スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvs執着が薄くなるもvsエキセントリックになるも・・・・

2012年09月29日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。延々と深夜バイトを繰り返している。昼間の仕事というか、本業の出版企画や、自らの著書のほうもなかなか捗っていないのが、正直今の現状である。一週間に一度の休みも、寝ることの欲求が強く、ひたすら寝まくっている。せねばならないことは、判っているのに、とにかく横になり、目をつぶると寝ているという状況である。だから・・・当然向いてくる運も、吹くはずのホローの風も、うんともすんとも言わないのであり、ただただ今の閉塞感に一人耐え忍んでいることに、満足をしているのである。
それでも・・・やっぱり元気はない。気力が充実しない。欲も得もなしにただ生きている、自分自身非常にあせっている。もしや・・・もしや「これで執着がとれるのでは・・」と超変則自己好都合的思考で考えてみて、「もう・・・やりたいことなんか・・必死になるようなものなんか・・・無いわな・・」などと思いながらも、「ひょっとして・・執着がなくなっている・・・今の俺・・!!」
「これが・・成功する為のその一。(己の執着を無くすこと)・・・なんか?」て考えたりしても、目の前にある景色もまったく変りはしないのである。

それでも・・時間がきたら夜中に起きて、自転車をこいでバイトに行く自分がいる。
最低限の凌ぎがやっぱり必要なのであるから、えっちら、ぎっちらとペダルを踏むのである。
そして、仕事が終わったあとの朝飯のことを考え、そしてその後の爆睡を考えると・・そのシンプルなことが非常にありがたく思えるのである。
食える・・
眠れる・・これこそありがたいことであると、この深夜バイトで一番感じたことがセットで入ってくる波のように脳にしみこんでいく。これで・・いいのだは天才バカボンの父の言葉であるが、私も「これでイイノダ・・」と一人叫んでいる。

そして・・そんな時こそ、神さんは本当によく観ていらしゃると思わずにいられない事がおこるのだ。
メールが入っていた。娘からである。深夜バイト明けにそれを読んだのだが、
「新しく仕事始めたから・・なかなか休みがとれへんけど・・・・・・」なるものが入っていた。
アメリカの大学を出てからやりたい事探しをしながら、バイト生活を送っていたのだが、やりたいことが見つかったのか、それとも他の理由が、あるのか知らないが、前に動き出しそうなな気配がする。
たったそれだけの事であるが、私の心は、めちゃめちゃ心が晴れ晴れ・・ウキウキになる。
別に、このことだけを一心に思って苦慮していたのではないが、何かしたい事が見付かるといいなとは思っていた。今の時点で、これがドンズバの彼女の天職かどうか判らないが、前に動きだしたことは嬉しい。


「神様・・ こうくるか・・?」
執着が薄なりかけてきたこの頃・・・・・ただ食べること、眠れることに感謝を寄せていたら・・
「こうくるか・・・・娘になぁ・・」
「なるほど・・」と一人、定食ストップ10分前の吉野家で、ハム小鉢定食を食べながら、思いをめぐらしている。
3日ほど前には、「神さんも、忙しいから僕のところまでは廻ってはこんはなぁ・・」と考えていたり、
また、腹減らしてる人間と、腹減らしている神さんの前に、一つの握り飯を持っていたら、さて、どっちに渡すやろうかな・・と考え、「やっぱり人間に渡すやろうな・・」と答えてみたりして、少々ふてくされ気味の日々であった。
それでも、この辛い深夜バイトの二年は、私に食べること、眠ることのありがたさを学ばしてくれたのだと、本当に感謝している。そして「それだけでいいのでは・・それで十分なのでは・」ともうこれ以上、辛苦を味わいながら生きるのもなぁ・・的諦め思考に落ちかけていたのだった。

