スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvs出雲大社教vs天皇陛下

2011年03月30日 | 日記

とにかく生きてみる。この間、従兄弟に誘われて、出雲大社教の高槻和講社というところに出向いた。従兄弟は、この数年間で、家内や友達、別の親類の子供のことなどのことで相談に行っているとのことであった。民家の中に祭壇が祭られているだけで、外から見るにも何の、慇懃さも、宗教的な匂いもしない雰囲気である。
その日は、その地に出雲大社の分詞である広島分詞の高槻神社の設立17周年の、特別大祭であった。集まった人数は30名くらいで、年代は団塊の世代が多くかった。そして私が驚いたことに、この講社に集まっている方は、医者や、大学教授や、銀行支店長さん、会社役員(顧問)など、一般に世間から言うと、立派に成功を収まられている方が殆どです。私の従兄弟も京漬物の製造販売をしていて、マンションのもっていて,権利収入のしっかりとしているのです。
そこでのメンバーでは、まず私が一番、金銭的には逼迫している人であるのは間違いないようでした。
この出雲教も困っている人の救済を、こことのご縁になることで救われるということを、公には言いっていないが、その事実は確実にあるという会話が、ちらちらと聞こえてくるのです。
また、私の従兄弟も、その救済を信じて何回か、この神道にご縁を頂いているのです。


神道とは、日本国の成りたちの時からの神話伝に元ずくもので、八百万の神を崇拝する多神教であり、自然に存在する色々なものを神格化しているのである。(詳しいことは別で調べてください。) それは、正月の初詣や、結婚式、地鎮祭などでも親しみがるように、気軽に受け入れることが出来るのである。だからそれ以上もそれ以下も、自分では入りこまなかったのだろう。
また、会場の雰囲気も何処かの霊感宗教のような、怪しさもなく、「神道と語る会」みたいな、明るさと、コモンセンスが漂っている。着ている方にも、個人的に問題を持っているように見えないのだ。
話はそれるが、昔、手形である失敗をして、民生の友達に相談したら、「いちょうの会」に行ってみてはと薦められ、多重債務者の集まる「いちょうの会」に行ったことがる。そこでは弁護士や、行政書士が、一人一人から事情をきくのだが、その聞き方がえぐい。全員を前にして、一人一人が、この債務者になった経過や、今の状況を話すもんだから、会場は暗いーー雰囲気につつまれ、今にも自殺しそうな人ばかしに見えた記憶があり、なんか自分の債務なんか。この廻りの人に比べたらまだまし・・と思い、途中で帰ったことがある。その逆の雰囲気で、ここに集まる人は誰も困っている人がいないし・・間違いなく楽しい、生きがいのある人生を送っているように伺えた。だからいつもと雰囲気も違う。
勧誘や、導きや、祈祷や徐霊の単語はまったくでないのである。神道をその辺の安物ヒーリングや、俄か癒し処と一緒にしてもらっては迷惑・・ いやいやそんなことも意識していない気高い風がただよっている。でもそこの講長先先は、何かオーラーを持っていることが、私にも理解できるのだ。
君が代の斉唱ではじまり、祝詞とや,玉串の拝礼などの式次第が進み、最後に祖霊拝詞で、40分位で式は終わった。そのご祭司さんのお話がりました。
天皇陛下は、伊勢、出雲、その他の神宮の全ての神主(カンヌシ)の長であり。日本神道の最高の神主であり、八百万の神の斎詞である旨を話された。神は色々なところにおられる。月、火、水、木、金、土、日などにおられる。いかにこの神さまとシンクロする事が大事である。そうすれば、いい方向に物事はすすむという・・単純明快なお話である。南西の方角にいい場所があり、何かでそれは知り、その場所の辿り着き、感謝の気持ちで謝辞を言えば神さんは、いい方向に向けてくださるのである。ただ、その場所、もの、現象に対して、我々は健気に考えていない今の風潮がある。タバコのぽいすて、つばを吐く、ゴミの扱い、から土地にたしての人間の慢心な開発など。神さんとは、それではシンクロしないのだと・・何か私なりに理解したのだ。

