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ヤルタ会談は世界を、どう変えたか

2010-02-19 | ラジオ
今から65年前の2月4日、反ヒトラー連合軍の主要3ヶ国つまりイギリス、アメリカ、ソ連の首脳がクリミア半島の保養地ヤルタの、旧リヴァディア宮殿に集まり会議を開いた。
8日間続いたこの会議を総括してスターリン、チャーチル、ルーズベルトが下した決定の数々は多くの点でヨーロッパだけでなく、アジアの戦後の秩序を決めるものとなった。
この話題に付いてロシアの声の評論員は、次のようにコメントしている。

現代に至るまで歴史学者や政治学者たちは、ヤルタ精神といった言い方をするがこれには訳がある。
この言葉にはヤルタでの3首脳の会談で見られた、対話と協力の雰囲気、ナチスの最終的壊滅と国際安全保障の安定したシステム確立に向けた強い意欲を示すものだ。
歩み寄りが達成されるときは普通、どちらが強かったのか或いは弱かったのかという問題が直ぐに生じるものだが、ヤルタで誰が勝利したのか或いは敗北したのか、といったことは意味がないように思われる。

ヤルタでイギリス、アメリカ、ソ連の3ヶ国首脳はナチスドイツに対する、自分達の共通の目標を宣言し、ドイツ領内における占領ゾーンの確定および賠償金の問題を決定した。
それ以外に会議では西と東の共通の敵、つまりナチスドイツと軍国主義日本を最終的に壊滅させるための軍事プランが、詳細に作成され取り決められた。

ロシア科学アカデミー東洋学研究所の博士は、ロシアの声からのインタビューに対し次のように述べている。
「もちろん会議が(?)的な雰囲気のなか、行われた訳ではなかったことを認める必要があるだろう。3つの国の間では激しく意見が闘わされ、(?)意見や解釈の違いが生じた。
しかしより本質的なのは結局、3ヶ国の全てを満足させる結果に至ったと言うことだ。
太平洋地域での作戦加わって欲しいと言う(?)として、アメリカの提案にソ連が応じたお陰で、(?)最後は1945年の8月に(?)ことが出来た。
ソ連軍部隊により関東軍は完全に壊滅され、満州つまり中国北東部から占領軍は一掃された。(?)
中国の完全解放、人民革命またさらに(?)革命の勝利と独立した、民主的なベトナム国家の改革のための極めて重要な(電波が弱くなり聴き取れず)

ヤルタおよび(?)会談は日本にも利益をもたらした。
会談は(?)軍国主義的(?)を終わらせる助けとなり、対外政策における過度の拡張主義を止めさせ、その後日本を世界第二位の大国に変えた幅広く民主的で、反戦平和主義的な再編に着手することを促した」
ロシア科学アカデミー東洋学研究所の歴史学博士はこの様に述べている。

ここで指摘したいことはソ連は、日本に対する復習心を持たず、ヤルタ会談では1904年から1905年の露日戦争後失った、南サハリンとクリル列島の返還を公式のものにすることだけに甘んじたという点だ。

尚1940年にすでに当時の日本政府は太平洋戦争における、ソ連と中立の引換えに、そうした措置を取る用意のあることを明らかにしている。
ここでまた歴史学博士の意見を紹介したいと思う。
「会談で国際社会のあらゆるメンバーにとって、分割(ここのイントネーションが変)されない一つのまとまった世界の、安全保障が認められたことは極めて重要だ。一言で言えばイギリス、アメリカ、ソ連の3首脳は自分達が真のグローバリストであり、良い意味でのコスモポリタンであることを示した。
それ故、現在のG8やG20は彼らに学ぶものがあるだろう」
歴史学博士はこのように述べている。

こうして歴史を振り返るとヤルタ会談に、より大きく変化したことの一つは、第二次世界大戦後、世界はヨーロッパ中心に動くのを止めたということだと思う。
国際システムは特に国連創設後、グローバルで全世界的なものとなり、そうした傾向は時と共にさらに強まってきている。

(?)は電波が弱くて聴き取れない

ヤルタ会談 世界の分割―戦後体制を決めた8日間の記録
(Nigensha Simultaneous World Issues)


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2月4日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル