ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

Immanuel KantとWitchの法則

2009年03月06日 | アホな小話
もう今から16年以上も前のお話です。

初めて旦那の実家を訪れることになった、緊張度120%の訪米中の、これまた初めて旦那の親友のお宅を訪ねた時のこと。
地下にあるレンガ造りのオーブンで、自家製のピザの焼き上がりをまだかまだかと待つわたし達、
温かなレンガの壁の周りに集まってビールなんぞをいただきながら、和やかな会話の花がそこかしこに咲いておりました。
その頃のわたしは、英語を聞き取ることがまだまだ難しくて、頭の中に針金が一本ピーンと張ったような緊張感とともに、ただただ聞き役に徹していました。
なのに突然、それがいったいどんなきっかけだったかてんで覚えていないのですが、哲学者カントの名前がパァッと浮かび、これならわたしも話に入れてもらえるとばかりに、勢い良く旦那に向かって「ア、カントね」と言ったわたし。
それまでずうっと黙っていたので、声の大きさの調整がうまくいかず、それは結構そこに居る人達全員が聞こえるほどの大声だったようです。
目の前の旦那は目をまん丸にしたまま固まり、周りの人達もなぜだかマネキン状態に。
「あ、あはは、あははは、まうみってさ、ほら、発音がね、まだちょっと、だからさ、Kantね、ほら、哲学者のKant、あはははは!」
「は、はは、ははは、そうだよねえ、はははは!」

わたしの発音は「cunt」日本名「ま○こ」だったようで、先日のお話ではありませんが、思いっきりの『ポリティカリーインコレクト』だったのですね


さて、そういうインコレクトならお手の物のわたしではありますが、なんぼなんでも生徒の前ではそういうことが無いように気をつけてはいます。
そりゃまあ、わたしも人間ですから、失敗することもまあ、たま~にはあります
最近は特に、その注意力も増し、かなりいい線いってるんちゃう?と自負しておったのに……ああそれなのにそれなのに、

今夜の夕飯の支度をしようとキッチンに行くと、仕事から戻ってきた旦那が開口1番に、
「まうみ、エミリーって子、難しいの?」と聞きました。
「エミリーって、スコットとマイケルの家の?」
「そう」
同じ町に住む3人の兄妹弟トリオを教えていますが、その3人の中ではちょっと教えにくい女の子ではあります。
そこで、「まあ、そんなに難しいってことはないけど、やっぱティーンやから」とお茶を濁していると、
「今日はそこんちのマイケルのアレルギーの治療したんだけどさ、まうみ、エミリーの前でビッチって言ったんやって?」
「はぁ~~~?!」
言うてません、そんなこと、神さんに誓てもええです、絶対に言うてませんって
「大丈夫大丈夫、気にせんでもええって。あの家族、みぃ~んなまうみのことめっちゃくちゃ好きやから。最高の先生やって喜んでたから」
だから、そぉ~ゆぅ~問題やないっつうの!!言うてへんもんは言うてへんっつぅの!!

それからかなり頑張って、記憶の糸のヨレヨレをほぐしながら、必死にレッスン時の自分の言動を思い出してみました。
あっ……
彼女は基本的に、別になぁ~んにもしたくない、努力も嫌いなティーンの女の子。けれども、母親がなんとしても、音楽に携わっていて欲しいと願っていて、
本人のエミリーとじっくり話し合ったところ、歌ならいいかも、というので、最近ピアノの他に、ブロードウェイの歌を歌い始めたのです。
それで……ついこの間、オズの魔法使いから歌を選んでいる時に……魔法使いのウィッチ(Witch)のWを、もしかしたらヴィって読んだ、かも……
んでもって、発音が中途半端とかで、ビッチ(Bitch)に聞こえちゃった、かも……
でもですよ、それじゃなんでその時に、「あ~っ!まうみったら~、ビッチなんて言ってぇ~!」とか言って大騒ぎしてくれなかったのかなあ……。
そうすりゃわたしだって、「ええぇ~っ!そんなこと言うてへんよぉ~、ウィッチって言おうとしただけやんかいな~!」と訂正できたのに……。
きっとエミリー、あのレッスンの後、母親にコソコソ、兄弟にコソコソ、ほんでもって夕飯時には家族中でガハハ!なんちゅう教師だぁ~なんて盛り上がり、
それを今日、マイケルの治療に付き添ってきた母親ニーナが、楽しそぉ~に旦那に話した、というわけですね。
その部屋に居たマイケルは、その話を聞いている間どないしてたん、と聞くと、彼もニヤニヤ、とっても楽しそうだったと……。

