とにかく生きてみる。先日友達の主催するライブを見た。その音楽的センスのよさを感じた。また私の店にも、アルバイトでもう一息でメジャーに行くだろうと思う、彼がいる。ロイヤルコンフォートというユニットで、ユーチューブにもでている。9月にには600人を集めたライブをした。インディーズでは異例の集客だったらしく、ヤフーニュースにもでていたほどだ。
彼の性格は本当にいい奴・・と言う言葉につきる。挫折した時の応援ソングや母への感謝を歌ったものや、切ない恋を歌った曲もある。時間があれば是非聞いて見てほしい。
そして、彼がバイトに入っている時に、数分話をする話題は、楽曲つくりについてだ。多くは語らないが、「僕らの歌を聞いてくれて、元気になってくれたらいい・・」と言う。歌は人の気持ちを元気させ、自分を素直にさせ、また明日も生きて行こうという気持ちにさせる、人類が考えた素晴らしいエンターティメントである。そこでだ、この間のライブに戻る。
同級生とひさしぶりにあった。10名位の仲間がそのライブに集まった。
「元気・・?」「どうしてんねん?」から始まる会話は懐かしさを通り越して、すぐにあの時代にもどれるキーワードである。「元気やで・・」と応えるのと同時に・・「飲みぃや・・」とグラスを渡される。「おぉ・・ありがとう」と注いでもらう。この酒をこの仲間と飲むためにここに僕は来たのだ。そしてそのあとにライブがある。
「元気やで・」という、とまどいの一言にも、その時の僕の状態を、その昔の仲間に感じ取られていることが判る。ここ最近しんどかったことや、まだまだ背負っていかなければならないこれからを、今ここではしばしそのことを置いといて酒を飲む。それが僕に酒を注いでくれた友達への敬意である。
僕の体全体を覆っていた殻が、パリパリと剥がれて行き、そこに流れる風さえも、教室の後ろでよくやられたコチョバシごっこのように青臭い匂いに変わる。「今度・・また寄らなあかんな・・」とか、「みんな呼んで集まれへんか・・」とかが会話にでてくる。そこに友達の中ではギターと歌の旨い奴が、「今度・・ライブするねん」という話になった。あくまでアマチヤとして、知り合い、友達を集めてのもんであるが、それは「全員集合・・」という号令に聞こえる。
そして・・一瞬の話の途切れ目に僕は空を見上げた。月がきれいだった。いつも思う。月を見ていると本当にそこに行ける気がする。それはこの日本のあちこちに住んでいる友達と会うより、たやすいように思える。「今度俺たちの歌つくって歌ってくれよ・・」という言葉が月に惑わされたように口からでた。ずーとそんなことが出来れば、みんなでそれを聞きながら、酒を飲めたらと思っていたことがポロッと口からでた。「僕がその詞を書くは・・」と出来るか出来ないかは判らないけど、とにかく言ったのだ。笑い話に展開しそうな所だが、その日は違った。「やろう・・」「やろう・・」という返事が返ってきた。その瞬間から、僕は「阿久悠・・」落ちの「間多言・・マタユウ」という作詞家になった。月の、秋の、酒の、友のなにがしら判らない力に居着かれてしまった。
プロジェクトX風にゆうなら!
その時北村は思った。
僕の目に映る景色、心の風景、友の笑い声などのすべての背景が、時間共に20~30年前を行ったりきたりする。私のアウットプットの全精力をこの作詞に捧げるつもりである。それをやるために、僕は今日この場所にきたのだ。
皆が言った。「それは無理である・・」と!
北村は皆の前に出て、一杯グラスの酒を飲んだ。そして言った。
「酔ってる僕の話だ。気にしないでくれ 」と。
皆が笑った!そして言った。「楽しみしていると・・・・ 」
来年にはこの曲の発表ライブで、皆と会う。そして酒を飲み、思い切り笑おう。
「みんなが元気をだしてくれたらいい・・」と言ったバイト君よりは、はるか劣るかも知れないが、心を込めてつくる。創るというよりもうすでにできあがっているのだ。もう少し精査してリリースする。そして京都のボブディランことRYOUHEIに渡そう。彼なら、彼しかこの歌を唄うシンガーはいない。
タイトルは・・・・・・・・
「月をみようよ」
ーありがたき友達と酒を飲むー