今回。神様は子供達をKyeにしてきたんか!
なんぼなんでも子供には、「食うこと、眠ることに感謝できるようになったし、執着もなくなりかけているから、このまま深夜バイトを続けて半隠居生活をするは・・」とは言えんはなぁ・と思うし
「そんな親父は魅力・・ないやろうな・・・」とも思う。
彼らの前では、芸能人にも友達がいたり、へたしたら1時間くらい自分のしゃべくりライブを開くような、エキセントリックな人でいたいのだ。私が子供ならそんな親父のほうが、嬉しいとか、好きやとかでなく、何故か安心するのだ。それは歳をとった親父の姿をあまり見たくないのだろうと思うからであるのだろう。
だったら・・もっともっとエキセントリックに生きたらとも思う。それも執着を捨ててときたもんだ。

たぶんそれは・・・・・
スキンヘッドで、革ジャンを着て、耳と鼻にピアスを開けて、ハーレーにまたがり、
腕にブロコリーのタツゥーを入れて、レタスのへたを綺麗に掃除する仕事につき、礼儀正く、親切に、こつこつと深夜バイトに勤しみ、決してポイ捨てや、立ちションをしないで、焼き肉や、串かつを食いたいなどと言わないで、感謝しながら一汁五穀を食べることなのか?

うんぅ・・・・・・・・難しい。
執着をなくすことは苦しい・・・・・・
そしてエキセントリックになることは、尚苦しいのだ。
廻りは、自分らしく生きたら・・と言うけれど、それが判らんから今が苦しいのである。







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とにかく生きてみるvsこの悪い人・・ばかぁ・

2012年09月15日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。父親の入院もかれこれ2ヶ月以上たっているが、その期間意識らしい意識は戻ることはない。ただきつく体を揺らしたり、つねったりしたりしたら、目を開ける時もあるのだが、意思表現は出来ない。また認知症の母親も、何とか電車にのり一人で見舞いに行き、無事一人で戻ってくるようになった。少々危なかっしが、そうすることで自信を持ってもらいたいと思っている。
母親の、見舞いの感想は行く度にばらばらで、「ちょっと元気なったみたい・・・おとうちゃんと言えば、目をぱちくりさせたとか・・・」「ぜんぜん反応ないは・・植物人間やな・・」とか、その日の印象によりジャッジが変るのである。もとからそれを真に受けていないのであるが、回復の方向にはまだ遠いのが事実である。

そんなこんな日々である。
私は風俗についての自分なりの思ったことをブログに書いている。ある人にとては非常に下種の話であるのだが、そこで行われる会話は、一期一会の切なさ、そしてある意味非常に逞しく生きる機微などが、所どころに現れていて、日常にではなりたたないフレーズが強烈に印象に残り、私の心にグッウサと刺してくるのである。

ずーと昔から気になる言葉があった。
「お客さん・・・上手に遊ばはぁーあるね・・」という言葉である。
それは。まじの遊び人でなかったとしても、結構レベルの高い褒め言葉である。
容姿や、着てるものなどで、お金持ちそうに見えるとかの褒め言葉でないのだ。
ずーと、「俺は粋な遊び心をもった、お・と・こ・・・」見たいな感じで、自分も楽しむし、相手もにも楽しんでもらう・・ことでその一時の時間でさえもお伽の国に引き込んでしまう位のエンターティメント性が自分の中にあるし、そこが俺の魅力というか、持ち味であると言うか・・「ウムゥフムゥ・・」と一人悦に入っていた。それも風俗に通った頃からの、若い頃からの自分への評価として、強く心に刻まれていた。でも・・・やっぱりそれを(お客さん上手に遊びはぁーるね・・)言われるたびに、その言葉の裏にあるものに引っかかるのであった。素直にありがとうと・・とも言えないし、「違うねんなぁー
自分の本心はこれではないねん・・なぁ」と言う思いが湧いてくる。
本音は・・・多分であるが、「もっともっと嫌らしいことしようや・・・もっと技出してや・・・」という思いがドロドロとあるのである。

「そんな挨拶や世間話はいいから・・はよ脱いでや・・」
「時間もないし・・はよ始めようや・・」
そして・・極めつけとして「先っちょだけでも・・入れさせてや・・」
「先っちょだけ。絶対に奥まで入れへんから・・」 「いいやろ・・先っちょだけ・・」
たいての風俗の女性は、こねくりまわされるのを嫌う。しかしそれをモロに口に出して言うわけもいかず、「だめ・・あきませんよ・・だめだめ・・」とか言いながら態を交わしていくのである。
それでも・・・「先っちょだけええやん・・」としつこく粘る奴もいると聞くし、「実際に始めから終わりまで、ずーと言い続けるお客さんもいてるよ・・」と風俗女性が話す。

