スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvs母の実家から貰ったすぐきvs赤貧の時に食す

2021年01月24日 | 自小説 ノンンフィクション小説
「すぐき漬を食す!給料日前の赤貧の時に」

母の実家から貰ったすぐきが冷蔵庫にあるだけで、
白いご飯以外なにも無い。
今日は労働者にとってピユァーな赤貧の一日なのです〜。
白いご飯とすぐき漬で腹を満たすことになる。すでに五日くらい前から給料日前の最後の晩餐はこれになると漠然と思っていたから驚くはずもない

すぐき漬とオカンの話しなんですが、記憶のあるとこではオカンはそれほど「すぐき、すぐき」とか言わなかった様に思うのです〜
オカンにとっては、すぐきは物心着いた時から度々食卓に登る、自家製の漬物であり、上賀茂神社縁の歴史のある名物と自覚するのは、それが商売のフィールドに入った時だけだったのかもしれません。
とくに戦時中の誰もが腹を減らしていた時代の食べ物として、貧しかった事が思い出となって蘇ってしまうのではと想像します。

そんなすぐきですが、今や高級な京漬け物の代表となり、全国から母の実家には注文が来るのです〜
すぐきは高級なんです〜雅なんです〜

それでもそれでもですーーーーー
今日僕はすぐき漬を赤貧の状況で食べているのです〜
白いご飯に刻んだすぐきをかけて!その他は無しで。
すぐきを一番近い第三者として子供の頃から食べて、聞いて、観て来た僕は、今日別のすぐきの顔を見たのです〜
甘いや辛いのクリアーな答えなど信じるなよーー
このやるせ無い酸っぱさは悲しみとは違うしーー
それは「今に見とれ!ボケ」と言うような荒ぶる闘志も醸し出さない。
ただ只、そこには心穏やかに戦国武士の様に「御前を頂きまする!」となるのだ。
そしていざ出陣の前に!
「すぐきでぶぶ漬を!用意もうす」と言おうぞ!
そしてフローリングに直にあぐらをかいて座り茶碗をもって食すのだよ。これが赤貧におけるすぐき食スタイルである。
「茶茶、又すぐき食えるかのぉ? 儂は死なんぞー」と僕は赤貧の武士になる。そして背中が立つ
わからないけど、すぐきは神に繋がる食べものなのだろう。
赤貧を生きる者にはーー少しそれがわかるのです〜





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とにかく生きてみるvs始発電車の人間模様vs阿吽 吽形

2021年01月12日 | 自小説 ノンンフィクション小説
始発人間模様!パート1

朝6時入港の船に間に合う為には5時02分発の始発に乗らなければならない!
その始発人間の様子には様々な模様がある

「始発の阿吽 吽形」

始発の東梅田から乗って来る男性二人
彼らの振舞いがイケてる
入り口からすかさず左右に分かれてドアーの前に立つ
いくら席が空いてても立つのだ。
もたれる事も、吊革に捕まり事もせず只ただ立っているのだ。
僕は初めは不思議に思っていたけど、徐々にその構成が理解できるようになった。
彼らは東大寺でも有名な阿吽 吽形の地下鉄谷町線バージョンなのだ。
肩幅に開いた足
どしぃと正面を見据える目線
無駄口叩かぬ態度

正しく阿吽の呼吸!
それはまるで始発に乗る労働者の今日一日を予祝する態度なのだ。
どうぞ写真を見てくれ!








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とにかく生きてみるvsラーメンを一人食すvsそこに思想が!

2021年01月05日 | 自小説 ノンンフィクション小説
「ラーメンを食う!只し
 サイドメニューを省みずに!
 その先に現れる未だ表現された事のない形容詞‼️」
 (レジェンド麺活222食するーー参考)
 

あの麺活レジェンドの彼は昨年、麺を222テイクされた。その画像集は「麺曼陀羅」とでも言えそうな宇宙が存在している。
そこで僕は気づいたんだ!その「麺曼陀羅」には
サイドメニューの画像がない事を?
レジェンドも若い時は、餃子、唐揚げ、おにぎり、エトセトラをいわしていたはずだがと想像するし、僕も実際この目で見ていた。
そうかぁ!サイドは邪道と言う事なのか?
でも餃子や唐揚げやいなり寿司などは、麺食においてその使命感と責任を確実に広く果たしてる。
それが邪道とはなんぼなんでも言い過ぎではと思う。
ではレジェンドは何故サイドメニューをそこに置かないのか?
その行き着くところの答えは「集中」ではないだろうか?

