「すぐき漬を食す!給料日前の赤貧の時に」
母の実家から貰ったすぐきが冷蔵庫にあるだけで、
白いご飯以外なにも無い。
今日は労働者にとってピユァーな赤貧の一日なのです〜。
白いご飯とすぐき漬で腹を満たすことになる。すでに五日くらい前から給料日前の最後の晩餐はこれになると漠然と思っていたから驚くはずもない
すぐき漬とオカンの話しなんですが、記憶のあるとこではオカンはそれほど「すぐき、すぐき」とか言わなかった様に思うのです〜
オカンにとっては、すぐきは物心着いた時から度々食卓に登る、自家製の漬物であり、上賀茂神社縁の歴史のある名物と自覚するのは、それが商売のフィールドに入った時だけだったのかもしれません。
とくに戦時中の誰もが腹を減らしていた時代の食べ物として、貧しかった事が思い出となって蘇ってしまうのではと想像します。
そんなすぐきですが、今や高級な京漬け物の代表となり、全国から母の実家には注文が来るのです〜
すぐきは高級なんです〜雅なんです〜
それでもそれでもですーーーーー
今日僕はすぐき漬を赤貧の状況で食べているのです〜
白いご飯に刻んだすぐきをかけて!その他は無しで。
すぐきを一番近い第三者として子供の頃から食べて、聞いて、観て来た僕は、今日別のすぐきの顔を見たのです〜
甘いや辛いのクリアーな答えなど信じるなよーー
このやるせ無い酸っぱさは悲しみとは違うしーー
それは「今に見とれ!ボケ」と言うような荒ぶる闘志も醸し出さない。
ただ只、そこには心穏やかに戦国武士の様に「御前を頂きまする!」となるのだ。
そしていざ出陣の前に!
「すぐきでぶぶ漬を!用意もうす」と言おうぞ!
そしてフローリングに直にあぐらをかいて座り茶碗をもって食すのだよ。これが赤貧におけるすぐき食スタイルである。
「茶茶、又すぐき食えるかのぉ? 儂は死なんぞー」と僕は赤貧の武士になる。そして背中が立つ
わからないけど、すぐきは神に繋がる食べものなのだろう。
赤貧を生きる者にはーー少しそれがわかるのです〜