だから・・こうしよう。。天皇陛下ならこれはしなだろうと考えてみよう
タバコのポイ捨て、つばをはく、ゴミのちらかし、トイレの小便のまきちらし、直ぐ切れる、小さい儲け話し、簡単な嘘、自分かってな行動・・・などなどもっといっぱいあるだろうが、まずは、八百万の神とシンクロをする為には、時と場所と己の心を浄化しておくことが大事である。

自転車で走りながらのタバコ。天皇陛下ならやらないだろう・・と、すっーと心に落ちる、このロジック、なかなかいけそう気がします。そして近々、大国主とシンクロできる気がしてならんこの3日です。

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とにかく生きてみるvsストレスが溜まる

2011年03月23日 | 日記

とにかく生きてみる。ワンアウト、ツーアウトと、社会的に信用されない中年の男になって、今深夜バイトに出ている。とにかく人に迷惑を掛けているし、家族にも迷惑を掛けているこの身です。はやく借金を返し、今後の生きがいを見つけて行きたいと強く願望している。
また、昼時間にやるつもりであった仕事も、芯を食った「これかも・・」という手ごたえも感じられていない、超中途半端状態にいる。
そんな毎日を過ごしていると、やはりストレスが溜まっているのがわかる。
イライラするし、今後のことを考えると心配にもなるし、また時間が、残り少ない時間が、すごいスピードで流れていき、このまま終わってしまうのか・・という思いにつよく駆られる。
これはストレスなんだと気がつき、そのことをしばしば、通勤の自転車を漕ぎながら考えることが多くなった。

ストレスを解消しよう・・・ やりたいことをしてみよう・・・ 美味いものを食べてみよう・・・
ゴルフに行って汗をながそう・・ カラオケで下手でも気持ちよく唄おう・・ 映画をみよう・・
風俗に行って一発抜いてもらおう・・ でもこれらをするにはお金がかかるのである。お金に苦労して、ストレスを溜めていて、そのストレスを解消もしくは、美味く付き合うためにはお金がかかるのである。人に迷惑を掛けている身分で、ストレスがたまったからと言って、美味いものを食べに出かけることが、正義なんだろうか? 債権者や私の被害を被った人に黙ってすれば、いいのでるが、と思う。
280円の牛丼と、王将のセット650円でずーと済む分けもない。が、やはり美味いものを腹い一杯食べることで、そのストレスもその場は解消されて、また前に進めるのかもしれない。でも一人行くのも侘しいから、知り合いの人間をさそい、仕事抜きで話をすることも必要であり。そのあとのスナックで、歌に興じてみるのもストレスが解消される。なんなら、安い風俗に行って、気持ちよくしてもらい、「うん・・頑張るぞ」と思うのもストレス解消になる。
これらの係る費用は、一人頭20000円とする。風俗に行った場合は、あと20000円が必要である。この20000円が、ストレスになる。
何故使ったのか・・・ もっと有効的に使うことが出来なかったのか・・ 仕事の営業に廻わる経費に使えば、離れた子供に飯でも食わせれば・・ ほんの少しだが、迷惑掛けた人に返済をするとか・・と頭に後悔が残る。

たまにはゴルフに行って、焼肉を食べて、スナックに飲みに行って、明日の活力を養い、更なる頑張りを自分に約束する。・・・・・これはまともに生きている、普通に迷惑を掛けないで生きている人の発想であり。ストレスの解消方法である。ワン、ツーとアウトを持っている人間では、まずお金を使うことが、許されないのだ。もっと言うと月収が少なく家族、子供の面倒が見れない男に、ストレスの解消などと言う甘い行動は存在しないのであろうか?

この間の連休に焼肉を食べた。その後スナックに行った。帰れなくなりサウナに泊まった。
私は、この一連の遊びで、その場にストレスを置いてきたと思った。が、その翌日からのキュお烈な後悔が始まった。25000円ばかりのお金で、ストレスを置いてきたが、その後悔でまたストレスがたまった。というより「これでいいのか?」と数日考えた。
25000円は深夜作業3日分である。それをもったいないと言っているのではない。
25000円を、これでよかったのか・・と胸が苦しくなるくらいに、悩む自分に対して、激しいストレスを感じているのである。なんとも心の狭い、ビビンチョな男だろう・・
とにかく生きてみると・・恥も、プライドもそんなものお構いなしに生きてやると・・と意気込んでみせても、焼肉、スナックのこの連携プレーに、ストレス美味く抜けない私がいる。
思い切って出家をと思うが、それも出家している僧侶達には、失礼な話しである。
それもこれもとにかく生きてみる・・というまだ甘い生き方をしていることなんだと思う。