再びの、思いっきりの『ポリティカリー インコレクト』だったのですね
外国で、その国のネィティブさんに囲まれて外国語を話す時には気をつけましょう、ね、みなさん

履歴書

2009年03月06日 | 家族とわたし
息子T、ただ今履歴書書きに奮闘中です。
彼は前々から、こちらの大学を卒業したら日本に戻り、コンピューターエンジニアリングのスキルと英語を活かせる会社に就職すると決めています。
13才まで日本に暮らしていた彼は、日本語に関してはそれほど問題は無いのだけど、こういった勝負時の日本語には今ひとつ自信が無いようで、
とりあえず日本語でどっぷり43年間暮らし、こっちに来てからもガンガン日本語を話し続けている母親に校正を頼むべかと、一応彼自身で仕上げた履歴書を送ってきました。
Tは文字だけの本はほとんど読まず、夏休みの課題図書だって斜め読みかとばし読み、読書歴はかなりトホホな部類に入る若者です。
漫画はだぁ~い好き。ブックオフや古本屋で買い集めた漫画の文庫本を、こちらに引っ越してくる時に売り飛ばしてしまい、かなり責められましたが、
なんのなんの、マンハッタンのブックオフに通い、またまたかなりのコレクションがうちの渡り廊下にずらりと積まれています。
ただ、こちらに来てからは、日本語が懐かしくなったのか、パソコンでネット新聞を読み漁ってはいました。

さて、いったいどんな文章を書いているのだろうと読み進めると、なかなかしっかり書けていて、へぇ~っと妙に感心してしまいました。
自分の長所や可能性、会社への期待感、それと繋がる夢などが、青年らしい簡潔な言葉できちんと述べられています。
どれどれ、ちょっと言い回しとかを変えてみようかな、と思い、そこでハタと考え込んでしまいました。
「~してきました」を「~してまいりました」とかに変えた方がいいのかなあ……。でもそれって丁寧過ぎてかえってマズいのかなあ……。
なにせ古いですからわたし。今の時代の若者を受け入れる会社の人事の方々とは、感覚とかがズレてるかもしれないし。
ってんで、今まさに就活真っただ中の娘を持つmanmaちゃんと、受け入れる側の経営者であるハッピーに、ちょいと尋ねてみました。

無理して丁寧語を使わなくてもよい。学生らしい文章がよい。

なるほど、やっぱりそうだよねえ。
Tも、わたしが「『~してまいりました』とかいう言い回しはどうかな?」と聞いたら、「え~っ!?そんなこと俺、言わへん……」と絶句していたし。

ってなことで、手直し無しのままメールで送り返すことにしました。
もう親になど頼る必要が無くなったんだなあ。この家からはとうの昔、今からもう4年も前に巣立ったのだけれど、
とうとうのとうとう、今回は本当に巣立つため、海を越えた遠くに離れて行く準備をコツコツと進めているT。
この書類は、そのための第一歩。彼の想いを読み進めるうち、感心しながらも、少し胸の奥がキュウッと寂しくなりました。

manmaちゃんが、お答えメールと一緒に送ってきてくれた沈丁花の写真です。花言葉は“よい前兆、栄光”。子供達の未来に栄光あれ!