季節の変わり目、衣装ケースから出したのであろう、防虫剤の匂い。年とともに嫌でも出てくる加齢臭や、「うんん・・マンダム・・」と言うのは昔であるが、若い男性から香る柑橘系コロンの匂いなどさまざまである。
よっちらと自転車を漕いでた。後ろから当たり前ように抜いていったOL風の女性の、過ぎ去ったあとの香りが・・・・懐かしい香りである。
臭覚とは恐ろしいものである。一瞬でその記憶を呼び興してくれるのである。
あれは・・高校生である。それも三年である。わが母校追手門学院は男女共学であった。
女子も男子も18才も近くなればコロンの一つもつける生意気な年頃である。
私の席のとなりになった女子も、コロンというか香水をつけていたのである。
学校に行く度にその香りに鼻の下を擽られ、脳がその甘い香りに完全に犯され始めた日々である。
下町の野球小僧がひょっとした間違いで入学したわが母校は、私にいろいろと知らないことを教えてくれた。特にブランドという言葉には強く衝撃を受けたのを覚えている。
修学旅行で、生コン屋の令嬢が持ってきていた鞄が、今で言うグッチで、その頃もグッチだったのだが、めちゃめちゃ高価な代物であると聞かせれた。それは私が想像している鞄の値段をはるか上をいく値段だった。それにもましてグッチなる言葉を聴かされたショックははかりしれないものがあった。誰や・・・・何処のもんや、鰐や、パンダや、希少動物の皮でも使ってんのか・・とも想像をした。そのブランドによるデザインやマークに価値があることなどまったく理解できなかった。マークなら、パーマーやマンシングやラコステなどが一番と思っていた時代であった。今でも私の両親はブランドなどをまったく知らないし、その価値すら体験したこともない人であった。そんな両親で育った私であるから、知っていたのは、ワンポイントシャツや、VANやKENTの服ぐらいであり、その鞄が一桁も二桁も値段の違うことに呆然とした。
それから周りに目を向けると、結構金持ち的な男子のベルトのバックルには、「G」の文字が背中同士くっついたデザイン、「どうや・・・Gや・・Gや」と主張しているものだった。
このベルトをせん事には乗り遅れるという感覚はあった。そしてほしくてほしくて溜まらんかったのを覚えている。
サンモトヤマという阪急17番街の高級店に売っていることを聞きつけて、坊主頭の野球小僧が買いに行ったが、臆してそのサンモトヤマの入り口でびびったことは覚えている。
そしてその甘い香水である。当然ひばりが丘花屋敷のお嬢さんが言うのには、ソニプラで売っているとのことだった。「何処や・・・ソニプラてぇ・・」と恥ずかしながらも聞いた。
「梅田のソニープラザ・・」というところで外国の雑貨などが売っているところらしかった。
ボールペンの色とりどりなこと、ミッキーやドナルドのステッカーやノートなどが一杯あって、店内でキョロキョロしたのを覚えている。そこにあるコーナにコロンや香水の類が並んでいる所があった。甘い中にすっぱさの残るあの香りがあった。
ひばりが丘のお嬢さんが付けているクリスチャンディオールのディオリッシモがあった。坊主頭の野球小僧はそこでテストボトルの中身が磨り減るくらいにその匂いを嗅いだのだ。周りからは白い目で見られたし、梅田から帰る電車の中は、私の体についたディオリッシモの匂いで車両全体がくらくらしていたのだった。
そして、そのディオリッシモの香りは私の高校生活を豊かなものした。その香りを嗅ぐだけで気分はアップになり、いい香り=可愛い女性という式を造ってしまった。
ある日、食堂で狐うどんの汁を制服のズボンにこぼしてしまった。
かつおと昆布の出汁と饐えた若い男の匂いが入り混じって、うどんやの厨房が教室の片隅に出来たようになった。
ひばりが丘のお嬢さんは、それを見かねてか、匂いかねてか、これをふったらと言って、ディオリッシモを数回ピシュピシュとかけてくれた。
その一瞬・・うどんの出汁と戦ったディオリッシモは、猫の糞のような乾いた匂いを出した。
「どう・・・」と聞くひばりが丘のお嬢さんの顔が引きつっていた。
それからも、風俗やクラブや、またまた付き合った女の子の中に、時たまディオリッシモをつけてる女性と遭遇する。それを嗅ぐとアノ頃の自分の幼さがひょいと現れるのである。
しかし・・・その匂いを打ち破った、思い出つぶし的な匂いがその頃新たに登場した。
「プアゾン・・」である。大丸心斎橋の前をとうりかかると、強烈な女のそれもいい女で悪い女の香りが、鼻から脳天に突き刺さる。
坊主頭から、長髪サファーに変身していた俺は「プアゾンな女を・・いてこます」と友達によく言ったものだった。それだけ戦闘的にさせてくれたのだろう。そこで判ったこともあった。
プアゾンな女とは飯を食うなということだった。
「味がわからへんし・・周りの客が嫌がるのである・・」
さて、私の横をとうり過ぎた、朝の8時のディオリッシモの自転車女性である。
顔もみないまま・・追い越す馬力も残ってない私は、小さくなったその姿を、まるで麻薬犬のように鼻をくんくんさせながらその匂いの後をトレースして行った。
そして安威川の上のあたりで完全にその匂いは途切れた。