とにかく生きてみる・・にも目標がいると思う。だらだら仙人のように吟遊を楽しむことをコンセプトにしている訳でない。どんな場所、環境でも、恥も罵声も年の差も、雇用関係も全て、飲み込んで、生きることを今している。絶対に自殺はしないということだ!!
だから、このストレスも、ジーとしていても溜まる。それを解消する為に使えば、またストレスになる。この循環を、解決しなければならない。
「目標100万」で、貯金をしようと決めた。今決めた。
出し入れできない口座に100万貯めよう。それにはストレスが溜まらない気がする。

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とにかく生きてみようvs東北地方大震災

2011年03月15日 | 日記

とにかく生きてみる。深夜バイトが忙しさ満タンのここ2週間である。
1週間で、1日しか休まないで出勤している。いくのが、いやだ!と考えることもある。
そして、ここ最近では、もっとも心に同様したのが、成人した娘の姓名のみよじが、別れた元妻のみよじに変わっていた。娘も多少気を遣ってか、メールアドレスの変更のお知らせと共に、
サブジェクトで軽く伝えてきた。前からそうなるような気がしていたが、少し複雑な気持ちが、心にこみ上げてきた。またこの結果については、言い訳もないので、現実は現実として捉えることしかできない。また、まで成人なっていない2人の息子も、成人すればみよじを変えるかもしれない。それも現実をそのまま受け止めるだけだろう。 あのときこうすれば良かった、などの言い訳もしても意味がないだろうし、今ここにきて誰に見栄をはる必要もないから、何の行動もとらないつもりである。姓名がかわろうが、その血のつながりがある以上、君たちは私からすれば、娘であり、息子であるのだからと・・・思う。この先の人生を頑張ってもらいたい。

そんなこんな時・・東北地方の大震災を知った。
道路や家や、公園や、工場や、人の手で造ったものは、壊れても、流されても、何時の日か必ず復活すると信じる。でも人の命はその限りでない。多くに人名が失われた。家族にとっては本当につらいことである。私にできることは、ありふれたことでしかないが、「ご冥福をお祈りいたします」と遠いところから手を合わせることでしかない。
そして残った人には、この震災からの復興を、どうか頑張ってくださいとしか言えない。
あるがままの現実を、受け止めて前に進むしかないのである。


私は、この震災のニュースを知ってから、深夜バイトに向かう中、自転車を漕ぎながら、頭に浮かびワードがる。それは「臆病」である。臆病になっている自分がいるから、多分そんなことが出てくるのであろう。その意味とは、「ちょっとしたことにも怖がったりしりごみしたりすること。また、そのような人や、そのさま」とある。 今私は、生きることに対して臆病になっていないか・・と自問しながら、4KMほどの通勤を自転車を漕ぐ。娘よ、息子よ、父は今臆病という病気になった。この病気は、自分でしか治療は出来ないのだ。そしてその治療は、人それぞれでるが、私の場合は、日々の積みかさねの中でそれを癒したいとしている。積み重ねしかない・・時間のかかる方法である。でもやるべき方向が判りかけてきた気がする。
それは「侠気のある人間」になりたいと考えている。それは損を平気で出来る人間だ。それが利益にならないと思っていても、平気で出来る人間になる。
震災の影響を受けて、さらに厳しくなる経済状況のなか・・それでも朝早くおきて徒歩で会社に向かうサラリーマンの方、280円の牛丼で昼を済まし、少しでもと心配る義捐金をする方、被災地の子供のことを考え、心いたたまれなくなる、子育て大変の主婦の方に私は、畏敬の気持ちを持つ。
世間の、ワンアウト、ツーアウトを喰らっている、「サーどうするこれから族」の人間よ・・
自分の明日も、1年後も、この先の将来も今の所ない中で、この震災を切っ掛けに、胆力の座った行動や、発言ができるのか・・ 我が咲き、人が痕(変換でこのようになったから、ここはこのままで・・)をやめて、損をしてでも、人の為に動いてみませんか・・とまずは自分に言い聞かす。
人として、男としての原点がそこからだと思うから。

そして娘よ息子よ、元嫁よ・・
太宰 宰は言っている。「諸悪の根源は家庭の平和」だと。
苦笑いがでるが、何かをついている気もせんでない。

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とにかく生きてみるvs応援するDNA

2011年03月06日 | 日記

とにかく生きてみよう。ここ最近は深夜バイトも春野菜の出回りで結構忙しいく、組織変更があり、人員が足らなくて、休みなしでも出勤で、体がかなり参っている。
そんなこんな時こそ別のことで忙しいくなるのが、世の中の常であると感じる。

年明けから関わっている、関西独立リーグの兵庫のチームのスポンサー活動のお手伝いをしている。また今後この球団が、我が街の市民球団として、イメージと経営面が成り立つような企画を考えている。そこでいつも根本的な理念の部分に帰依することが多々ある。
「応援してください・・」と訴えかけることは再々やっている。しかし我がの生活も厳しいこの現実において、余裕がないという返事が大多数を占める。市民球団として、少ない負担を広く集めることが最もこのましいと思う。しかし今年立ち上がったばかりの独立リーグの球団に、それほど人気もあることはない。しかし市や公共の施設の無料貸与であったり、地元企業さんのバスの提供であったり、まだ少人数だあるが、一口スポンサーからの支援であったりと、有難いことに応援をしていただける方も増えつつある。それでも年間運営をしていくにはかなりの予算が不足している。
今時、野球をやっている若者に応援をしようという気持ちになるということは・・・を考えてみた。
まず、企業さんからの支援であるが、この厳しい社会情勢で、シビアーなお金の遣い方を考えた場合、マイナーなこのリーグに支援するメリットは、という問題が起こってくる。メリットなどはほとんどないだろうと思う。そこに無理やりメリットをこじつける企画はまったく意味がない。
市民サポートさんも、どれほどの真剣さで、運営をしているのか、また地元に根ずくのかの確約や、保証もないのだから、ヒートアップしないのも十分当たり前のことであろう。

応援をする・・・ということは、人はどんな気持ちでするのか?
坂道で、リヤカーを引ぱっている人がいた。それを近くで自分が見ていたら、後ろにまわって、押してやろうかなーと言う気持ちになるだろうと思う。人間の心には、苦労している人、困っている人、頑張っている人に応援をしようという感情があると思う。これは昔からある人間のDNAなのかもしれない。ただ応援の仕方が、各個人によって違うだけである。頑張ってと声を掛けることも応援だし、手伝いましょうかと、体を提供してもらうことも応援である。また冷たい物でも飲んでと言って少しのお金をカンパしてくださるのも応援である。色々な形の応援があるのだ。
ただ、人の心の中には、頑張っていたばらば、それが困っていたなら応援しようというDNAがkならず存在すると思う。
高校、大学を終わると、それと共に野球人生に決別をして、新しい道を歩むことがまともなことであろうと思う。プロに行けるのぞみや、社会人で給料を貰いながら野球をすることがたたれたなら、生活をする為に、別の道を生きる決心をすることが普通である。
それを、アルバイトをしながら、プロとして野球を続けることを選んだこの若者こそ、「野球小僧」中の「野球小僧」であろう。こんな野球馬鹿を応援したくなるのには、理屈の論理の打算もない。険しい坂道をリヤカーを引っ張っている君たちを見て、私のDNAが、何か応援したくなったのである。
企業球団から本当の市民球団となり、地域の人々と感動を共にすることが球団のコンセプトである。企業からの支援もそれは有難いが、市民球団としてのコンセプトが崩壊する危険も含むことも忘れてはいけない。
この独立リーグは、その地位に住んでる人のみならず、多くの野球ファンにとっても一つの無形の文化である。それを野球はプロ野球12球団が独占して、そのリーグにいる個人が独占的に利用することは、可笑しいのではないかと思う。
野球界での上がった利益は、もっと還元されてしかるべきであると大いに思う。

NPBのお偉い方や、12球団のオーナーさん達。年間数億円を稼ぐ選手のみなさん。
野球という思い荷物をリヤカーに載せて坂道を登っている人をみて、みなさんのDNAが、何を訴えかけていますか? 野球は文化なら、それを社会に貢献することをしてみようとは思いませんか?今のプロ野球が、興行としてこの先終わらないことを願うだけです。

 

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