スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvsレイキでチューニングする。              10/108

2012年06月28日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。深夜バイトも週6勤というハードなシフトに体が悲鳴を上げ始めている。
先週は風邪を引き(ひき始め)喉と鼻水と疲れとで、まったく思考がなかった。見るもの、聞くものにもまったく無関心無感動の状態になり、ただただ、その日のシフトにとにかく入るが為のコンデション作りというか、体調管理をしている状況だった。

今、私小説風のワンアウト、ツーアウトを喰らった男達の生き様を小説にする企画を進めている。
主人公は私でもあり、それに影や、ふくらみを持たしたある男を想像している。ここのモチーフが、なかなかかたまらない。(すでに編集会議10回を超えている。)
それでも、何人かのバブル以降ずーと世の中の底に生きている方との取材や交流を続けて、
みなさんにもそれぞれの人生があり、決して「ドラマですね・・」では落とせない事柄もしばしばあることに感嘆している。

ここ最近はまったく旅行とかに行っていない。かれこれもう3年ちかくなる。
最後に行ったのは、ある業界の組合旅行のお供での韓国ソウル板門店見学ツアーだった。
本当に金のない時期であった。断ることもできなく、当日までになんとかお金ができるだろうという甘い考えで、連れってもらうことにしたのだが、やっぱりお金がなく3500円くらいの所持金で行ったのだ。常識で言えば行くほうが「馬鹿」であるが、宿泊と食事つきのため本当の小遣いだけでいいのでなんとかなる・・との思いだった。周りの方もまさか私の所持金が3500円であるとは思ってもいなかったようである。ソウルに到着して、送迎のバスのなかで、ウオンとの両替がいいレートで出来るということで、全員が両替をし始めた。
「とにかく30000円だけ・・にしとこ」とか、「カードがるから飲み物とか簡単な買い物だけやから」と
10000円だけ替える人のなか、「北村さんどうしますか・・?」と尋ねられる。
両替できる金もない・・・ましてやこれを替えると今度は帰国してからの日本での交通費に困る。
「私はいいです・・」と元気なく答えていた。また近況の私の状況を知っている方も「ひょとして文無し・・・・」と聞きたそうでしたが、そこは大人ですからそのまま流してくれた。
3泊の文無しを自分からバラして・・・なんとか最小限の借りで済みましましたが、「いい大人が・・」という声をまともに聞いた自分がなさけなくて・・・・情けなくて、ただ笑っているしかしかたがなくいました。・その後は何のお誘いもかかるはずもありません。

それから3年・・・・気持ち的には、厳しいこともありますが、落ち着いた生活が出来ています。
同じようにワンアウト、ツーアウトを喰らった人間が、この世間でどう生きていくかを知りたいし、書いて見たいと思うのです。必ず出版までにはこぎつけたいと思います。

私はかって「霊気」「レイキ」の教室を大阪で開講しました。
いけいけ時代の最後のプロジェクトでした。私もレイキヒーラーのデグリー3を取得して、また部下にはティチャーの講習を受講させ、レイキを広めよう<レイキで儲けように傾倒して、結局失敗に終わりましたが・・・そもそもこのヒーリングスピリチャル物に、お金儲けのネタがあること自体がおかしなことなのだといまさら思います。
その頃はただスピリチャル的要素への関心がつよく、レイキを習えれば、不思議なことが見える、もっと言えば願望がすぐにでも実現できるのでは・・などと浅はかにも思っていました。見返りたっぷりの思いが入ったレイキ教室運営は、自分が落ちていくのと平行してすぼんで行きました。それからというものレイキを人前で言うことも、することもしなくなりましたが、そこには大きな気付きが隠されていたのです。
深夜バイトは11時40分に出かけます。片道1時間あまりを自転車にまたがりただ、ただ漕ぎます。
それが・・・・しんどいのでついつい家を出る前には登校拒否の児童のように胸が苦しく、息が出来なくなることがあります。それは3日に一度くらいの割合でおこります。
まさしくストレスと呼べる代物です。これがストレスか?と思いながら、かって、学校に行くのもいやな、会社に行くのも嫌な方達を、まるで弱いもの、負け犬のように思っていた私がいました。・・・
そしてストレスなんか・考え方次第や、性格の問題や・・などとほざいていましたが、この歳になり私にもストレスが起こることにびっくりするや・・いまさらその緩和方法を持っていないことに戸惑っていました。
そこにレイキが当てはまりました。いつもより10分早めに用意して、照明を暗くして、静かにマントラを唱え邪気をはらい、両手を胸にあて何も考えないでじっとしています。胸の圧迫がゆっくりと取れていくのが判りますし、呼吸が楽になります。「あぁ・・楽になる・・は」と一人語を発します。
それでいいのです。それでありがたいのです。大きな変化や、奇跡などは興るとは思っていません。ただちょっとでも楽に出かけられたらいいのです。それで本当に助かるのです。
呼吸も落ち着いて自転車を漕ぎます。快調までいかないまでも、普通に深夜バイトに向かえることが有難いのです。

レイキで、一発当てたろう!!と思ったアノ頃。それは間違い?と誰にも言われないまま(言われたとしてもやっていただろう)そして絶対な成功の武器を持った人間のように振舞ったあのころから考えると、今、大きな気付きを得られた気がします。そんなことでも苦しむ方がいる>そして体がきしみはじめる>動くのがつらい>何処にも出たくない・・・の繰り返しをして、だんだんと孤独になっていく人の気持ちと体のバランスとの関係を・・・医学の専門ではないし、裏づけも、データーもないのですが、理解できる気がします。それは「つらいこと」です。
レイキを施すことにより、じゅわぁと泡が消えるように体にまとわりつく重い、硬い、ものが解けるのが判ります。そしてその瞬間に気づく・・・「健康が一番や!!」と。
昔なら、困っていたときなら、この命10年カットしてもいいから1000万の仕事にありつきたいと願ったこともあるし、金持ちの病気持ちなんかも、金があるからいいやんけ・・・苦しいのは明日の支払いやで・・・なんやったら変ったろうか!的な発言もしたし、恩顧ってもいたのでした。
しかし・・ようやく健康が一番・・ありがたいことであることに気づかしてもらいました。
これを気付くまで3年かかりましたわ・・・・・・・と自分にあきれる。

人間のからだもチューニングが必要であり、それに適しているのが自分の中ではレイキなんでしょう。
今日も、深夜バイトに出かける。休み明けである。最高のチューニングを施して深夜出かけることにしよう。


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生命の謎をここに探る。「それ行け精子君!!」            8/108

2012年06月12日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみるで、生きてみて役2年弱がたった。日々気ずく事が沢山ある。政治や経済などは、まだ人ごと気分であるが、50歳からどう生きるか、痴呆の両親とどのように向き合うか、私の今後について・・・果たして奇跡が起こるのかなどなど・・・日々考えながらも、最後は「笑わなしゃないやんけ・・・」と結論つけている。笑うことが一番の癒しであり、幸せを引き寄せる方法なのだろうと思う。それでもなかなか笑うことも少なくなって来ているこのごろである。


「ええか・・諸君はこの1億の仲間の中からたった、1匹だけが栄光の卵子と結合できる運命に生まれてきたのだ。」と睾丸袋の中の、正統派精子の行動を考える会の講師が声を張り上げ話している。
「この中の精子の1匹が、1億の仲間との壮絶なバトルを繰り広げ、膣から子宮へ這い上がり、微かな繊毛運動の力で卵子に到達するのである。そこには友の助けも、親のコネも、身分の差もない、あるのは己のチカラのみである。・・」と威張って説明している。
「おえ・・聞いたか。おれ自信ないな・・・1億も敵というかライバルがおんねんぞ!絶対無理無理!」とよくあるタイプの精子が隣の精子と喋っている。
「いや・・俺は行く!どんなことをしても絶対に卵子と受精してやるんや・・」と意気込む、いかにも根性がありそうな、幼少のころから苦労した感じの精子がやる気オーラー全快にはるか亀頭を眺めている。
講師がさらに煽る。
「いよいよ射精まじかになってきたようだ!!射精を強くする為の海綿体の膨張もパンパンに近づいてきているし睾丸も縮みだしてきた。」
1億の精子が今まさに射精の瞬間を睾丸の中で待っている。それは東京マラソンのスタートのようなもので、精子精子の精子だらけで渦がうねっている。

「絶対に受精してみせる」と鼻息の荒いガチ系もいれば、
「子宮までたどり着けたら恩の字やで・・」と諦め半分でその時を待つ今風の精子もいる。
また生徒会会長風のしきりやのやや左系の中高大一環教育で育った精子が言う。
「ええか!!これは一人の精子のチカラやないのや!一億の精子が集まって、皆で頂上を目指して行くのやから・・誰が一番だなんてことはないのや!!」
「みんなで受精にこぎつけるのやから・・・ワンフォーオール オールフォワンや」とやたらと民主党的な発言をする。
でも・・・これは強い精子だけが生き残る、人類創生以来の究極の勝ち残りゲームなのである。
それは・・次の子孫を残すという人間の大命題の為に、たった一回のその為にすべての力をかけて争うゲームなのである。
講師が大きな声で号令をかける。
「諸君まもなく・・・・射精がくる。それぞれ用意したまえ!!」
「決してあせるでないぞ・・膣の温度上昇に気をつけろ!また高い塩分濃度にもやられるな!」と訓示する。

そして少し浮かぬ顔をして、「そしてどうしても最後に言っておくことがある・・・・・・
この先の道中だが・・・・・必ず膣と限った訳ではない・・・」と言って少し間をおいた。
昨今では、射精の後、それはお口という所に行くケースもしばしばあるのじゃ・・・」
「えぇ・・なにそれ・・」「マジ!!」と精子達はブーイングに似た嬌声を上げた。
「実は前回は、射精したとたんに、口や、口や・・と旅立った精子の怒声がこの睾丸まで聞こえたのだ。」「射精の先はお口だったのだ!」
「実にむなしいことであるが・・・射精は選ぶことが出来ないのだ。何処に飛ぶかは出なくては判らないのだ。」それが精子の定めなのだ。とゆっくりと説きだした。
「しかし、それでもまだましだとの研究が発表されている。」と言う。このまま散っていく若精子にさらに傷口に塩をぬるように言葉を続ける。
「ケツという場合もあるのだ・・」、強烈な匂いと、常に起こる上からの腸風に、瞬く間に全滅することも添えて話した。「悲しいことである・・・が時代がそうなんだ・・・」とだけしか言えないと、諦めの口調で話す。
「ケツ。ケツ。ケツ。」と精子達が騒ぐ。
「俺はケツに行く為に生まれたのではない・・・ただ膣と子宮とそして卵子を目指して、ここまで努力してきたのに・・・いまさらケツとは・・ 俺は降りるぜ、この射精から・・」と向きを変えて膀胱の奥に行こうとするものがいた。そして何万かの精子も同じように背を変えた時、一匹の精子が皆の方に向かって、立ち上がり演説しはじめた。
「待てくれ・・そして落ち着こう。たとえこの射精が、お口であってもケツであっても、俺達は行く道行くしかないのや・・ここで背を向けたら負けや!」と良く通る声で話しはじめた。
「宇宙の星の数ほどの精子が射精され、そのほとんどが、受精という念願を果たさないまま朽ちている。それでも精子という類は次から次に生まれてきては世に放たれるのだ。今回がケツであってもそれが宿命、次回の精子達にその思いを託そうではないか?何代もの時をかけて、宿願を果たそうではないか!そしてその捨石になろうではないか!」
「それが大和魂であり、悟りであり、愛であり、仁であり、潔いよい我らの姿であるまいか?!」
「どうせ子宮の愛やぬくもりなど縁のない我ら無頼漢・・・喜んでケツに射精かましたろやないか・・皆さん!!」と半分泣きながらの演説であった。
講師もそれに聞きほれ、うんうんと頷きながら手をたたいた。それに釣られて他の精子も手をたたき始め、睾丸の中は歓喜に包まれスタンディングオベーションに変った。
隣同士で精子どうし、肩を組み、咲いた花なら散るのは覚悟・・見事散りましょ国の為!!!と謳うものいる。
そして・・講師も釣られて「行って来い・・野に咲く精子なら力の限り発射しろ・・」と意味の判らない言葉にならないメッセージを降ろした。

さぁ・・・くるぞ!!
先頭の透明なカウパー液の旦那はすでに出発した。
まもなくだ・・・弾けろ・・・飛び散れ・・・・力の限り・・・
先頭が出たらあとは早い。
「たとえお口であろうと、ケツであろうと何処でも結構だぜ!」
見事な射精をみせてやるぜ・・と先頭の少し彫りもんをいれた精子が眼を据える。
行くぞ・・・・3・2・1 今や・・とその瞬間1億の精子が睾丸から尿道を通って、亀頭から発射された。

「何ぞこれは・・・押すな、押すな・・・」
「なんやこれは・・」
「何しとんねん先頭のボケは???なんで前にいかへんのや!?」
「なんかゴムくさいぞ・・」
「ここはどこや・・」
「こら・・・押すなこのぼけ・・・・つぶれるて・・・・・・」

2014年 6月 11日 二丸三丸 第788隊
精子全員死亡 遺体はテッシュにくるめられそのまま屑篭に遺棄。
ただ先頭の精子「射魂隊」は、スキンの内側より猛攻をしかけたのち0.02サガミの内側部分は、ほころびはじめていたとの記録が残っている。

遺書
先に行く不幸をお許しください。
皆と出会えたことありがとうございます。
皆と射精できたことありがとうございます。
されどもう私には力は残っていません。
膣に行きとうございました。
子宮に当たりとうございました。
卵子と受精しとうございましたが・・・
お許しください。
私は・・・スキンの中で旅立ちます。
感謝。










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ストリップ劇場へ行く!vs40年前のアノ席でかぶりつく         7/108

2012年06月07日 | 自分的エッセー

それそろか?来たか?というよう状況になりつつある。人生でワンアウト、ツーアウトを喰らった50過ぎの男に、もう一度昼間の仕事が出来る兆しが見えはじめた。でも皮肉なもので、まもなく2年近くなる深夜バイトも、ここだけの話ということで昇給のうわさもある。ただし2桁のはなしであるが、それでも慣れたということは、反対に今の現状を守ろうとする意識が強くなってくる。だから何の為に昼間に働くのかを十分に考え咀嚼しなければ、安易に深夜バイトがつらいからだけでは、またまた繰りかえしのスリーアウトで、ゲームセットになりかねないのだ。

過っての事務所も北区にあった。だから天神橋筋は本当によく歩いたものである。
最近も、ちょこちょこディープ大阪B級グルメワイルドだろ・・・ツァーに出かける。

そこのエリアの東の端に、かの有名なストリップ劇場の老舗「東洋ショー・・」が今でも、この時代でもきちんと営業を続けている。
レージ産業、風俗産業の盛衰は他の業界よりも甚だしい。はやれば一時、落ちる時はあぁーと言う間に寂れる。しかし次から次へと新しい企画で、男たちの心を躍らす逞しさは脱帽である。
その風俗界においてすでに40年は超えたであろう・・・ストリップ劇場が昔の場所にちゃんと、今でも営業しているのである。経済評論家やトレンディーリーダー達よ、これをどう考える??
けっしてマスコミやネットで一時的にも流行ってもいない。また大阪ナイトスポットとしてローカルの連中でさえも、一杯飲んでから、「ストリップでも行こうか!」という気にも話しにもならないのである。
それでも、営業はされている・・私は嬉しい・・・多分利益の前に「このストリップ劇場の火を消してはならん・・」という頑固たる信念が、ここのオーナーには御ありなのだろう・・・と勝手に考える。

 

            

そのストリップ劇場・・名門東洋ショーに敬意を表して少し書いておきたいと思う。
あれは、中学3年生のときである。受験も控えた11月の秋本晩のころ、考えることはといえばアノことばっかしであった。いまのようにDVDもネットない時代であるから、女性のあそこは思春期の坊主にとっては興味シンシンの対象であったことは間違いない。
当時の不良グループが、学校で東洋ショーの話を嬉しそうにしていたのに感化された、われらカッコだけ不良グループが、話をして・・「僕らも行こうや・・」ということになった。
場所はあらかじめ聞いていて判るはずであったが、一番の問題は「補導」である。もし補導されたら高校受験もパアーになるのではということであった。酒、タバコ、万引き、喧嘩は・・・もう一つ興味が湧かないし、もともとのビビリ体質であるから進んでやろうと思わないが、「あそこが見れる・・・」
「それも生のあそこが見れる」ということに関しては、たとえ補導に会おうが、見れることのほうが価値があると完全に、天ばった状態で、仲間3人は合致した。
決行は次の日曜日である。打ち合わせでは・・とことんオッサンさんみたいな格好でくることを決めた。そのころ流行ったVANのアイビーバリバリは避けて、家にある最もオッサンくさい格好をして駅に集合した。グレーのベルトレスのスラックスと、親父のジャンパーをきてサングラスをかけていった記憶がある。
多分入場料は3000円くらいだった。初めて入った聖地ストリップ劇場・・・
微かに化粧と香水の匂いがした記憶がある。いかにも初めてがいかにも、常連らしいぎこちない振る舞いをしながら、やっぱりかぶりつきの席・・・一番前に陣取った。最初の踊り子さんがステージ現れた時には、心臓が破裂しそうなぐらい興奮していた。2曲ほど服を脱ぎながら踊ったあと、ステージの照明が変り、一旦楽屋にもどって、今度は特だしの衣装で舞台に戻ってくる。
いよいよ・・・・・・・ブリッジをするように片手でささえ、もう一方の手であそこを広げる。
「はい・・・どうぞ・・」と言ってかぶりつきの目の前、近々に広げて見せてくれる。
ほのかな香水の匂いが鼻につく。サングラスをはずした顔は中学3年生丸出しになっていた。
それも十分知った上で踊り子さんは・・・あそこを広げ、ヒクヒクさせてくれる。
隣の中田君の必死の顔が、笑けてくる。今井君も口を開けたまま必死で覗きこんでいる。
そして周りの大人も、我ら中学三年ストリップ初体験に大人の余裕で、「ここの子らにもっと見せたって・・」とエールを送ってくれる。
次から次へと踊り子さんが変り・・・あの隠微なスポットに照らされた、あそこを本当に食い入るように見て、脳みその奥の記憶メモリーに焼きつけた。
そして・・・・・私の一番のショットが、踊り子さんのあそこにテッシュのカスが付いていたことでる。
汚いものを見たと御思いだろうが、私はそこに、「なんと人間らしい、営みなことか!」を感じとっていたのだ。特だしや、それもあわせて「綺麗」であり、「エロ」なんだと15歳の私は思ったのです。

頭の中は、それ以外に思い出せない状態で、劇場を出て近くの喫茶店に入りそれぞれが報告会になった。生意気にもえらそうにも、グロイやんけ・・・と言いまくっていた気がする。
それでも、魚屋であわびを見つけ、3人とも無言で立ち止まったのは、それぞれの心を打つ何かがあったのではと今さら思う。

そんな記憶の残る、大人の殿堂「東洋ショー劇場」が今でも存在していることが、私は嬉しい・・
清濁入り混じった街にこそ人間らしい健全があるのではと思う。
そんな感傷に一人浸りながら・・・・かぶりつきの席に座った。
踊り子さんからダンサーに変っているさまに、仕方ない部分と少しの寂しさを感じながら・・
青江三奈の伊勢崎町ブルースの時だけ、ちょっとうかれて一人ハードボイルを演じてしまった。
ただ・・・踊り子さんとそのあと待ち合わせるうような男前には、やっぱりなれなかった。

元から一丁噛みの性格の私です。
ストリップ劇場をモチーフにしたフィクションを書いてみたくなった。
あそこより、心と頭が熱くなっている。


 

 

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