でも・「お客さんはやり易いは・・上手にあそぶね・・」と言われる私がいる。
「ちがうねん・・そんなちゅうねん・・ 俺も先っちょだけでもええやろ・・と」ここまで(喉もと)まで出かかかっているねんけど・・・」と本心というか、素の私はそれを、待ち構えているのであるが、私は・・されるがまま、なすがままに、いいお客さんとしてそのサービスをしてもらうのである。

「お客さん・上手に遊ばはぁあるね・・」とその後に言われると・・いつも軽いショックを受けるのである。たとえそれが・・本心であったとしても、どうも私にはそれが褒め言葉になっていないのである。

無理なことや無茶なことを要求するという意味でなく・・・たとえそれが叶わずにいても、それを言える奴に、そしてメスの本能を揺さぶる奴に、私は軽くあこがれるのである。
私には「先っちょだけでも・・・・・」の本心をまづ言える男本能の狼的精神がないし、根性がないのである。相手の心を錯乱させ麻痺させる魅力がないのである。
そして「OK・・いいいよ・・」と言われたとしても、先っちょを入れる、入れないは後の問題であり、まづそれを言える勇気がないのである。
別に上手に遊ぼうとしているつもりなどさらさらない・・・それを言われたところで何もメリットがない。
いいよ・・いいいよ・・・ となんでも受け入れたら・・残るのは自分への嫌悪感だけになっている。

では・・どんな風に言われたら○であるのだろう。
多分これであろう・・・

「悪い人・・・・ばかぁ」
と言われて一人前であり、本当上手に遊ぶ人なんだと思う。
さぁ・・どうする。悪い人になる道のりは厳しいのである。







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とにかく生きてみるvsワレナンボノモンジャー、おぉぅ我・・・

2012年09月07日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。今はそれしかしょうがないのだ。深夜バイトも休みの日も、ただ寝るというよりは意識を失うように、死んだように寝ている。それが、唯一体を休めることなのだ。寝ることすなわち意識をうしなうことが、人間にとって大事なことなんだと思う。ずーと意識していればやがて脳が壊れるのだから、24時間に5~7時間は意識は失い、また意識を戻し、それをくりかえして、生物として生きているのだ。死ぬこととはこの意識が戻ってこないということであろうか・・・
意識がなくなる直前のあの気持ちよさは、その恐怖を覆っているのであり、自分自身はあぁ・・・楽チン楽チンと思っているだけなんだろうか・・・ それはその時まで判らないから、いとおかし・・である。
そして、いったい自分とは?なんなんだ・・という疑問にぶちあたる今日この頃である。
それは・・先日のセミナーで確信を持った呼吸法である。
本当に深夜バイトを始めて2年間、家を出るたびに追った、出社拒否症のストレスである。
胸がキューと締めつけられる苦しさである。自転車で漕ぐこと15分くらいは、本当に下を向いて顔も上げられない状態になる。たまには自転車を止めて道端に座り込むこともあった。
しばらくして、坂道300Mというところで、自転車を漕がずに、その惰性で走るときにはその痛みというか、締め付けが収まるのだった。原因はまちがいなくストレスであると思った。
かねてより、レイキのディグリー3まで取得していたので、盛んに自己ヒーリングを施したが、それはそれで効果はあるのだが、確実に収まるということでもなかった。ただ今まで、登校拒否や、会社に行くことが辛かった人の気持ちが理解できそうな気持ちになった。それでも「何をこの私にもっと知れ!!」と言うのか? 十分な睡眠がとれない時には、その取れていないことに恐怖を感じ、胸が締め付けられるのだった。
そして、図書館で借りる、ランダムインスピレーションチョイスで、禅宗の本があり、その中に、
「よーうは呼吸がすべて・・」と書いてあった。これは金もかからず、難しい鍛錬もなしに出来ると思い、レイキで覚えた呼吸方法を(鼻から吸い込み、糸を吐くように細く長く吐き出す)を実践した。
そして、先日のセミナーでまさにその意味なることを教えていただき、すべてが腑に落ちたのだ。

家を出る前に、玄関にて5回の深呼吸をする。鼻で吸って、息を止めて、口から息をゆっくりとはく、と、胸にあるストレスの現象が現れかけているのが判るのに、それ以上締め付けてこないのである。これは今のところ100発100中である。これが判ったことは2012年最大の収穫である。
それから、小一時間自転車をこぎながら、この深呼吸を練習しながらひたすら職場に向かって漕いでいる。たまには、呼吸の仕方を忘れ、口や鼻やでヒィヒィなるときもあるが、それでも胸はすっかり軽く、脳みそはくっきりはっきりになる。
そうすると・・・いろいろなものが観えてくるのがまた不思議なことである。
見えるといっても、霊の類でない。自分って何なんだろう? 人のお役にたつことって何なんだろう?かとかの問が湧いてくるのである。それはあるときには強烈な言葉になってくるのである。

河内地方では極、親しい人に言う二人称の、英語で言うYOUと同じ意味の「我」という呼び方である。
我の本来の意味は、I am men の私という意味であるが、喧嘩や威嚇に「君」や「あなた」のことを
「我(ワレ)・・」という言い方をするのである。
汚い言葉であるが、本来自分自身を諌めるために使ったのだろうか、それは強烈に魂に突き刺さるのだ。

「我れ・・・何してんねん」「息子らに小ずかいでもあげてから、モノ言えや・・我れ」

「我れ・・・そんなんしてるひまあったら、おかんの肩でも揉んだれや・・我れ」

「我れ・・・・なんぼのもんやねん・・よぅ我れ」

もう一人の私が、今の私に喧嘩を売ってくるのだ。
なんぼのもんや言われても・・・安い男ですがな・・・・と言い訳など思ってみるがそれでも
「我れ・・・それでも男け・・我ぇよぅ・・」
「我れ・・いてもうたろうか・・ようぉ・・」と威嚇してくる。
自分の不甲斐なさにただただ凹むばかりであるが、時たま「その喧嘩、買うたら・・」と今の私に火がつくのである。
「我れ・・誰にぬかしてんねん・・・」「我れ・・・誰や思てんねん・・・我ぇおうぅ・・・」
人生、ワンアウト、ツーアウトくらっとるけど、まだバッターボックスに立とんじゃ・・」
「ぐちゃぐちゃぬかすな我・・・ここからが見せ場なんじゃ・・よぅ我れ・・!!!」

その瞬間にもう一人の私が、「さよけ・・」といって消えていく。
そして・・「我れも、ええ奴やんけ・・」と今の私が一人つぶやく。



 

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とにかく生きてみるvsようは笑いじゃけん屁でもひりますたい。

2012年09月03日 | 自分的エッセー

とにかく生きてみる。深夜バイトもすっかり慣れた。2年前にブログで書いた「刑務所に入ったつもりで!2年間は頑張る・・・」という期限もそろそろ刑期満了となりつつある。刑務所なら無理やりでも出されるのに、ここはまだ入れるといえばいれるのだから・・・・・幸か不幸かそれに悩んでいる?
というのも、まだ自分の未来予想図がはっきりと浮かんでこないのである。
現在の昼部門の生業は、縮小に次ぐ縮小で、攻めの経営ではない。しかしこの世知辛い世の中で、大きな収益元、安定した収益を確保するような動きにはなっていない。
「それはそうだろう・・」とお叱りのお言葉もあるのも十分わかっていますが、ここまで粘っているからには、今構想を練っているもので勝負がしたいと思う。
長年、代理店で企画やイベントの実施をしてきたので、どうしても人の褌(ふんどし)を担がさせてもらって生きてきたのだ。かっこよく言えばプロデューサー的仕事、本音を言えばだんどり裏方作業をやらしていただいてきた。しかし刑務所(深夜バイト)に入っている期間に毎日自転車をこぎながら考えたことは、「やるからには・・・人の褌をあてにするのでなく、自分自身の褌を使う・・」という気持ちになっている。ようは人にギャラを払うなら・・自分でやってみようということである。

まずは本の編集と出筆である。構想多くて、まとまりきれていないところもあるが、人間の器をおかしく、悲しく捕らえたものをと・・企画がすすんでいる。

そしてもうひとつ、私がこの歳になってやりたいことがあるのだ・・・
それは芸人になることなのだ。もちろんお笑い芸人である。
若いころは自作のネタで大阪南や京都川原町界隈では、ちょとだけ有名になったかな?????
程度だが、創作落語や、漫談のネタもそれなりに持っている。これこそが、人の褌しではなく自分の褌で、勝負できると言える。この歳まで生きてきて、確信を持ったことは「幽霊よりやくざが怖い」のと「笑いは・・・幸せを運ぶ・・」ということだ。


最近・・・・おかしな体質になった。屁を自由自在にまでいかないが、そこそこにコントロールできるのだ。能見のスライダーより、石川遼のフェードより制度が上なのである。
初めて告白するのだが、「自転車、立ち仕事、炭水過物、細めのきつめのズボン、ちっさくなったお尻など・・・」によって、ガスがすぐ充満するし、それをバイト先のおばちゃん方に判らないように、「ぷぷ・・ぷーう・・ぷっう・・ぴぴ・・・」と小刻みに放出することが出来るのだ。そしてだんだん要領を得てきて、いまでは膝の角度や、股の開き方によっては、オー牧場は緑り・・・らららぁヤギさんのとこでは、「ぷーうううぅぅ」と曲をつなぐことが出来るようになった。
周りに誰もいなければ、巨人の星の前奏の、
ba-babababa-,ba-ba-bababababababababnbanbanbanも案外合っているのである。
そうなれば・・わが天附の才能降臨したりと、思い始めたのだ。
屁な・・・・?
屁な・・・・・・・?
屁な・・・・・・・・・?
行けんのんちゃうんけ・・・・と思った。
もう若くない、切れ味のあるギャグも、突っ込みも、ましてや雛壇芸も私にはシンドイ。
でも、一発勝負の絶対に滑ってはいけない場所では、放屁芸は鉄板であると確信する。
めったなことではテレビにでないし、youtubeのみの発信で行こうか、いやそれよりも、海外プロモーションで、スーザンボイルさんを発掘したイギリスの番組から行こうか、アノ手の番組は世界各国でやっているので、フィリピンからぶっ放そうかとかを考えている。
放屁芸はワールドワイドなのだ。かって電撃ネットワークのライブを見た時のあの衝撃・・・に近いものが私の脳内センサーに触れる。衣装はどうする?屁と同時に光るような小細工を施したい。
また微妙に音質の違いを追及する為に、ワコールと共同開発で、屁の微震にいい響きのするパンツは、絶対にいるはずである。ワコールならと思うが、グンゼにも話を持っていこう!
そして、芸名である。屁恋太郎はどうか? 海外向けなら、mr,pu(ミスタープゥー)として可愛いキャラを演じるのも、映画のオファーを考えればありかもしれない。
そして鉄板ネタである。いまさらsukiyakiソングを屁で奏でるのも時代遅れであるから、もっと新しいもので、一黒堂のよう少しずれた時間軸で屁をこいで見るのもいいかもしれない。しかしやっぱり長く残ろうとするなら、これぞ芸であると居合わしめるものがいる。
そこで交響曲なのだ。


 へ長調組曲「宇宙のからの風」 荘厳なオーケストラの中に、「屁ソロ・・」のパートがある壮大な曲が必要になる。それに歌詞をつけて平原綾香に歌ってもらうことにしよう。
そしてやっぱり昔からの仲間にをライブハウスで、見て!いや、聞いて!NO嗅いでもらいたいものである。「いくら売れたて、この距離を大事にしたい・・・・」などと涙を流しながら言いたいものだ。

その時はこのブログを見ていただいた方を必ず招待するからお楽しみに!





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