スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみようvs私の血脈vs漬もの屋の子せがれ

2011年07月30日 | 自小説 ノンンフィクション小説

とにかく生きてみる。深夜バイトから戻り、朝からカレーライスを平らげると、スプーンも握ったまま眠りにつけるくらい、即、涅槃にはいる。まったく昼夜逆転は、ただ12時間進めたくらいの話ではない。午後三時ころ目が覚めると、既に町並みは、夕方から夜の景色を漂いはじめている。
また、仕事か!!と思いながら、図書館で借りている本を読んでいる。
本当にムチャムチャのポリシーなしに本を選んでいる。
これは、電子出版では絶対出来ない本選びであり、松岡正剛などは、「本との出合い・・」と言っている。自分の潜在意識にある思いや、問題などが、偶然にそのテーマーの本を手に取る時がある。それこそ至極の出会いであり、なにか大きな宇宙の力と縁を感じるのである。
さて・・・ハートウオーミングが欲しかったので、浅田次郎の本を借りた。ぽっぽや(鉄道員)でおなじみの浅田次郎さんの小説には、貧乏な家柄に生まれながらも、貧乏とどう向き合い、生きるのかを主眼においた作品がある。
その中で、古い小説だが、「壬生義士伝」を読んだ。幕末南部藩を脱藩した、貧しい足軽侍
吉村貫一郎が、嫁、子供の為に新撰組に入り、その給金を全て貧農の国元に送り、家族を食べさすというスクリプトである。またその前には昭和の初めに満州国で、馬賊の頭目として、貧乏に苦しむ民の為に生きた張作霖の話も読んだ。

貧乏の家に生まれる・・・とは・・ またその運命を甘んじて受けて、生きるということは・・・
私が生まれた時代は、戦後の高度成長期期であり、私の家も商売をしていいた関係で、豪勢ではないにしろ、学校にも行き、遠足のおやつも困ることなく、また近所の野球チームにも入り、上を見たらきりがないが、何不住ない生活をさせてもらていた。ひとり息子ということもあり、わがままな暮らしは、今もその癖が抜けない時が多々ある。

そもそも私の両親は、二人とも裕福な家庭の出ではないと思う。今でこそそれらの実家では、土地の高騰もあり、半農半業で、農地が転化され、マンション経営などの権利収入もあるみたいであるが、両親がまだ子供のころは、本当に苦しかった時代があったらしい。
そんな人間の息子である私は・・大きな勘違いを子供の頃からしていたのだ。
昭和30年代ころは、どんな商売でも流行るといわれた位、人が多く、まだお店が少なかった。
両親は、それぞれの実家で作っている、京漬物と伊勢沢庵を大阪で製造販売していた。
もの心ついた頃には、お店には、親父の弟と、親戚の人と、知り合いの若い人を雇い、チョコチョコ出来かけていた、スパーにも商品を卸していた。子供心にも、私は、両親が、その身内が作る漬物が、日本一だと思っていたし、信じていた。しかしそれとは反面、学校で漬けもの屋と呼ばれることが嫌だった。そのお金で、学校にも、野球にも、遠足にも・・また私立の高校大学にも行かしてもらったのに、そう呼ばれることを嫌った。正月前の暮れには、配達の手伝いをするが、同級生の家に行くのが本当に恥ずかしかった。しかし、それを見破られることはもっと恥ずかしく、小学校、中学校では、元気のある、超明るい、前向きな少年であり、青年でいたのだ。
そのキャラが、だんだん馴染んで生きながらも、漬けもの屋の子供であることよりも、それを恥ずかしく思ってる自分の心を誰にも悟られずに生きていく方法は、無鉄砲、ドンキホーテ、夢見る夢男としてのキャラを長年演じ、自分をごまかしてきた。
でも、今・・・思う。
私は紛れもなく、漬けもの屋の、子せがれである。両親が、あの時代に一生懸命に働いてくれたお陰で、何の不住なく生活できたのだ。商店街のシャッターの家に生まれ、朝から生ゴミの匂いのする漬け込み場を通って学校に行く、商売人の息子である。そんな息子が、大きな勘違いをした。クリエーティブな企画マンとして、飯を食おうなどと思ったし、ただ思いつきのアイディアがたまたま成功したことで、有頂天になって生きていた。
私は、漬けもの屋と呼ばれるのが嫌いだった。またそれは恥ずかしく思っている自分が、人にばれるのを恐れていた。
正月前に送られてくる、父の弟がやってるお店からの漬物の味がある。
この味が、父や母が造り、お客様に愛されていた味であり、私を育ててくれた味なのだろう。
両親は年をとり、既に商売はやめている。そんな私だから後を継ぐなんて考えもしなかった。

ここに、父が少ない年金から買ってくる野菜がある。それらの野菜もなんか、しおれていて、B品ぽく見える。漬けものとは、そんなB品の野菜を旨く漬け込むことにより、美味しくして、売ることで利益を上げる商売なのだと思う。
B品しか買わない父のセコサを嘲ていた私がいた。
しかし、私はまぎれもなく、漬けもの屋の息子だったのだ。私の血脈にそれが残っているとしたならば、コツコツと一個一個を商売していくことなのだろうか?
所詮大きなことは出来ない器であると知る。
そして仕事に貴銭なし。何ものをも感謝を以って受け入れる。
そこに幸せになるためのヒントがあるように思えてしかたがないのだ。



とにかく生きてみようvs名前を言われること

2011年07月27日 | 自小説 ノンンフィクション小説

とにかく生きてみる。深夜バイトが、加速しながら暴走している。休みの日程もいれずに、人の不足をカバーする為に、働いている。カレンダーを見ても、絶対この日は!というスケジュールもなく、「出れます・出れます・」と返事をしている。気持ちは、前に前に行っているのだが、体がしんどい。でもこれは働かされているのではない。間違いなく働かせてもらっているのだ。
上には上がという言葉があるが、私は、ベテランのパートさん達のあまりにも良く働く姿をみて、その人達を完全にリスペクトしている。これは稼ぐと言う概念ではなく、休みたいけど、他の主婦のパートさんが、子供さんの病気などで急に休む場合に、その穴埋めに出勤して、持ち場の責任を果たしているという、その責任感に、私は尊敬している。だから、私も出来るだけ協力しようと考えての、行動なのだ。

深夜バイトを勤めだしてまもなく1年がたつ。
職場、持ち場の方からは名前も覚えられ、呼ばれるようになった。しかし私たちのピッキングした荷物を配達するドライバーさんとは、顔は知っているいるし、仕事上の話もするのだが、そこにはいつも○○さんと言う人称が抜けていた。名前のついた名札もしていないので、誰かの会話の中から、その人の名前を聞いて、覚えていくのが普通になっている。またプライベート的な会話や、レクレーションも全くないので、毎回数分の話しの中で、ドライバーさんと気心を掴むことは難しい。それでも、仕事でもミスをなくす為に懸命の不器用なコミュニケーションを取っている二人の姿は、私は嫌ではない。
1週間に1日だけ担当するドライバーさんが、私がピッキングした荷物の欠品のことで、作業場までこられた。その方が、「北村さん・・・」と声を掛けてくださった。自己紹介もしなければ、私はその方の名前は知らない・・
その時なんか嬉しい気持ちになった。何処かで誰かに、あのコースの荷物をピッキングしているおっさんは誰や、なんと言う奴や?て訊いていたのかもしれないが、例えば、都会から村に住みだし、村の行事や祭りに参加しながら溶け込もうとしながら、ある時、あまり知らない村の人から、突然声を掛けられたように、何か嬉い気持ちになった。

これまでのビジネスの世界では、名刺交換という仁義を切って、お互いの紹介をする。
その人の名前や肩書きについては直ぐにわかるが、人となりまで判ることはない。
それでも時間を架けて、お互いのパーソナリティーを見つけながら、人間関係を構築していくのだ。
しかし初めに名刺交換をしないことは、生きているなかでは、そちらの方が殆どである。
引越しの際、隣り何件かは挨拶もするだろうが、その他の人は顔をあわせる回数が増えるにつれ、徐徐に親しくなり、周りの誰かに、いつも合うあの人誰なんや・・・とか聞いたりして、名前や、プロヒールを覚えたりするもんである。初めてのタイミングを外すと、何回か合って顔は知っているにも関わらず、お互い自己紹介をすることもないのが・・普通である。
だから・・何処かの瞬間に名前を呼ばれた時には、ビックリするは、嬉しくなる。

ということで、どうやら私のこの職場の人から、少しは認められたのかなという思いがする。
名前を呼んでもらえることの幸せを案外知らない自分に驚いている。


最近、苗字が同じ人と知り合った。電話を懸ける。
「はい・・北村です・・」
「北村ですが・・・」と言う。ちょっといつもと違うテンションで電話が繋がる。
まだ携帯だからいいけど、これが家の電話なら結構恥ずかしい。
「北村さまでしょうか????」
「はい北村です・・」
「北村と申しますが・・・」
「???・・・・・」この沈黙こそ恥ずかしいく、テンションが、クニャと曲がるような気持ちになる。
「○○の北村です・・・」といつもより多い目に自己紹介をして、それに追打ちを掛けるように、
「北村さんいらっしゃいます」などと頭の中がドロリーチョに変るのを我慢しながら粘る。
「少々お持ちください・・・」といって、「お父さん北村さんから電話・・」みたいなことを向こうは向こうで多少混乱しながら言っている。
「はい・・お待たせしました北村です・・」
「こんにちは北村です・・・ごぶさたしてます・・」
「あ・・・あの北村さんですか・・」
「はいあの北村です・・」???
こんな場合は、譲ってでも「西村にいまだけなりますから・・」という気持ちが起こる。

さて・・・もし北村と言う苗字の女性と知り合ったなら・・・
考えることは・・・やっぱりこんなことかな?
山茶花の宿にお泊り。
宿帳に名前を記入。
北村洋一 同宿者北村純子
何かおれら「本当の夫婦みたいやね・・」ていう会話・・。
あのう・・・私のキタムラは、「喜多村」なんです・・
そのキタムラか?・・・よろこび多い村ね・・なんていいながら・・

今日はおしまい。


とにかく生きてみるvsとにかく生きてみるの真骨頂

2011年07月22日 | 自小説 ノンンフィクション小説

とにかく生きてみる。昨日、風の噂で、前の会社の社長が逮捕されたと聞いた。
12年前に、希望をもって興した会社も今はもうない。役員だった私も、その債務に今も追われている。社長の逮捕については、その当時のことは全く関係がないのだが、共にこの状況から、早くぬけ出せることを願っていただけに、やりきれない気持ちである。しかしこの逮捕をもって、全てがされけだされ、軽い心持ちとなって再帰(人間として)をしてもらいたい。
最近、過去のことが気にならなくなった。と言うか悔やまなくなった。何故か、何年も前のことも、昨日のことも、つい今しがたのことも、過ぎ去った時間はすべて4次元の世界であり、はっきりと言えばすべてあの世の世界と思うようになった。だからどんなに苦しくても、辛かった時も、全てあの世の世界のことであり、今生きてる瞬間こそが、生きてるという事実だけである。だから、あの時代のトラウマや、人を怨むことや、間違った判断をしたことを反省こそすれ、後悔と言う概念は、私の心には薄れてきている。だから今、ここに存在させて頂いていることに、大きな感謝を抱くのである。迷惑を賭けた人に対しての償いは当然していくつもりであるが、過去の出来事に縛られ身動きが出来ないという状態ではない。今私は生きてられる・・・・・・
このことに感謝をする。だだ感謝をする。


さて、月末・・・・お金がない。ドコモも25日を携帯の支払い日にしてくれたら、給料で払えるのだが、22日なんかを期限にするから、余剰金のない私は、今携帯が切れている。
当然恥ずかしい話だが、笑って過ごそう・・
それから食べるものである。ギリギリの計算で25日まで食いつなぐ予定である。
だから、ここ近々は、炭水過物ばっかりを採っている。食パン、うどん、白ご飯にカレーや
ミートソースのレトルトをかけて、浸して食べている。有難いことに私の胃袋は、全く文句を言わない、いい奴でいてくれてる。
「何でもほりこんでこい・・・すべて消化して、栄養にしてやる・・・」と盛りたててくれる。
「そのかわり悪いけど「屁」はいつもより多めに出るから覚悟しておけ・・・・」と。
ギリギリの睡眠時間は、炭水過物であろうと、腹に入れさえすれば睡魔が着てくれる。
頻繁に腹がすくので、安い食パンを常に食べている。100円のミートソースレトルトパックで、
食パン3枚を上手にいただける。ありがとう私の内臓達よ・・・・
今後、さらに悪化する食事情であっても、野生のものを食べることになっても、私の内臓は、
はるかモンゴル平原に暮らした、狼の末裔のように全てを消化して、栄養に換えてくれるだろう。

それから禁煙である。健康志向での禁煙ではない。お金がないから吸えないだけであり、給料が入ればまた、タバコは吸うつもりである。だから管に言いたい。
「タバコ値上げしやがって・・・このぼけなす!」
この言い方は、茄子に対して失礼である。
「値上げは、まあ仕方ないが・・・410円の10円をなんとかせい・・・」
今からでも遅くない。ガテン系の人、漁師などは、タバコを吸いながら、段取りを考え、緊張する筋肉を緩和して、仕事のキツサを麻痺させているのだから。
10円を・・10円を軽減してくれ。管よ・・・この10円は意味がないぞ・・・

お金がないから・・・あえて今、深夜バイトを入れている。今日で、連続8日間の勤務である。
体はシンドイけど、時間が過ぎていってくれるから、お金のことを考えなくていい。
この土日は、500円で過ごすことで、今月の「とにかく生きてみる」が終わる。
暑い日も風の日も、台風の日も、躊躇せずに自転車を漕いでいる。もうモノレールに乗ろうとは思わない。

そしていよいよ、鉄管ビール(水道水)に手を、喉を出すときが来た。
冷たい飲料水が、買えないのではなく、その糧を食べるほうに回したいからだ。
運動部時代が懐かしい。あんなに水道水に恋焦がれた瞬があり、先輩のビンタでさえも覚悟しながら、こっそりトイレに行くふりをしながら飲んだ水道水を・・今また飲む。
私の内臓が言う。「なんでも掘りこめ・・・すべて消化してやる。栄養にしてやる」と。

とにかく生きてみるは、頑丈な内臓に支えられていることだけは間違いないようだ。
このように生んでくれた両親に感謝てか!!






とにかく生きてみようvs何故こうも私は女性に弱いのか?

2011年07月19日 | 自小説 ノンンフィクション小説

とにかく生きてみる。この7月三連休は、まさしく、「働くとは・・・」を地で行った。
7月14日の深夜バイトから、今日まで連続5日をこなし、その間に、深夜から作業して、10分ほど休憩して、なんと午後2時までの残業を、日曜日、月曜日(祭日)にした。
この2日間は、帰宅後の一食のみであり、食後直ぐに寝てしまい、起きたら出勤時間になっていた。それに「よくもこんなに働くものだと・・」と自分を褒めてやりたいが、それ以上に、このスケジュールをずーとこなしている、深夜バイトの魂の五人娘??をもっともっとリスペクトしたい。
「本当によく働きますね・・」と質問する。
「人がいないから・・誰かがやらなあかんやろー」と言う。
「稼げるから・・・という問題も、通り越してるから・・」と言う。
「さあ・・早よせんと・・帰られへんよ・・・」とハッパが飛ぶ。

17日にち朝、深夜作業を終えて、タイムカードを打つ寸前に、この5人娘の一人に遭遇した。
「北村さん・・・今日は昼間休みですか・・?」
「ハイ・・」
「残れるのなら残ってもらえますか?」
「ハ・ハィ」「終わりは何時ころになりますかね?」
「みんなで頑張ったら、12時くらいかな・・」
「了解しました・・」
「ありがとう・・・・」

この会話があって、引く受けた。
もともとから頼まれれば、「いや・・・・」といえない性格であり、ましてや、この三連休に出かける予定などもない・・。
それにしても女性は、物を頼む時のしぐさには生死を賭けた迫力がある。鬼気迫るものではなく、必ず「うん」と言わしてみせる頑な信念に基づいて、悲しげな表情、今にも潤んでしまいそうな瞳の動き、小鳥のような口の開け方に、梅干を食べた時のような、すっぱいぃ表情を足して、私にお願いをする。たとえそれが40代後半のおば○○であっても、長いこと女性をやってきたそのプロ意識が、オーラーとなって私にせまってくる。
そして・・・最後のリーサルウエポンを持ち出す。
この仕事は、揃いの野菜のイアラストの入ったエプロンをつけ、グリーンのジャンパーを着て、頭は、髪の毛が、落ちないように、ネットつきのキャップをかぶっている。(男の方は、ネット付きのキャップはない)
だから、日頃、各女性のパートさんのお顔は、拝見できるのだが、髪型や、髪の毛の長さ、カラーまでは、全くわからないのだ。普段の勤務中では、まったくそこのところが、判らないし、こちらも意識していないので、普通に面と向かって話も出来るのだが、その時は違った!!!

徐に、そのキャップを、私の目の前で、脱いだのだ。(取った)
それはストップモーションで、私の前頭葉に記憶される。
ゆっくりと、髪の毛が、キャップの中から、表れ、シャンプーのコマーシャルのように、軽いウェービングをしながら、肩に落ちる。
アメリカ映画の一場面のように、これからベットINという前に、アップにした髪を自分で下し、少し癖のついた、髪を自分の手櫛で軽くほぐす仕草と、キャラは違うが、気持ちは一緒なのである。
軽く手櫛で整えられた髪は、ストレートの、肩まである少し赤めのブラウン系のカーラーだった。
前髪と、顔の調和も、このときが初めて見ることもあり、一瞬に私は魔法にかかった。
たった、ネット付きのキャップを脱ぎ、髪の毛と顔のあわせポーズを見せられただけなのだが、映画のシーンのように直ぐにもベットに倒れこみそうな、妖艶さを感じさせてくれた。
その時点で、このタイムカードを押すスペースには、アンジエリージェシカが立っていた。
このおば○○、は、男をうんと言わすヌンチが利く、「知ってる奴である・・」
普段の作業帽子の下には、それぞれの個性と女性が、きっちりとキープされているのだ。
その帽子を取るだけのことが、なんとエロチックな、光景であるのだろうか。

あかん・・・「夢から醒めろ・・魔法を抜け出せ・・」と思いながらも、
私は返事を、心よくした。「いいです手伝いましょう・・」と。
私は、つくづく女性に弱いと思う。これは少年時代からづーとそうだったと思う。

その日の仕事は、きつかった。レタス200個の皮むきと掃除、ブロコリー80個の掃除、むき玉葱150個の皮むき・・・・
気がつけば13時・・
私の前で、アンジェリーになった、おば○○は、犬の世話があるとのことで、他の人にまかして、2時間前に帰っていった。
このパターンも昔からあったような気がしてならない。


とにかく生きてみようvs小料理屋「臨海」

2011年07月14日 | 自小説 ノンンフィクション小説

とにかく生きてみる。暑さ続きの毎日、深夜バイトの通勤の自転車は、正に汗だくの状態になる。そこから4度~5度の冷蔵庫での仕事である。初めはフレッシュエアーを浴びた体に、芯が一本通るようにシャキーとすれのだが、8時間の冷蔵庫の中の作業は、普段よりも体力を消耗させることが、判った。帰りも暑さの中を40分自転車を漕ぐ。家につく頃には、脱水状態になっている。体温調整機能が、暫くは正常に働かなくなり、食べる元気さえもなくし、ただ眠たくなる。ひたすら眠りたいという衝動がいつも頭をかすめる。

今、私は、人間としての最低の生活を、この深夜バイトを通じて営んでる。もしこの眠たさに、引きずりこまれて、アラームも無視して、起き上がらなければ・・52歳無職、貯金なし・・・借金多しが、たちまち人間としての生活を失うだろうと思う。その臨海線が、アラームの音に反応して、体を起き上がらせることにある。向こうとこっちの違いは、そのアラームに反応する行為ではなく、まともに生きるか、世捨て人として生かされるか・・ぐらいの差を秘めている。

ここか先は、もう帰ることの出来ない世界がある。絶対にしてはいけないという家訓を、無視した、人の保証人。判子をついた瞬間から臨海を越えたことなる。臨海の手前で留まることが出来ないのは、その臨海の先には、心を魅了する何かがあるのだろう。
保証人に版を付く・・・という向こうに、人によく思われること、感謝されること、良くなってもらった暁には、「この人のお陰・・」などと言われたいと思う邪心が、臨海を越えさせたのだろう。
留まること、またその先に立ち入ること、その臨海点が、私にははっきりと見えなかったし、今でも見えていないのだろう。

男と女の問題にも臨海点がある。この女性とHをすれば・・・あとに訪れるものは苦痛と苦労だけ、という話しである。
時にやくざ者の女とHする時がそうなんだろうか・・・
ただ、臨海点を自分ひとりで越えるとなれば・・それは世間でいう、「災難にあった・・」とか「悪い女に引っかかった・・」ということになるが、これ場合を二人で越えるという、非常に演歌的な臨海越えをした場合には、人間は強く進んでいけるものであるのか・・・と考える。それには色々な要素もあるのだが、幸せになろう・・などの甘い将来も見えぬ日々の中、日々ビクつきながら、二人で時を重ねるだけの毎日は、世間と孤立した二人だけの世界に浸り、愛を信じることだけが、その恐怖と孤独に慣れる方法だろう。

犯罪にも臨海点はいつも存在する。
人を殺すとか、殴る、傷つけるとかの勇気がない人間でも、ここにおいてあるものを盗ってしまう衝動がある。スパーの万引きなども「病気・・」や「好奇心・・」という理由で片付けられることもああるだろうが、やってはいけない世界への臨海点を越えてしまう事には、その事情がどうであれ、その先には厳しい社会的な制裁が待っている。


臨海点を越えることは・・・確信でも過失でも、もう戻ることが困難だと言うことだ。
だから人はその手前で、グート我慢したり、さらに気力を振り絞り、その先へ行かないように行かないように頑張るのだろう。
私の場合、ただ深夜作業が辛い>だから行きたくない>無断欠勤>パート首>
という図式をわかっていて、このまま仕事に往かなければ、今後人間としては生きて生けないという観念が存在している。その観念が、まだ燃えカスのようにある、子供らに対する責任感とで、なんとか越えずに済んでいる。

この臨海点に、心落ち着け、暖かい笑顔にふれれる場所があればいいと思う。
小料理屋「臨海」・・・・・・・・今から臨海を越える人や、ここで引き返す人が集まり、静かに飲める場所があればいい。無口なマスターと、色白の笑顔の素敵な女将さんと・・ちょっとしたオカズがあり、酒のあてにしても、白ご飯に味噌汁でも構わないのだ。
そして看板はださず、臨海を越えるかどうかを躊躇した人間だけが行ける店・・
そこには、越えろとも、引き返せ・・などの答えはない・・
でも何時間でも営業しているわけでない、看板の時間が着たら・・臨海越えをするか・・・かえるかをその時に決めなければならない。
臨海を越えればもう二度とこの味を口にすることは出来ないしこの女将の笑顔も見られない。


私は今晩も自転車を漕いで、バイトに向かう。
そしてその道脇に、小料理「臨海」という仄かな明るさの看板を見つける。
「仕事が終わったら・・よらせてもらうから・・」と呟いて、バイトに向かう。