麺と向き合うと湧き上がる挑戦や不安 戸惑いや嫉妬 やり足りなさや無力感などがごちゃ混ぜになって複雑な気持ちがその場に生成される。
この入り混ざった気持ちをテコにして集中が出来上がるのです〜
でもその集中は自力で起こした集中では無いのです。
何かわからないけど集中をさされるのです〜
もっと深く言えば「集中さされた状態の集中」であり主役は自分では無く、集中さされてしまったので、麺を食べ終わる迄はラーメンに委ねるしか手が無いのです〜
そして今度はその集中さされた集中を誰かにパスする事を約束してしまうのです〜
これがサイドメニューを省み麺を啜る構造なんです。

という事で、麺活レジェンドは麺類に集中したのでは無いのです。
麺を前にした時に、麺に集中さされたのです
そして集中さされて食した麺の美味さを表す形容詞を手に入れたのです〜そしてそれをずーっとパスし続けているのです。

このスタイルは多分若い世代では未だ辿り着けない領域で、ましてそのスタイルを押し付ける事もしません。
それは海山谷を越えて来た大人だけが辿りつけるものなのだと確信するからです。
と言って若い諸君は焦らなくてもいいのです。熟成したらわかって来るのだと麺活レジェンド222は多分そう言う事を言っているのだろうとあの麺曼陀羅が語っています。

そんなこんなで神座のラーメンを、餃子、唐揚げ、おにぎりも外して、僕はラーメンに集中する、いやラーメンに集中さされるのです〜
そして美味いが高まる。あのポピュラーな美味を感じ「これがそうなんか!」を漏らして、その後にじゅわと「ぶぁまい」が立ち上がる。
ラーメンに集中さされた状況での美味いラーメンを表現する形容詞
それが「ぶぁまい‼️」なのです〜
麺に先手を取られひたすら麺に向き合いたいと言う気持ちの高まりが、「ぶぁまい」なのです〜

未だこの世界で表現された事のない、ラーメンに集中をさされた人だけが洩らす形容詞それが「ぶぁまい」なのです〜
この「ぶぁまい」は誰かにパスをする宿命も持ち合わせているのです。
あの麺曼陀羅を織り上げたレジェンドは、かなり前から、「ぶぁまい」を語っていたし、多くの「ぶぁまい」パスを目立たぬ様に贈っていたのです〜

僕は「ぶぁまい」を横の作業着のおじやんに、コッソリとパスをしておきます。



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とにかく生きてみるvs未だかって歌になった事のない作詞家vs大晦日

2021年01月01日 | 自小説 ノンンフィクション小説
今年最後の「蛍の光」in南港

今年もここでフェリーを送り出して、一年の仕事納めとなる。
寒風に晒された僕の身体からは余裕のある思考も現れてこない!
今はただただ、熱い風呂に入って腹に何か暖かいものを入れたいだけだ。
とにかく皆様良いお年を迎えてください。

未だかって歌になった事のない作詞家が創る歌! 今回は、ポップ演歌で木梨憲武さんの事務所からオファーがあった⁉️事にしてます

         「大晦日」
            作詞: 洋 キタナ  
      終わりよければ全てがよしと
   丸めたハズレは、そんなもん
   夢を見る為 有金賭けて
   蕎麦代残って今年も終わる

  じっとしてない 走る男(やつ)
  祈りを捧ぐ クリスな女性(ひと)
  みんなおんなじ背中丸める旅人達
  今日は大晦日 終わって始まるこの時を
  とにかく とにかく生きてみます
  そして いっぱい愛してみます

  あの日の借りを残していても
  それでも今日は 前を見る
  みんなで囲む 鍋と紅白
  カモメ男は その時飛んだ
  元気でいてくれ 声はないけど
  眠っていいよ 働きものよ
  みんな戸惑い吹き上がる旅人達
  今日は大晦日 終わって始まるこの時を
  とにかく とにかく生きてみます
  そして いっぱい語ってみます

 とにかくとにかく生きてみます僕らしく
 とにかくとにかく愛してみますひたすらに
 とにかく生きてみます奇跡起きるまで
 今大晦日が 僕を待っている




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