スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvsまぁみなさん聞いてください最近のJポップス

2012年04月26日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。完全に週6勤のシフトに組み込まれた。尊敬する働く主婦達(僕的には夜間キャビンアテンダント)と呼び、ジェットスターの毎日の深夜のゴールドコースト便にフライトしているようなイメージをしている。なので、一人での乗務員がかけるといけないので・・・・・せっせと深夜、自転車をこぎながらエアーポートという野菜の冷蔵庫に向かっている。
先日に、深夜のチャリ不審者検問にあった。橋の袂で、3人の警官に止められた。
「なんか・・ふらふあして自転車をこいでいるようですが・・お酒でも飲んでるんですか?」と職質された。
「酒・・・」
「そんなもん飲んでるか・・」とちょっときつい口調で答える。
「これから仕事や・・」と仕事という単語を強調しながら答えた。とにかく自転車の盗難を検車して、無事盗難登録と私の名前が一致して無罪放免となった。
それにしても・・私はそんなにふらついて自転車を漕いでいたのか?と自問した。
それは・・疲れのせいも多少あるが、深夜自転車をこぎながらの考えごとが原因であった。

最近のJポップは、その前からだったのだが、震災以降、「人々への応援歌」的な楽曲が多くなった気がする。ゆずも、アユも、森山直太郎も、AKBもスマップも嵐も、平原綾香にいたってはそのメッセージしんどいは・・と思うくらい音楽界はメッセージ的応援ソングが花盛りである。
自転車で走っていると、アスファルトに咲く花なんか結構多く咲いているもんだ。
桜の樹の下を通って、「どんなに苦しい時も、君は笑っているから・頑張れるきがしたよ・・」て言うけどそんな簡単には頑張れるモチベーションなんかあがってきませんし・・・・
ゆずの「誰にも見せない泪があった・・人知れ流した泪があった・・」  俺も泣きたいけど・・泣かれへんのや、この年になったら・・とかを自転車を漕ぎながら考えていたのだ。
人生の応援歌もあっちも、こっちもで連発されたら、生まれつきの反逆児、天邪鬼の私は、「もうえいいわ・・綺麗なことばっかり、そんなにスッキリと歌が心に染み渡るかいな・・」と、このボケを一言いれて突っ込む。
「生きていく答えは、そうOh自分を許していくこと、過去を振り返るより未来に会いに行こう・・」と平原さんは応援してくださっているのだが、自分を許したら私なんかあしたから何処へ飛んでいってしまうか判らなくなりますやん・・・とまた一人突っ込む。自分を許そう!!そうしよう、よーし、もう深夜バイトはやんぺにしましょうか?と考えると自転車を漕ぐのもふらつき気味になるのだろう。


それにしても・・人はこの勇気百倍のうわべの美しい言葉に弱いのか?
やっぱち誰かに背中をさすってもらい、軽く推してもらいたいのかなーなどと考えてみる。
私は、長渕のRUNの賽銭箱に100円玉投げたらつりせん出てくる人生がいいと・・が非常に心にしみる。頑張れや愛や、勇気や、明日や夢や、泪や汗には心が動いてこないのだが、10円の賽銭を入れようとして、100円しかなく、神様ここは「お願いごとを多くいいますので・・100円無理していれますからと言うて、おつりくれませんやろか!あと90円あればなんとか牛丼が食べれますのや・・」と悲痛な叫びをこらえて我慢して100円を入れる人の気持ちにしびれる。

そして・・・・極めがこれに続くのである。
金 カネ カネとカネを追いかけたら
一夜にして幸せがすりぬけた
追いかけてばかりいるうちに
頭もはげてきた・・し
ちんぽもたたなくなったし、
周りに人もいなくなった・・・
真実、真実真実だけが頭を垂れる。
厳しい・・・・けどこれが世の中なんだぜ・・ワイルドだろ!

とにかく熱い、耳障りのいい言葉だけでは前には進めないのがこの世の中なんだぜ!
真実の愛はどこからやってくるのかと歌ったhitomiさん。偽者なんかに興味ないは、本物だけをみつけた!!!と、のたまうのだが、いいか、偽者でもその場では愛も通うし、本物ばっかり追い求めたら、時間とカネがついていきませんのや・・・我慢して偽者でも平然と生きていける、ド厚かましさがいるのだぜ・・・ワイルドだろ!

でも、わかっている。言いたいことは、ようようわかっているのやけど、この世の中は、その偽善とどう手を打っていくかなんやと思う。・・・そしてそのことに後悔をし、自分を責め、情けないと思いながらも、また立って歩くし、飯も食うし、くそも、、オナニーも悪人のような善人顔でしているのだ。それが生きるということなんだろう。清濁あわせ呑む。、これが健全ということなんだ.
新しく整備された街並は、それはそれで綺麗な心を生むが、その傍らの路地で、お客を引くパンパンや、段ボールに屈する男がいてる風景こそが私には人間的な社会の健全があるような気がするのだ。

私はこの齢になり、Jポップスの応援ソング屋のメッセージは届かない。
昨日おごってもらった一杯の酒や、励ましを言葉に載せず、無言で私の肩を軽く殴る仕草で別れるツレにグーっト熱い感謝が湧き起こってくるのだ。
すまんかった!!
ありがとうしかいえないけど・・・
もう少し生きてみるは・・・・決してめっちゃ幸せではないけれども・・と何回も何回も呟くのだ。

こんなことを自転車を漕ぎながら考えている私は・
多分酒に酔ったようにフラフラとしていたのかもしれません。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみるvsレッドキャベツ

2012年04月19日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。春になった。完全に春になった。そこには緩んだ暖かい空気がある。体も心もなんかむくむくと起き上がっってくる。
むくむくとするのは体や心だけでない。Hな本能も当然むくむくと盛りがついてくる。
深夜バイトは中央市場の野菜関係である。当然毎日いろいろな種類の野菜も扱っているいるので沢山の自然色の野菜を見ることが出来るが、その中で私が、深夜しばし吸い込まれる野菜がある。
それはレッドキャベツである。今自然界にある紫で、これほど深い紫はないのではと思うくらい、深いのである。古は聖徳大使から紫は高貴な色として成りたってきました。

また和歌などでも、(万葉集より)

・茜さす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る 額田王(ぬかたのおおきみ).
訳)茜色を帯びる紫草が生い茂る(天智天皇の御料地である)野を行き,貴方は袖を振る.野守りが見とがめはしないでしょうか?

・紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾(あれ)恋ひめやも. 大海女皇子(天武天皇)

訳)紫草の様に美しい貴女を憎いと思うなら,どうして,人妻なのに貴女を恋い慕うだろうか.

(注:額田王と大海女皇子は元恋人でした.)

古の昔からでも、紫の色は恋を詠むときに使われ、それも若干後ろめたい不倫の匂いがただようどうしようもない恋する気持ちに、紫が使われていたみたいです。詳しいことは古典専門サイト等で調べてください。
ただ深夜バイトで、私はこの紫の色に吸い込まれてしまったのです。

                    

 

深夜3時を17分まわった頃、私は冷蔵庫で紫キャベツ通常レッドキャベツを手にとりました。
野菜の状態を確認する為に手にとり、周りに虫食い、腐敗がないかを確かめていました。
「なんと綺麗な紫色・・・」
「最近こんな紫みたことないし・・かっても見たことないぞ・・」
そしてふと・・口からでた言葉が・・
「今こんな綺麗な紫色がみれるのは、レッドキャベツとワコールの高級パンティーくらいじゃないのかな・・?」と呟いていました。
たまたま隣にいていたご婦人(深夜バイトスタッフ)がそれを聞いていて、「いつもどんな女性と付き合っているの??」と聞くでもなく、突っ込みを軽く入れてきました。

そして唐突ですが、「あの・・・・紫のパンティーもってますか?」と尋ねると、「今日はいているは・・・」と軽く言いいました。
「今、今履いたたはるんですか?」ともう一度聞く。
「履いてるよ・・・・」と軽く笑って冷蔵庫から出て行った。

紫のパンティーを見たい。顔を近づけてみたい。なんあら、そのパンテイーの匂いも、そのパンティーのぬくもりも感じてみたいという欲望に覆われました。
ただしである、巷のディスカウントで売られているような単純な紫=パープルなものではだめなんだ、このレッドキャベツのような深いというか、暮れゆく空でも、もうギリギリ宵闇が迫ってくる中で、白い布が影の中で、光の都合で紫に見える、あの紫の色でなくてはならないし、年齢の往ったご婦人のアソコの色がやや黒く留まったところに、男性を迎える為に、滲み出てくる湿気で従来の色に明るさを取り戻したころあいの色でなければ絶対にだめなのである。
多分である・・・モデルのような綺麗な、生まれつき恵まれた足の合わさるところにこのレッドキャベツ紫パンテイーが張り付いていても私には古をさまようにような値打ちなどない。
自分の足で歩き、働き、疲れ、それでも立ち上がり、いつの間にか太く短くなった足にこそ、その深いレッドキャベツの紫色のパンティーが生えるのだ。それは高貴な人の為の色でないことをここに証明している。
夜中に出て行き、家族や子供の為に体を無理やり起こさせ、地道なことの繰り返しのみに、確実なものを見つける日本の女性の、太くて短い足いだけ生える紫色でなければならないのだ。
私はそんな足おあわさるところに、張り付くレッドキャベツの色をした紫のパンティーに今、猛烈に欲情している。杉本彩や、藤原紀香が、フランスの高級インナーで迫ってきても、私のあそこはピクリともしないはずである。
一晩の作業に疲れた短い足のあわせるところに張り付き、茜さす朝焼けに見える、レッドキャベツのような深い紫のパンティーにこそ、私の何十世代前から脈々と流れている、エロのDNAが起き上がってくるのである。それを高貴といわずして、なにが紫式部であり、清少納言であり、叶姉妹であるのか。紫に映るエロさこそ深いのである。

「北村さん・・・・」と遠くで呼ばれている。
冷蔵庫のなかで、レッドキャベツを手に持ち、一人固まっている私は、しばしの時間旅行をしていた。
「今・・戻ります」と言って、普通に歩くことが恥ずかしいことに気がつき、少々腰を引き気味で、冷蔵庫から退散した。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみるvs再婚について真剣に考える

2012年04月13日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。本当に生きてみる、それしかないのだ。いい訳もしたところで何にもならならにし、逆に悪い流れにとっとっ・・と流れていくみたいな気がする。
変則離婚をしてから、12年くらいがたった。子供もスポーツクラブの保護者の協力の為に、週末は別れた嫁と、子供らと普通の暮らしをしていた。また会社経営も順調だったおかげで、金銭的なトラブルもなく、過ごしていた。一部の諸先輩がたからは「けじめがついてない・・」とお叱りもうけた。
離婚ということが世間一般に言われている男と女の愛憎劇からかけ離れたところで勝手にとりおこなわれていたような気がする。当然子供達はまだ小さかったからこの大人の滑稽なやり方は理解できなかったのだろうと思う。週末には元嫁や子供のいる家にかえり、普通の会話で普通に暮らしていたのだが、子供達が、高校に進学し寮生活に入ったころから元嫁と二人で家にいる理由もないので、だんだん足が遠のいた。また会社の倒産もあり金銭的にも家庭に入れることが出来なくなり、
今の典型的な、養育費未払い男になって行くのと同時に、元嫁とも電話すらしなくなった。
子供たちもその辺のところを理解して、たまにかかってくる電話は、「金おくれ・・」の普通の親子の会話に落ち着いた。

そんあこんなで・・・4年が過ぎようとしている。
芸能界では、加藤茶や、郷ひろみさんなどが、年の差再婚と称して若い女性と再婚したニュースが流れている。彼らと私を比べるのひは非常に備えてるものが違いすぎるのだが、何も若い女性などとは思っていないのである。今の私に逢う女性であればと・・・・考えるのであるが、あるがであるが、どうもそこから先に思考が発展しないのである。
当然生活面でも苦しさもあるが、小さなアパートでも、なんとかやりくりして二人で生活することが出来るはずであるが、「今の世、そんな既得な女性などいるわけもない・・」などと判断して、別次元の話であるように先送りないし、夢物語に茶化してしまうのである。
まして、恋愛もしていないのに再婚などと考えるのがおかしいのだが、何故か・火がつかないのだ。

何故だろうと・・・・深夜バイトの中で主婦の多い職場で、回りを見渡しながら考えてみる。
いろいろな理由があると思うが、一番に本当に再婚したいと思っていないからなんだという結論に達する。その理由は一番に金銭問題であるが、演歌の歌詞ではないが、二人でいれば何もいらないという心境になれないのだ。そこには多くのリアル生活者さんの厳しい意見もあるのも承知で、
言うのだが、今は誰も愛せないのかもしれないと・・・本当に「愛」する人との再婚であるのか?などと考えるとどうも生活を向上する為に、また簡単お手ごろのHをするだけの為に、再婚をしょうとしているのか?と疑問が出てくる。もし目の前に彼女が出来ていい感じないなったとしても、今後その方と同じ価値観で歩いていけるのか?それだけの「愛」が私にはあるのかが判らないのだ。
今、愛する人といえば子供達である。その愛情は十分注いでやれていないのだが、「愛する」という気持ちで胸がはりさけそうになり、将来の為に動いている姿をみれば、聞けば、心から手を合わせ、感謝感謝、おかげさまでと一人つぶやく。
子供がいるから、再婚できないというロジックを言っているのではない。
今最も愛する心をもっているのは子供に向けてであり、今からお使いできる可能性がある方には、愛情の順番からすればそれよりも劣る?か次になるか?という話になる。
私はどうも不器用であるのか、心に余裕がないのか、本当の愛を知らないのか、まだまだ甘いのか、一生こうなんかしれないが、誰のために死ねるリストなるものがあれば、やはり子供の為だけにしか今は死ねない自分がいるし、それを発見してしまった以上、新たにみつかった再婚相手らしき恋人に対して、「二人でこれかの人生を歩いて行こうよ・・」などと言う言葉が喉の奥に引っかかって出てこないのだ。
「子供もいるし愛してる・」
「その子供らが愛してる元嫁がいる」
「だから元嫁にも応援はしたいし健康と御多幸を祈る・・」
「そして・・新しく君とこれかの人生を愛情たっぷりに、健やかに生きていきたい」
これが今の私の「愛」のベクトルである。
どこかが・・違うのだろう。再婚する相手が、「愛する人が一杯いて大変ね・・」でも「私が愛する人はあなた・・」とでも言ってくれるのなら展開も変わるだろうが、小説の話し、夢の話しでのことであり、
「これだけあれば、多少面白くおかしく生活できるから、一緒に笑って暮らさないか?」的な介助がなければ無理なんだろうと思う。

なんやかんや言っても、男は介助である。加藤茶も郷ひろみも、あいつもこいつも・・・
それか・・それか・・・むちゃむちゃいい仕事する、行かしや君にでもなるしかないのだろうか?

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみるvs再度、春に感謝するvs妄想が咲く

2012年04月12日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。深夜バイトの通勤もこの暖かい気候のおかげで、ストレス少なく起き上がることが出来し、寒空の自転車通勤から比べたら、この緩んだ深夜の気温はどことなくこれでいいのか?と渇をいれたくなるような気にさせる。
見渡せばその辺で桜がさき、そらの色が鮮明になり、やっぱり緩んだ風を受けるのが本当に嬉しい。
今年は、「春よ!待ちどうしかったぜ・・」といえる権利を私は持ったのだ。
寒い冬、ひたすら、暖かくなってくれ・・暖かくなってくれと、いつも願っっていたのだから。
例年なら、そんな素敵な季節感を無視して、何も感謝しない男として小銭稼ぎにいそしんでいたのだが、今年はずっぽり深夜バイトに時間を費やしたので、損も得ないところで、寒い・・・・つらい・・
を「もうすぐ春やで、暖かくなるで・・」と自分に言い聞かしながら、なんとか春の選抜も終わり、桜が咲くころまで来たというのが実感である。誰もが不思議がるかもしれないが、今まで生きてきて、この感覚をわからずにいたのだから・・50歳すぎてこうなるのも最もである。
深夜バイトが、また極端に不可分所得が少なくなったら、人間こうしていろいろなものに感謝が出来るということなのか?それはわからないが、多分私にとってはしばしこの暮らしは、今生で絶対に知っとかなければばらないものだったのだろう。とにかく俗ぽいものが出来ないのだ。それは単にお金がないからで、決して私自身何かに願をかけてそれをやめてるわけではない。
久しぶりにあった友人からは、「痩せたね!!顔一回り小さくなった」と言われるし
寒い夜中の通勤で、どうも肺呼吸がしんどくなるので自然とタバコをすわなくなった
毎日の食事におかずがあることに本当の感謝するようになった。炭水化物の取りすぎでも決して太らないのだが、やっぱり炭水化物でけでは、辛抱ができなくなることも知った。
そして・・仕事とは遊びであり・・ 遊びが仕事などとあの時代にほざいていた自分が恥ずかしく思えるようになった。
「やっぱり仕事には行きたくない・・・」「このまま温いコタツの中で寝ていたい・」という思いを断ち切り、「金儲けもある・・・けど」と思いながらも、行かなければそのとばっちりを受ける他のスタッフのことを考えて、本当重い体をテーブルで支えながら支度して出かけるのだ。
家のドアーを開ける。覚悟は出来ている。深夜の東の空に月が出ている。クリアー日もあれば、朧チックな月もあるし、真ん丸い月もあれば、それは綺麗な三日月型も出ている。
「おおっと月か?・・・・」と心の中で呟くものの、歌の詩のように「月よありがとう」など・・とはそう簡単には出てこないのが凡人であるとこなのだが、それでもこうして深夜仕事に就かなければ、月の位置を毎日意識することもないのである。時間はほぼ同じ時間に家を出るのだが、月の位置は少しずず変化している。「変わっていくもんかな・・・」と一人変わりきれない自分を責めながら自転車のペダルを踏み込む。そしてこの通勤時間(片道1時間)にいままでいろいろなことを考えた。
だから今はあまり人生のこと、これからのこと、なども出尽くした感がある。そこで今の私のブームは、深夜の道で財布を拾わないかな・・・と考えながら自転車を漕ぐことである。
と言うのも、お金がほしいという欲望からではないのだ。以前にも書いたことがあるが、数年前に私の手形が明日不渡りになる前日に最後の晩餐をあるフミレスでやっていた。帰りぎわ駐車場で、生まれて初めて財布を(落ちていた)拾ったのだ。中身を調べると2万円くらいと100ドル札が2枚入っていたのだ。
明日手形が不当たりになる。めったにないことに財布を拾った。現金が手ごろといえば手ごろだった。誰かが恵んでくれたのかも、明日からの当面の凌ぎと思いそれを●●ババしたのだ。
そのことが、たまに私の良心に揺さぶりをかけてくる。
「あと3日は炭水化物で行く・・」「でもタンパク質がほしい」「甘い糖を脳味噌に供給しなければ・・」と要望の指令が次々と入ってくる。もし財布をひらったなら・・せめてスニッカーズでも食うたろうかいなと思ってみても、あの時の良心の呵責がよみがえってくるのである。
「絶対届ける・・」「財布の中身みてかにする」「1000円だけ遣わさせもらい(必要経費)届ける」
「いあ・・届ける。正直に届ける。あの日の私と決別するために・・・」
「そんあことしてなにが変わるのこの世の中・・」「ほっかほっか亭ですき焼き弁当うどん付きを食うてまたまた悪人となろうか・・」など色色考えながら下に向けたライトが夜のアスファルトを照らす。

実のところまだ結論は出ておらんのだ。拾ったものは届けるという凛々しさがまだ身についてないのだろう。私も私の子供達も腹を減らせて待っているとしたら、たとえ悪となっても●●ババするのか?いやもうええやろ!ここまできたらしゃっきと生きてみせるぜ・・・・と

深夜の緩まった風は・・こんな妄想をつれてくるのだ。




 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみるvsおおらかなH

2012年04月04日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。深夜バイトも連続6勤となり、足の疲れがなかなか取れないままになんとか、ごまかしながら生きている。ちょっと大層な表現ですが、足の疲れはとれないまま、少しづつその疲れが蓄積され、もう完全に軽くなることはないのだろう思いながら、深夜のたち仕事につく。

