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モスクワの赤の広場で行なわれた革命記念の軍事パレード

2007-11-18 | ラジオ
11月7日モスクワの赤の広場では、独ソ戦によるナチスドイツの侵攻でモスク
ワが危機にさらされた、1941年の歴史的なパレードから66周年を記念して軍
事パレードが行なわれた。
広場には1941年の伝説的なパレードに実際に参加した65人を含む、第二次
世界大戦の退役軍人700人が集まった。
この退役軍人らは1941年のパレードのときのように、赤の広場を行進すること
が出来ないものの、来賓席からこのパレードの様子を見守っている。
1941年の秋は第二次世界大戦時のロシアにとって、最も苦しい時期だった。
と言うのもドイツ軍はモスクワ近郊まで迫り、首都陥落の機会を窺っていたか
らだ。

この恐ろしい状況を前に軍人の間にも民間人にも、首都モスクワが持ちこたえ
るだろうという望みを抱く者は誰も居なかった。
と言うのも他の都市ではすてに、余りにも多くの死傷者が出ていたからだ。
なんとしてもこういった人々の士気を高める必要があった。
そのためにこの軍事パレードが行なわれることになった。

この時モスクワは厳しい寒波と雪に見舞われており、それよりも恐ろしいことは、
いつ何時ドイツ軍により攻撃や空襲があってもおかしくない状況だった、こうした
なかで当時のソ連の指導者スターリン書記長は、如何なる事態であってもパレー
ドは行なわれなければならない。と、その決行を命じたのだ。

1941年11月7日528人が終結して、赤の広場でパレードが行なわれた。
この内の一部はそのまま前線へと向かい、また多くの人が騎兵となったが、そ
のお陰でモスクワは守られた。
政治問題アカデミー副総裁は、この軍事パレードはその主要な課題を見事に果
たし、人々の士気を高め勝利への希望を抱かせたと評価し、さらに赤の広場で
この様なパレードを行なうことで、反ヒトラー同盟の諸国に対しソ連は降伏しよう
としていないということを見せ付けたと述べた。

当時この退役軍人らのように、戦って国をも守ってくれた世代が居なかったなら
ば、それに続くこの若い世代も生まれなかった事になる。

スターリン秘録

斎藤 勉,産経新聞,産経新聞社=

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11月7日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル