられる自分の環境にこの上なく感謝している。

 私は今後の食材確保に関して厳しさを感じている。
 いま地球上には75億人いるが、食品の供給力は50億人分ほどで頭打ちになっている。20世紀までは食料は増産できたが気象変動、砂漠化、温暖化などのもと、21世紀は食料生産量増加は難しくなっている。いまや食材は多国間の戦略物質と化した。国際的に食品の奪い合いで今の所日本は優位にあるが、将来的には日本は厳しくなっていく。食品を捨てる文化を何とも思わない??そんな考えは捨てるべきだ。
 
 農産物だけでなく、水産資源も厳しくなってきた。

 考えてみれば、われわれは何で3回食事をするのだろうか??私は常に疑問に思っている。

 確かに人工的な光のもとでは起きて活動している時間が長いし、一定の労働サイクルの中では一日3食は合理的なのであろうし、生物としての食欲を満たす意味もあろう。ただ、身体が求めているのではなく、社会や文化の変化が主たる理由だと思っている。


 現代の栄養学は、人にとって真の栄養学ではなく、社会生活のパターンに迎合した栄養学だと思っている。大体、国民の1割が糖尿病及びその予備軍である日本では、「正しい栄養学の教えを実践していないからだ・・・」といわれればそれまでであるが、栄養学、食文化も誤っている、と思う。

 私は40歳頃までは3食摂っていたが、一日2食に変更した。50歳を過ぎてからは一日1-2食にした。2回の時は朝と夕、一食の場合は夕食のみであるが、それでも私自身は何ら困らなかった。65歳で現役引退したがその後は変則的に3食にしている。


 ヒトには成長期から枯れていくまでの間、それに相応しいライフスタイルがあるべきだ。活動が低下し、消費エネルギーが減少してくる老齢期には、運動の必要性や摂取すべき栄養等が著しく異なって良いはずである。しかし、これについて、大して論じられていないのが不思議でならない。

コメント
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