とにかく生きてみる。延々と深夜バイトを繰り返している。昼間の仕事というか、本業の出版企画や、自らの著書のほうもなかなか捗っていないのが、正直今の現状である。一週間に一度の休みも、寝ることの欲求が強く、ひたすら寝まくっている。せねばならないことは、判っているのに、とにかく横になり、目をつぶると寝ているという状況である。だから・・・当然向いてくる運も、吹くはずのホローの風も、うんともすんとも言わないのであり、ただただ今の閉塞感に一人耐え忍んでいることに、満足をしているのである。
それでも・・・やっぱり元気はない。気力が充実しない。欲も得もなしにただ生きている、自分自身非常にあせっている。もしや・・・もしや「これで執着がとれるのでは・・」と超変則自己好都合的思考で考えてみて、「もう・・・やりたいことなんか・・必死になるようなものなんか・・・無いわな・・」などと思いながらも、「ひょっとして・・執着がなくなっている・・・今の俺・・!!」
「これが・・成功する為のその一。(己の執着を無くすこと)・・・なんか?」て考えたりしても、目の前にある景色もまったく変りはしないのである。
それでも・・時間がきたら夜中に起きて、自転車をこいでバイトに行く自分がいる。
最低限の凌ぎがやっぱり必要なのであるから、えっちら、ぎっちらとペダルを踏むのである。
そして、仕事が終わったあとの朝飯のことを考え、そしてその後の爆睡を考えると・・そのシンプルなことが非常にありがたく思えるのである。
食える・・
眠れる・・これこそありがたいことであると、この深夜バイトで一番感じたことがセットで入ってくる波のように脳にしみこんでいく。これで・・いいのだは天才バカボンの父の言葉であるが、私も「これでイイノダ・・」と一人叫んでいる。
そして・・そんな時こそ、神さんは本当によく観ていらしゃると思わずにいられない事がおこるのだ。
メールが入っていた。娘からである。深夜バイト明けにそれを読んだのだが、
「新しく仕事始めたから・・なかなか休みがとれへんけど・・・・・・」なるものが入っていた。
アメリカの大学を出てからやりたい事探しをしながら、バイト生活を送っていたのだが、やりたいことが見つかったのか、それとも他の理由が、あるのか知らないが、前に動き出しそうなな気配がする。
たったそれだけの事であるが、私の心は、めちゃめちゃ心が晴れ晴れ・・ウキウキになる。
別に、このことだけを一心に思って苦慮していたのではないが、何かしたい事が見付かるといいなとは思っていた。今の時点で、これがドンズバの彼女の天職かどうか判らないが、前に動きだしたことは嬉しい。
「神様・・ こうくるか・・?」
執着が薄なりかけてきたこの頃・・・・・ただ食べること、眠れることに感謝を寄せていたら・・
「こうくるか・・・・娘になぁ・・」
「なるほど・・」と一人、定食ストップ10分前の吉野家で、ハム小鉢定食を食べながら、思いをめぐらしている。
3日ほど前には、「神さんも、忙しいから僕のところまでは廻ってはこんはなぁ・・」と考えていたり、
また、腹減らしてる人間と、腹減らしている神さんの前に、一つの握り飯を持っていたら、さて、どっちに渡すやろうかな・・と考え、「やっぱり人間に渡すやろうな・・」と答えてみたりして、少々ふてくされ気味の日々であった。
それでも、この辛い深夜バイトの二年は、私に食べること、眠ることのありがたさを学ばしてくれたのだと、本当に感謝している。そして「それだけでいいのでは・・それで十分なのでは・」ともうこれ以上、辛苦を味わいながら生きるのもなぁ・・的諦め思考に落ちかけていたのだった。
今回。神様は子供達をKyeにしてきたんか!
なんぼなんでも子供には、「食うこと、眠ることに感謝できるようになったし、執着もなくなりかけているから、このまま深夜バイトを続けて半隠居生活をするは・・」とは言えんはなぁ・と思うし
「そんな親父は魅力・・ないやろうな・・・」とも思う。
彼らの前では、芸能人にも友達がいたり、へたしたら1時間くらい自分のしゃべくりライブを開くような、エキセントリックな人でいたいのだ。私が子供ならそんな親父のほうが、嬉しいとか、好きやとかでなく、何故か安心するのだ。それは歳をとった親父の姿をあまり見たくないのだろうと思うからであるのだろう。
だったら・・もっともっとエキセントリックに生きたらとも思う。それも執着を捨ててときたもんだ。
たぶんそれは・・・・・
スキンヘッドで、革ジャンを着て、耳と鼻にピアスを開けて、ハーレーにまたがり、
腕にブロコリーのタツゥーを入れて、レタスのへたを綺麗に掃除する仕事につき、礼儀正く、親切に、こつこつと深夜バイトに勤しみ、決してポイ捨てや、立ちションをしないで、焼き肉や、串かつを食いたいなどと言わないで、感謝しながら一汁五穀を食べることなのか?
うんぅ・・・・・・・・難しい。
執着をなくすことは苦しい・・・・・・
そしてエキセントリックになることは、尚苦しいのだ。
廻りは、自分らしく生きたら・・と言うけれど、それが判らんから今が苦しいのである。