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スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみようvs7連戦の深夜バイト

2011年04月29日 | 日記

とにかく生きてみる。世間はゴールデンウイークに入った。世の中が休日になると我々のバイトも忙しくなる。そして主婦中心のバイトシフトが、この時期大幅に変わる。子供のおられる家庭では、この時期深夜バイトのしにくくなるのだろう。家庭でも外出や用事も増えるから、出勤が、減るのである。そこでゴールデンウイークであろうと、お盆であろうと、そんなの関係ない、ワンアウト、ツーアウトえを喰らった中年男に勤務シフトのしわ寄せがくる。一様は、前もってその時期の都合を聞いてくれるのだが、すでに出勤が織り込まれた話しである。
私は、同じ出るのなら気持ちよくでる・・気持ちよく仕事をさせてもらおうといく気持ちでいる。
「ゴールデンウイークは出ます!!」と答えた。「それじゃすいません、7日まで連続ですがお願いします」「はいー了解いたしました!」と心安く引き受けた。バイトは仕事をすればするだけ稼げるのであるから、出勤そのものには、有難いと思う。少しでも稼ぐことが出来ると思う。でもでも、連続7日間の完全夜勤の仕事は、体力的にはかなりきつい感じがする。昼夜完全に逆転の生活を強いられるし、また油断でもして、昼間に起きていたら深夜になってかなり応える。

さて1日目である。昼間の仕事を月内でかたずける為に、昼間に動きまわった。その夜の深夜、3時を廻ったころから急に睡魔が襲う。作業中である、動いているのであるから眠たくなるはずはないと思うのだが、脳味噌が停止状態にはいるような気がする。そしてまた、冷蔵庫に入るのだから、冬山で遭難して、眠たくなり、「眠ると死ぬぞ!」とのあの名文句が頭を掠める。
寝ていなくて、疲れて、寒いところにいると、人は眠たくなるもんだ。直ぐにでも眠れる気がする。でもここは、大阪北部中央市場のとある冷蔵庫・・・・ 遭難はありえない。

全国で働く深夜ワーカー達よ。こんなしょうむないことを言いっている私をどうか許してください。
もっと厳しい状態で働いておられる皆様に私は尊敬いたします。そして私の職場の深夜バイトをするピッキングレディーの方を尊敬いたします。深夜バイトという仕事がら、昼間の仕事と比べて極端にプライベートな話がない。それぞれ事情がり、深夜バイトをしているのであるという思量から、そのような話は全くしない。ゴールデンウイークに働くことは、その事情がひっ迫しているのではと、見られがちである。が、しかし「このゴールデンウイークに仕事ですわ・・・」「働かな食えません」などの会話はない。それぞれの事情で、この休み期間に仕事をしているのである。
私も借金があり、子供にも十分なことできませんから、少しでも働いてお金を稼ぐという、事情は、オ首にもだしていない。が、50過の男が深夜バイトで、7日連続をすることじたい、そのようなものである。だからこそ元気で、世間を羨ましいような素振りが出来ないし、今の深夜バイトの職場にはそのような会話もないし、そのような素振りもない。
特にリーダーである、準社員のパートさんには泣き言のかけらも見られない。
ここに私は敬意をしめす。この女性の、疲れを知らない、疲れを出さない、疲れぼやかない態度に対してリスペクトする。
私は、この人達に引っ張られこの黄金週間を、徹底的に深夜作業員として過ごす。
「これを乗り切れば良いことがある」という甘いスピリチャル的思考も、「これも修行・・・ただ耐えるのみ」という、苦あれば楽あり的な楽観視もない。ただ粛々と深夜バイトをこなすだけである。
そういえば・・深夜バイトの女性のリーダーさんの顔色は、健康的に白い。それは病的な白さでなく、ほんのり赤みの入った、うすピンク色である。野菜に囲まれ、野菜をさわり続ければ、野菜からもたらされるミネラルが注ぎ混まれるのであろうか? ひょっとして天然色白美肌とはこのことではないだろうか・・
そうすると、私もまもなく色白ピンク美肌になるかもしれない・・ 

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とにかく生きてみようvs刑務所に入ったつもりで

2011年04月24日 | 日記

とにかく生きてみる。今は日曜日の午後6時である。にとっては結構ユウツな時間帯なのだ。
今晩も深夜バイトに向かうのだ。日曜日の夜は、なんか仕事をする気持ちが低い。朝からそのことが頭の片隅にあり、なんか日曜日の時間の過ごし方に、計画性がない。本を読んだり、昼ねをしたり、とジート体を休めることを心掛けている。
この間から、この深夜バイトをやめようかと、思いはじめている。別に昼間に、良い仕事が見つかったわかでもないので、これのやめたいという気持ちは、完璧な私のわがままにほかならない。やっぱり深夜バイトは疲れるのだ。また深夜に備えるコンデション(大層な話)を整えるから、出歩かない・・ 少しでも眠る時間をつくるなど・・・心は、気持ちは深夜バイトの怨念に嵌っている。
そんな時に、クライアントであり、いろいろと相談に乗っていただいたりする方から、意見を頂いた。その方は私より10歳も若く、お洒落な方である。また生きるということでも真摯に考えておられる。その方が、「この時期、安定した仕事について、少しでも貯金したほうがいいよ」とおっしゃった。それは今の深夜バイトを続けるほうがいいとの意見である。
「でも、本当にシンドイのですが・・」と少し泣きをいれたことを言うと、
「刑務所に入ったと思って3年頑張れば・・」とおっしゃった。
「けっけっ刑務所・・・・」ですか・・・?
確かにそれ位の覚悟と根性をも持たなければならないのだ。刑務所に入れば、その刑期までいやおうもなくそこで過ごすことになる。自由もプライベートもない堀の中での生活である。
私は幸かまだ刑務所での生活はない。もちろんそのクライアントの方もない。
ただ、今の状況から見て、シンドイからやめるでは、周りの方や家族に対して、責任感はまったくないのだ。3年間の刑期確定。あと2年刑務所に入ったつもりで、今の深夜バイトをまっとうして、晴れて娑婆に戻るのだ。
ワンアウト、ツーアウトを喰らった人間は、色な人から叱咤激励を受ける。それは誠に有難いことである。ある人は。「死んだつもりで頑張れ」とか、「なくす物は何もないから、一から出直せ」とか・・・・でもなんとなくイメージが湧かないのであるが、
「刑務所に入ったつもりで・・」というフレーズには、小脳にある無意識の情報が、大脳にちょろちょろと流れ、言葉になって出てくるのだ。「まさにその通りであります」「今の環境を修行の場と思い・散々ついた嘘や、いい加減な行動を、見つめ直すのだ・・」と。


人のことを大切に考えなかた罪
何でも金にしか思わなかった自己中罪
自分の責任を無視した生き方罪
などの罪で、私は刑務所に入ります。犯した罪を反省し、再出発の為に、この深夜バイトに付きます。
そして模範囚として刑期の減免をして、はやく娑婆にもどります。
今の境遇、刑務所に入ったと思って、我慢をすることにいたします。

どうせおいらの行く先は、、その名も網走番外地・・・

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とにかく生きてみるvsT発見

2011年04月23日 | 日記

とにかく生きてみる。
深夜バイト連続5日目の自転車での帰りは、非常にしんどい。体力がなくなり、眠気が加わり、足が棒のような状態になっている。5段変速の自転車のギアーは,軽めの2段で、負荷がかからないけど回転数で補って前にすすんでいる。私は当然帰宅組(仕事あけだから)であり、ゆっくり走っているけど、朝のこの時間帯は通学、出勤組などは、結構ハイスピードで自転車をこいでいる。だからほとんどの人には、後から強烈な捲くりをかまされている。

さて・・・ぼっちらぼっちらと自転車を漕ぎながら帰っていた。もうこれ以上の馬力はでないぞ・・というくらいのスピードで、頭の中は深夜の仕事を終えた充足感と、やっぱりの不安感と、朝飯のこと、また16時間後には、バイトに向かわなければならない・・とかを思いながらぼっちらぼっちらと漕いでいた。

後から1台の自転車が、私を抜かす。何も感じないないまま正面をみて漕いでいた。その抜かした自転車には、女性が乗っていた。後姿だけなのでこれも私の推測なのだが、歳のころなら25歳くらい。髪の色はダークブラウンで、やや長めのソフトレイヤーぽく,身長は165CMくらいで、細身のスタイルいい女性であった。自転車を漕ぐ姿勢も、がりまた漕ぎではなく、背筋を伸ばしていたので、後姿は腰の括れが少し見える素敵なオネイさんでした。
そして、その女性のコウデが、黒の革の短めのブルゾンと、薄ピンクのやわらか素材(私の感じ)のタイトなロング丈のスカートをはいていた。その彼女も通勤か何かでいそいでいたのだろう、サドルから腰を浮かし、ややたち漕ぎの姿勢で、私の横を通りすぎ、私の目の前に割りこみ
、その姿勢で自転車に力を加え、加速を謀ろうとしていた。
後姿の素敵の女性か!!・・・自転車通勤かと思ったその瞬間、朝のお日様が、私の後ろから差し込み、その女性の背中から全体に日が照った。
頭の先から、徐々に私の視線がさがり、私の目が・・・
ロックオンした。「T」や・・・・「Tバック」や・・・・・
柔らかい素材を透して、お日様の光線の力をかりて、お洒落で、フェミニンな女性が、自転車を漕ぐ、顔の判らない、後姿だけの女性の「T」を私はロックオンしたのだ。
前えを走る「T」の速度は、私より速い。私はトップガンのパイロットと化しその「T」を追った。この追走には目的が2つある。一つは出来るだけ永い時間「T」を視やにいれておくこと、そしてもう一つは、その「T」の正体を押さえることである。
この難しいミッションを、疲れた体や足がクリアーしなけらばならないのだ。
私の自転車の変速が、重い方の4に切り替わった。漕ぎの力はいるが、加速がつけば十分スピードがでるギアー比を選び、気持ちひとつで、ただ気力のみで、体を奮いたたせ、加速をしていった。目は「T」にロックオンしている。金曜日の「T」の活躍場所は、その夜のあれ以外にはないと確信している。だからこそ、その朝のその女性のオカオを拝見させていただきたい。今日の仕事が速くおわり、世界中の幸せをこの時に集めたような、楽しそうな(はずであろう・・)オカオを拝見したいとの執念で、いままで吉本新喜劇の役者のような自転車の漕ぎ方をしていたのを、トップガンのエアーフォースのパイロットのように、私は加速した。
私の自転車が、きしみを揚げながらピタッと「T」を捉えている。基地との交信は「只今、マルハチニィマル、国道1号大日付近。東方向にて「T」をロックオンいたしました。暫く追従いたします。ラジャーと。
しかし。しかし。自分の戦闘機のスペックが古いのか・・徐々にその差は離れる。
体力と気力の勝負。最後は気持ちであると・・何べん少年野球のコーチ時代に、のたまわったか? けれどその気力が朽ちた。はるか前方を相変わらずのスピードで走る「T」には追いつけなかった。
自分の老いをみつめた。気力が上回らなかったことを恥じた。それ以上にお金のないのを悔やんだ。絶対にあの「T」のような電動アシスト付きのマシンを手にいれてやると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

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とにかく生きてみるvsシンクロするvs聖徳太子

2011年04月18日 | 日記

とにかく生きてみる。深夜バイトや、横浜への出張やら、その仕事での原稿制作とやらで、忙しい日々を、おかげさまで過ごすことが出来た。その間ブログの更新もできず、やらずのほうが正解であり、とにかく深夜のバイトに行くのに、睡眠をとらずに行き,頭がくらくらになる恐怖が先にたち、とにかく時間はあれば眠るようにしている。だから世間で起こることも、ニュースもTVもほとんど見ない状況である。
さて今思うことは・・・深夜バイトもこの辺でやめようかなと考えてる。体がシンドイ・・ やはり昼夜さかさまの週5日は、この年齢には少々堪えるのだ。だが、そこで私の潜在意識が、強烈なブロックをする。潜在意識たるもの変化を好まず、現状維持を推し進めるので、その信号は、私の意識の中に「やめてどうするん?」「折角なれたんやから・・」「毎月の安定した所得も・・また不安定になるよ・・」と・・かたくなに現状を守ろうとする私の潜在意識がある。
これは深夜バイトを始めるころもあり、「いまさら深夜バイトでもあるまいし・・」「体がもてへんて・・」「本間に、ちゃんと出来るか?」とかたくなに、現状を維持する信号やインスピレーションをバシバシ私の意識の中に送り込んできた。今どうしたもんか、それはそれで理解しながら・・冷静になって考えてみようと思う。

この間、聖徳大使の小説を読んだ。推古天皇の子供であり、実の兄弟から生まれたことで、また実の兄弟(妹)との子供が解任したことで・・ 将来の天皇の座を自ら引き、仏の道に入り、即身成仏を願い、それを成就したのだ。飛鳥時代から、わが国には、古代神道と、中国より伝わった仏教があった。この二者を択一するという考えでなく、共存するという戦略である。目的は、それぞれの平和と、わが国の「和」の為にである。ここで詳しい仏教、神道の解釈をすることは、私には出来ないが、思ったことをかく。 仏教は、厳しい、そしてひたすらであり、から農民、武士、官僚とあらゆる層にその教えが入ることが出来る。字も書けない、読めないものにも、その経を、題目を唱えれば、きっといいことがあるぞ・・教える。神道は、八百万神が、この世界を造り、この国をを民を守って下さっている。だからいつもお礼を述べ、儀礼を尽くし、敬うことが大事である。自分のことの利益だけでない、みんなの幸せ、みんなの喜びを司とっているのだと思う。だからそのみんなの幸せを願える、立場や生活に余裕がなかれば、神道は手が出せない。貧乏人の仏教と、セレブな神道と強引にわければそうなるような気がする。
今、私の机の前には、真言密教の僧侶が、8日間断食のあと護摩供養をした時の一生ものの御札と、出雲大社の神聖な土が入った祈祷済の御札がある。仏教と神道の二枚柱の体勢に、なっている。天皇家から脈々と続く、この日本国の為の平和の信仰と、自分の死感を感じ、生きての修行に励むこと、毎日が修行を実践することに、あの時代、飛鳥の時代に聖徳太子が、感じた「生きる」ということと何かシンクロしてしまった。


たいそうな話しですが・・私は道端に転がっている石ですし、この国の平和を考えるというような、余裕もありませんが・・・・

この時期、震災という国家的な大ピンチに・・八百万の神のお力で一刻も早い復興を願ってみようと思う。 またなくなった方にも、あの世で楽しく過ごされることを祈願しようと思う。

今私は聖徳太子になった。

 



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とにかく生きてみようvs独立リーグの野球小僧へ

2011年04月06日 | 日記

 

「まだ終わらぬ自分との決着。」
野球少年だった。ずーと野球少年だった。毎日、毎日、ボールを追いかけていた。高校時代は憧れの甲子園を目指した。全国の多くの球児の中で、才能に恵まれ、運に助けられ、人一倍努力した者だけが、立てる場所を目指した。しかしそれはある意味、現役生活に見切りをつけるための儀式のように選手達にせまる。多くの若者が、その儀式に従い、ユニホームを脱ぐことを自ら決断する。それでもまだ見ぬ夢に、挑戦する若者も沢山いる。しかしその若者も数年後には、またその儀式を迎えることになり、自ら決断をする。

独立リーグというプロ野球が、今ここにある。
日本プロ野球リーグという頂点を目指した、まだ諦めらざる若者がここにいる。独立リーグからドラフトやトライアウトでプロ野球の世界に入る選手は、1年で23名であろう。その恐ろしいほどの厳しい現実を前にして、そこに挑み続ける君たちは、素晴らしいほどの純粋なのであろうか?いやそうではあるまい。純粋という言葉では、あまりにも綺麗すぎる。迷い、苦しみ、もんどり打って考
えた結果であろう。
自分に負けたくない、諦めたくないというその頑固なまでの真念が、
まだ終わらない自分の夢との決着をつけようとしている気がする。
あの甲子園を目指した夏の日が、終わっていないのだ。
だから、その場所で、今のフィールドでする野球のスタイルは,鬼気迫るもの
があろうと、見るものは、ファンは思っているはずだ。
そして、独立リーグに興味のない人には、夢の挑戦と訴えても、少々のことでは伝わらないことも知っていて欲しい。朝早くから働く人々も、晩くから働く人も、みんな夢を持って働き、生きている。生半かな、夢の挑戦では、誰も見向
きもしないのが現実だ。
君たちは、少年のころから持っていた夢への決着を、多くの人の前でしなければならないという、ある意味では、美しく、惨い生き様を、この独立リーグと
いう舞台でみせることになる。
さあ、奮いたて。人は、人間のその生き様に、初めて感動をするのだ。感動を起こすことは、5万人の甲子園でも出来無い時は出来なし、500人の地方球場でも感動は呼び起こせるはずだ。
 
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