ところで、春となった。あったかくなった。そうすると私のDNAの、このエロの部分がざわざわと騒ぎたててくる。それは動物の交尾を促すように私の体や、下半身のサカリを配合した血液が循環するような気がしてくる。
ただ、この年と一概にくくることは出来るが、50歳オーバーのよくある話をするのではない。
「もうすっかり・・・役にたたなくて」というような状況でもないし、ばりばりギンギンカチカチを誇る状況でもないのだ。ただ・・ふわりと女性の体に触れてみたい。女性のホルモン分泌の匂いをかいでみたい、ギュウと抱きしめた時の、女性の息使いを私の皮膚で受けて見たいなどと霞のごとく、浮かんでは消え、消えては思いをめぐらすのである。
ようは・・・裸の女性とイチャイチをしてみたいだけのことである。
 

今、世間を見渡しても、AVなんかでも、その性癖というか嗜好がやもすればマニアックなもの、
きちんとした手順を踏んだものに傾斜している傾向がする。当たり前といえば、そうなんだが、Hの最中に、ちょっと休憩を挟みお互いに甘いもので食べながら、バスローブから見えるあそこやそこをチラチラと目を追いながら、まだお互いに果てていないことを、恥ずかしがらず、その後に繰り広げる快楽に期待をしながらのティータイムブレークもまたいいのはないかと思っている。
この季節、花粉症に悩まされ女性がいる。
どんなにムードをよくしても、完璧な手順で、いざ挿入になっても、ズルズル、グシュギュシュと鼻汁をすすりながらのH、インサートに男サイドもしらけ気味になるのに、ましては女性側からすれば、吐きたい息と吸いたい鼻水の葛藤はいかんせん、エロのかけらも感じられないだろうと思う。

昔の話しには、隣に子供寝かせて、その横でHをするムード0の東南アジア的極小住宅のお父ちゃんように、お母ちゃんの横で寝ている子供まで一緒に愛するごとくするそのHに貫禄すら感じることもあるし、ましてはその状況で体を開き、お父ちゃんの慣れた愛撫に体を委ねる、そのお母ちゃんこそ素晴らしい心の持ち主であり、おおらかなHの実践者といえよう。
私は、この季節、サカリが付き始めた50歳男のHとして、おおらかなHをしてみたいと思っている。
Hの目的は、お互いに人間愛に包まれることであると思う。
異性に触れ、異性の匂いを嗅ぎ、異性の体を感じる、そしてその気持ちが最高に高揚した時に、一つに繋がるという形を素のまま実践してみたい。
勝負パンツなんかなくていい。健康的な見地から選んだ下着でいい。腹がでていようが、バスとが下がっていようが、3頭身であろうがそんなの関係ない。毎日毎日、懸命に生きているその体を、
美空ひばりの曲にのせて、ゆっくり撫でて、唇を這わせて上げたい。
「ちょと待って・・」と言って、私の前でおならの一発もしてくれるのがいい。
どっからそんな声をだすのかと思わせるくらいに、長年の声帯に、いくつになっても発せられる女性の鼻声が絡みあい、この女性にもあった青春時代を一瞬見せてくれるのがいい。
どんなAVよりも、感じだしたら止まらない直進山のような一本道をアクメに見せてくれるヤラシさがいい。行為のあとも、洒落た話もなしに飲み物を注いでくれる女性がいいのだ。
そして、一緒にお風呂に入り、体を隅々までこすってくれたら尚よいのだ。
おおらかなH・・・・あこがれるのである。

大阪ダウンタウンの古いラブホテルというか、連れ込みホテル。
仕事が遅くなったりしたら、たまに利用する。21時から翌日の12時まででゆっくりと寝ることが出来る。また会計も安く、気安くフロントのおばさんと立ち話も出来るのだ。
12時10分前に降りていくと、フロント前で60歳くらいのカップルが部屋を探しているところである。
私に気づいた女性が、おどろいたよう様子で顔が「おおお・・」と言って少し長くなった。
その御年にしてはスタイルのいいほうで、黒のブーツが良く似合っていた。
男性の腕に手を入れて、堂々とエレベーターのほうに向かって行った。
下げたビニール袋には、スパーの巻き寿司がはっきりと見えていた。
おおらかなHをするのだろう。
私の予想であるが、H前にまき寿司を食べるはずである。
そして少し残ったまき寿司をHの後に・・・食べてほしい。
おおらかなHとは・・・食うて、やって、また食うことが基本なのだから。





 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする