2012年もあと1ヶ月あまりである。落ち着いて年末を迎えるような状況ではない。とにかく動いているのだ。世の中、政治、父の破傷風での長期入院、そして2年3ヶ月続いた深夜バイトのこと・・・・とじわりじわりと動いているのである。この世の中必ず動いていくものなのであることは、時として絶望の中から救ってくれる唯一の真実であると思う。
これこそは真実はと思うことは世の中にあるだろうか・・あったとしても信じない振りをして生きている。笑っている奴も、泪を流している奴もそれだけに留まることは出きないのだから、変化していくのだから、いい加減でも歩いて行こうとだけ言おう。
京都と大阪で知り合いが、衆議院に初めて立候補をする。数回話と食事をしただけであるが、ブログ等でホローをしているが、そのバイタリティーには、もっと言うと戦い続ける心に、頭が下がるのは、無口になるの何故だろう・・?
親父がすべてだと言いませんよ・・・俺一人でやったこともありましたよ・・
7月10日に救急車で運ばれて2ヶ月弱の間、緊急救命室で半意識のまま過ごした親父が、今は3度目の転院で、リハビリ専門の病院にいる。まだ確実な会話は出来ないし、歩くことも、トイレも手助けがいるが、一つだけ言ってみたいのは、やるせないぐらいに生き抜いてみせたことなんだ・・・会話があまりとれない中で唯一親父がニコットする言葉がある。
「本当やったら、死んでたで・・・儲けた命や大事にしいや・・」である。これを言うとややボケの表情に笑みが浮かぶ。それでも、ここからが親父の生きる戦いが始まる。復帰がままならなければ3ヶ月が限度で、また違う病院に転院しなければならない、今の日本の医療制度である。その度に入院関係の打ち合わせに出て行く私は、「長男」という記号にため息をつく。
ええかげんな奴じゃけ・・ほっといてくれんさい。
季節もいくつか訪ねて来たがろうが、時が行くのも判らん位に目まぐるしかったんじゃ・・
人が好きやけね・・人が好きやけね・・と口ずさんだ深夜バイトのチャリンコで通勤。
働きだした当初は「刑務所に入ったつもりで・・」なんて考えながら、2年と3ヶ月が過ぎた。そして今年限りでその刑務所を出所する決意をした。本当に勉強になった。この経験はもっと詳しく別の機会で書いてみたいと思う。自分に足りないものがあった。その何かを、理屈でなく体にしみこますことが出来たのではと思う。自己啓発のセミナー、自分探しのヒーリング、お偏路・・などなど、スピード系の自己改革の類は今、腐るほどあるが、人生ワンアウト、ツーアウトを喰らった者たちは、理屈でそれを判ることよりも、それは遠周りになるかもしれないが、シンプルに汗を流すことが唯一答えに近づくことではないかと思う。そしてなによりも、
選ぶも、選ばれるのも風に任したんよ・・・
人がおるんよんねぇ・・・人がそこにおるんよねぇ・・・
女や酒よりサイコロ好きで、すってんてんのあの爺さん・・
あんたこそが正直ものさ・・
この国ときたら賭けるものなどないさ・・
だからこうして漂うだけ・・
また振り出しに戻る旅に陽が沈んで行く・・・
来年から新しく飲食のプロジェクトが始まる。その枡席に加えてもらったことにやはり感謝しかない。お客様も、そこで働く人も心から喜んでもれるような店作りを基本コンセプトにした。今までの私の経験は、それぞれの年代で途切れているように思うかもしれないが、地下では、宇宙ではと言うか、やっぱり脈脈と繋がっていると感じてしまう。
振り出しに戻る・・・しかしその振り出しからみえる風景は確実に暖かいのである。
この2年半近く、愛する、愛されるという対象が、「女性」という者から離れていた。
金なし、半痴呆の親付き身である。誰が私と付き合って幸に過ごせるというのか?面白く過ごせるというのだろうか?そう考えたところから恋愛とい動詞は忘れてしまった。しかしそれと交換するように私の前には、3人の成人になろうかという子供がキャッチアップされてきた。
君よ永遠の嘘をついてくれ・・今はまだ種あかしをしないでくれ・・
永遠の嘘をついてくれ・・何もかも愛ゆえのことだったと言ってくれ・・・
280円の卵かけ定食が旨かっても、コンビニ弁当とカップめん連続3回登板であっても、淀川の深夜の橋でランニングマンにこのチャリが抜かれようとも、中古古着屋のものを着ていても、俺は笑って答える・・「いとおかしい・・」のだと。「これがいいのだ・・」と
値打ちにドラマを持たせて豪快に笑う俺の姿の本当の所の種明かしを永遠にしないでおこう。
人は望む答えだけを聞けるまで、尋ね続けてしまうものだから。
人間なんて・・いつか何処かへ飛んでいく
其処に、なにかがあるんだろか?
それは誰にもわからないよ・・
ララララララララララララ・・・・・
これこそは真実はと思うことは世の中にあるだろうか・・あったとしても信じない振りをして生きている。笑っている奴も、泪を流している奴もそれだけに留まることは出きないのだから、変化していくのだから、いい加減でも歩いて行こうとだけ言おう。
京都と大阪で知り合いが、衆議院に初めて立候補をする。数回話と食事をしただけであるが、ブログ等でホローをしているが、そのバイタリティーには、もっと言うと戦い続ける心に、頭が下がるのは、無口になるの何故だろう・・?
親父がすべてだと言いませんよ・・・俺一人でやったこともありましたよ・・
7月10日に救急車で運ばれて2ヶ月弱の間、緊急救命室で半意識のまま過ごした親父が、今は3度目の転院で、リハビリ専門の病院にいる。まだ確実な会話は出来ないし、歩くことも、トイレも手助けがいるが、一つだけ言ってみたいのは、やるせないぐらいに生き抜いてみせたことなんだ・・・会話があまりとれない中で唯一親父がニコットする言葉がある。
「本当やったら、死んでたで・・・儲けた命や大事にしいや・・」である。これを言うとややボケの表情に笑みが浮かぶ。それでも、ここからが親父の生きる戦いが始まる。復帰がままならなければ3ヶ月が限度で、また違う病院に転院しなければならない、今の日本の医療制度である。その度に入院関係の打ち合わせに出て行く私は、「長男」という記号にため息をつく。
ええかげんな奴じゃけ・・ほっといてくれんさい。
季節もいくつか訪ねて来たがろうが、時が行くのも判らん位に目まぐるしかったんじゃ・・
人が好きやけね・・人が好きやけね・・と口ずさんだ深夜バイトのチャリンコで通勤。
働きだした当初は「刑務所に入ったつもりで・・」なんて考えながら、2年と3ヶ月が過ぎた。そして今年限りでその刑務所を出所する決意をした。本当に勉強になった。この経験はもっと詳しく別の機会で書いてみたいと思う。自分に足りないものがあった。その何かを、理屈でなく体にしみこますことが出来たのではと思う。自己啓発のセミナー、自分探しのヒーリング、お偏路・・などなど、スピード系の自己改革の類は今、腐るほどあるが、人生ワンアウト、ツーアウトを喰らった者たちは、理屈でそれを判ることよりも、それは遠周りになるかもしれないが、シンプルに汗を流すことが唯一答えに近づくことではないかと思う。そしてなによりも、
選ぶも、選ばれるのも風に任したんよ・・・
人がおるんよんねぇ・・・人がそこにおるんよねぇ・・・
女や酒よりサイコロ好きで、すってんてんのあの爺さん・・
あんたこそが正直ものさ・・
この国ときたら賭けるものなどないさ・・
だからこうして漂うだけ・・
また振り出しに戻る旅に陽が沈んで行く・・・
来年から新しく飲食のプロジェクトが始まる。その枡席に加えてもらったことにやはり感謝しかない。お客様も、そこで働く人も心から喜んでもれるような店作りを基本コンセプトにした。今までの私の経験は、それぞれの年代で途切れているように思うかもしれないが、地下では、宇宙ではと言うか、やっぱり脈脈と繋がっていると感じてしまう。
振り出しに戻る・・・しかしその振り出しからみえる風景は確実に暖かいのである。
この2年半近く、愛する、愛されるという対象が、「女性」という者から離れていた。
金なし、半痴呆の親付き身である。誰が私と付き合って幸に過ごせるというのか?面白く過ごせるというのだろうか?そう考えたところから恋愛とい動詞は忘れてしまった。しかしそれと交換するように私の前には、3人の成人になろうかという子供がキャッチアップされてきた。
君よ永遠の嘘をついてくれ・・今はまだ種あかしをしないでくれ・・
永遠の嘘をついてくれ・・何もかも愛ゆえのことだったと言ってくれ・・・
280円の卵かけ定食が旨かっても、コンビニ弁当とカップめん連続3回登板であっても、淀川の深夜の橋でランニングマンにこのチャリが抜かれようとも、中古古着屋のものを着ていても、俺は笑って答える・・「いとおかしい・・」のだと。「これがいいのだ・・」と
値打ちにドラマを持たせて豪快に笑う俺の姿の本当の所の種明かしを永遠にしないでおこう。
人は望む答えだけを聞けるまで、尋ね続けてしまうものだから。
人間なんて・・いつか何処かへ飛んでいく
其処に、なにかがあるんだろか?
それは誰にもわからないよ・・
ララララララララララララ・・・・・