スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

スピリチャルヒーリングは自分探しと言う話し

2010年06月17日 | 日記

本日、大阪北区で、スピリチャルヒーリングをされているN女史と会食を致しました。
N女史は、レイキ、オーラーソーマーを今現在数箇所のサロンで、実践されております。最近は、またシーターヒーリングを勉強されております。久しぶりにお会いし、私はその向上心に感心しました。
ヒーリングには、色々なアイテムが存在いたします。ヒーリングをする方とそれを受ける方とは、殆ど1対1のマンツーマンが基本の形となります。ヒーリングを受けるクライアントは、そのヒーラーの能力や評判でサロンにやってくるのです。その目的はと言うと、健康の為であったり、心が安らかになる為であり、幸せになる為です。そしてそそれらのメリットを享受する為には、私は、何のために生きているのか、私の魂は、私に何を気ずかせようとしているのか?など結局、「自分を探し」の目的にヒーリングを受けているのです。
自分探しのヒーリングセッションですが、、霊視、レイキ、オーラーソーマー、ダウジング、チャネリング、等のアイテムで受けることが可能なのです。だからお客様によっては、多種のセッションを受けられていることが、度々あります。
N女史は、長い経験を持っています。クライアントさんが、心に伝わる答え、気ずきを
得てもらう為に沢山のスピリチャルの勉強をされています。どんな形態で、セッションをするかが、重要ではないのです。いい気ずきをしていただけることが大事ですから、やり方は、自由なのです。パワーストーン、ヨガ、催眠術など、スピリチャルヒーリングと冠をつければ、どんな方法でも規制がないのが現状です。
N女史は、クライアントに「自分探し」のお手伝いをしているのですが、本当はご自分自身が「自分探し」をしてるのではないかと思います。奇蹟を持たないヒーラーとして
その熱心さと探求心は、多くの気ずきを導くことになるでしょう。来月シーターヒーリングをしていただく約束をいたしました。

ヒーリングの癒しと言うのは、目的が最初にくるのですから、どんな方法でも、そのセッションが、満足すれば良いのです。私はそんな状況をなんら否定をする気もありません。それより霊感、霊視一発鑑定専門と言う一芸スピリチャルのほうが、なにか胡散臭く感じるのです。その理由あ、それらのヒーラーとの御縁が、影響するのではないかと思います。合えば一生付き合うこともあれば、やっぱし胡散臭いな・・・と言うケースもあります。スピリチャルヒーリングは宗教ではありませんから、生涯信じるご本尊様もいなければ、その経典もありませんし拒否することもできます。神様、仏様、キリスト様等のご本尊崇拝を基本にしているのでもありません。
それは近代になって解明されだしてきた精神の領域を研究することで生まれた癒し学なんです。霊視系と精神テーゼ分析系と分けることができます。
私はどれが良い、悪いを言える力も証明論を持っていません。

ヒーリングには、レイキ、オーラソーマー、チャネリング、etc等、それぞれのヒーラーは、その道の追求のをしていただければいいのです。
霊感師や、チャネラーなどの、どこかで奇蹟がおこりその特殊な能力が身についた方は、その能力により、その素晴らしい鑑定セッションをすることが本筋であり、絶対的な能力を使わせてもらうべきである。
しかし奇蹟をもたない人にとっては、スピリチャルヒーリングの求道は、猛勉強と時間を、お惜しまない努力との末に、やっとそのスキルを手にいれることになります。
それでも、もっと新しいスピリチャルヒーリングほ方法が登場すれば、それを勉強しなければなりません。それは奇蹟を持たないヒーラーのハンディーなのでしょうか?
N女史には、それが楽しくてしかたがないように見えました。
「私も自分探し」をきっとしているのでしょうと笑っておっしゃっていました。

海外では、特にイギリスでは、スピリチャルヒーリーングの研究が盛んにおこなわれ、社会でも認知をされ、また学問として研究されております。
哲学、自己啓発、心理学など昔からある「心の勉強」が、今世紀に入り「癒しという医学」にベクトルが向いています。不安や、心配からくる病気の根治に対してヒーリングの役目は大変大きいのではないかと思います。
西洋医学と予防医学と心の癒学で、健康な体を持つ意識は、20歳~40歳のOLを中心に幅広く、多くなってきたのではないのでしょうか。そんな彼女達の目的は、
幸せになる為の「自分探し」なんです。
今の自分はいったい何の目的で、この世にうまれたのか、それぞれ自分の魂は何を学んでいるのかを知りたいし、それが「自分らしく生きる」ことに繋がることをなんとなく判りは始めてきたのではないでしょうか。いよいよそんな年代になってきたのではないかと言う気がします。
N女史も語ります。「私は団体の中で仕事をすることに、非常に大きな苦痛あるのです。自分の記憶の中では、そのようなトラウマは見あたらない。でも魂のレベルでは、どこかにこの案件を抱えているカルマがあるのではないか」と。それを知ることで彼女は自分自身を癒すことが出来る。そして自分を探すことが出来る。


今、西成などで、職もない路上生活者の方にスピリチャルヒーリングで、自分探しをしてくださいと説いてみても、まずは飯を食うことが先であるといわれるのが落ちでしょう。また大学を出て会社に勤めて、この不況に泣いてる方にとっても、「まずは食べれるようになることが先決」と絶対に言うでしょう。切羽詰まった人々には、ヒーリングといえば、仏教も神様も、キリストもまとめてマンマンちゃんアン、どうか仕事がありますようにと、唱えるのが、背一杯でしょう。
それでも、路上生活者がおにぎりと味噌汁の配給を受けている時に、彼らのインタービューを聞くと、「感謝してます,有難い、ありがとう」と本当に感謝して食べているのが伝わります。このように路上生活者になった原因は、元元は自分自身にあるのでしょうが、そんなことをずーと考えていたら生きていけません。それより目の前にある当座の食事にありつくことがシンプルな気持ちでしょう。
スピリチャルの世界では、「感謝の心」を、本当に持つことは、上級のヒーリングなのです。毎日食えるか、食えないかを切実に考えてる人が、食事をさせてもらう「感謝の心」を持っていることに対しては、「人間、苦労をしないと感謝の気持ちがわらないのかな・・・」と考えさせられます。そんな姿をみていると、
私たちは、くれぐれもスピリチャル志向に、甘い期待や優越感を持つべきでないと思うのです。
「自分探し」は、死ぬか生きるかの厳しい冒険なのかもしれない。苦労のない人間にスピリチャルを語る資格はないのかも・・・・・・
多分、N女史もこの冒険の厳しさを理解し、長い道を歩き続けるだろう。

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