スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

祖母の40年前のスピリチャルが、私のスピリチャルのルーツなのかを探したい!

2010年06月26日 | 日記

スピリチャル関連を取材する私として、どうしても行ってみたい所があった。
そこは、私の祖母が、やっていた宗教教会です。私が幼いころ確か小学校3.4年生位でした。私は祖母が大好きで、いつも夏休みや、冬休みの日などは必ず泊まりに行っていました。本当に可愛がってもらた思い出ばっかりでした。
祖母は、お正月、私たち孫に、毎年「お守り」を渡してくれました。そのお守りは、5センチ×3㎝位の小さな物で、のし袋のような和紙に、いろいろ言葉がかいてあるようなものです。その言葉は「感謝」「努力」「真実一筋」とかで、今思いだせば、1年間の人生訓みたいなものだったのです。お正月、孫達に「これは誰々・・・」「これは誰のやから」と孫一人一人の物を選んで来て、渡してくれるのです。そのお守りの和紙の後には、鉛筆で
薄っすらと、孫の名前が書いてありました。40年前の、お正月、祖母から貰う、自分の為の、今年の頑張らないといけない項目を書いたお守りに対して、子供心にも、なんか有難い気持ちがしていました。この言葉を守れば、何でも思いが通える気がしたのを昨日ように覚えています。

そんな私が突然、祖母が信じた、宗教とは何だったのかを、知りたくなりました。スピリチャル関連本の出版に携わり、こうしてブログを書くことになり、子供時分に祖母に連れられた、教会(本部)に行てみたい、そのころの幼い私が内を見ていたのか、そこでどのような気を受けていたのか、それから今日まで40年間を生きた今、何か刷り込まれているようなスピリチャルがあるのかどうか、また40年以上たった今、私を
その場所に行かせる縁とは何なんだろう?を考えてみようと思いました。
祖母は、小学校高学年になった私に、無理やりその宗教をさせることは決してしませんでした。私もクラブや友達と遊ぶほうが面白く、だんだん一緒に出かけることはありませんでした。祖母はそれからも、その宗教教会をやめることなくずーと亡くなるまで
信仰しておりましたし、家族、親戚は誰もそれに対して反対するこはありませんでした。
1週間ほど前に、親戚の従兄弟に頼んで、祖母が信仰していた教会で知っている人がいれば、教えて欲しいと頼んでいました。従兄弟は本家で、祖母と一緒に暮らしておりました。年は私しより一つ下なので、出かけるときは、いつも私と従兄弟とは
一緒でした。その教会で、よく祖母と一緒に導きをされていた当時の青年部の方の電話番号を教えてくれました。前もって連絡を入れていてくれたみたいで、私が電話すると、「ようちゃん、元気か??」と一声。「はいありがとうございます。ご無沙汰しております。」と私が挨拶いたしました。40年ぶりです。当時は子供の私と20台後半の青年だった人との電話が、40年たった今でも、その当時の年齢差で話をしていただけることが、嬉しくなりました。ただ年齢差の違いだけだなく、祖母についって、よくお参りしていた、何にも知らない、腕白小僧に対して話をしているのでした。数分の電話でしたが、あの頃の記憶を出来だけ多くたどれるように脳をフル回転させました。
今回の自分のスピリチャルのルーツを探しに行く取材は、小学校3年生の私にバックすることから始まりました。どうも私は、私の子供の頃の話しを、私のいる回りでされるのが、非常に心地良くなるのです。苦労も知らずに、まっすぐにお山の大将でしたから、子供の頃は、毎日が楽しくて、楽しくてしかたがありませんでした。
そして、6月26日の月参りの日に、お邪魔しますと言うことで電話を切りました。
場所は、大阪府の北摂の山の中にありあす。阪急茨木駅から車で30分のところで、大岩という地区です。
6月26日朝から雨でした。私は阪急茨木まで電車で行き、バスで、大岩に向かいました。12時過ぎに終点の大岩バス停につきました。帰りを調べると、19時までなんとバスはありません。山は、雨で緑が濃く映え、静かな道を徒歩で10分ほど歩きました。教えられた道を行くと、40年前には、確かにその場所に8歳の私がいて、無邪気に悪いことをしていたと思うと、少し興奮してきました。
脳の記憶とは、子供の頃の風景を、そのまま甦らせてくれるので、実際にその現場に出向くと以外に狭かったり、低かったりするものです。だから目的の教会は、思っていたより小さいのだと、一人感心しながら、51歳の私に戻りました。
その教会の名前も忘れておりました。あえて電話で聞きませんでしたから、玄関で、その提灯を見た時に、また40年前にもっどって行きました。
「月日大日真心教」と書いてありました。

この話はつづきます。

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書店、スピリチャルコーナーが,パワースポットです

2010年06月23日 | 日記

大手書店のスピリチャルコーナーです。たくさんのスピリチャル系の本が、ならべてあります。そして多様な「切り口」で、読者の興味を誘っています。
スピリチャルヒーラーには、人生のどこかの時点で,奇蹟が起こり、ある能力が身についた人が、多くおられます。私も何人かは、取材させていただきました。霊視が出来たり、ミディアムとして亡くなった方とお話をしたりしています。今、その方達のやっている方向が良いのか、信じられるのかどうかを問題にするのではありません。奇蹟を受け、その能力を生かすことで、多くの人が幸せになれればそれでいいのです。またそんな先生方もその能力の維持や、鑑定によってうける邪気払いには、多くの努力をされていると思います。
もう一方では、奇蹟のない方がスピリチャルに興味を持ち、勉強をしてみたいと思った場合には、どうせればいいのかと言うことです。自分の職業にしようと思って関わって、いかれる方、または、よりよい人生を送る為にスピリチャルを利用する方もたくさんおられることでしょう。私は、奇蹟ではない、この努力型のスピリチャルに興味をもっておられる方、勉強をされておられる方に是非お奨めしたいことがあります。
それは、いろいろなジャンルのスピリチャルの本がありますが、ジャンルを越えて沢山の本を読んでもらいたいのです。
スピリチャル本と言っても、自己啓発関係とのシンクロしているものから、宇宙との引き寄せの法則を語ってる本もあります。仏教感、キリスト感をモチーフにした精神世界の本もあります。いずれの本も手当たり次第に読んでください。「読む」と言う行動が、精神の集中を養いますし、自分の中の気づきの誘発に繋がるのです。
書店のスピリチャルコーナーに立ってみてください。多くの、色々なタイトルの本が目につくでしょう。それを黙読で読んでみてください。心のスイッチが入る瞬間があります。「あ・・・気持ちが揺れている、あ・・・魂が呼んでる」この状態がスピリチャルなのです。
奇蹟の霊感氏、鑑定氏、占い氏などの媒介を伴うヒーリングも、人生の大きなプラスになって行きますが、私が思うことは、人それぞれにスピリチャルを持っています。
それを意識しないで楽しく、幸せに人生を送っておられるかたも沢山おりますが、
悩んだり、心配したり、落ち込んだり、人間、普通にありますよ。そんな時自分の中にあるスピリチャルを覚醒させることで、また一歩前進できるのだと思います。
是非一度、書店スピリチャルコーナーにて「気づき」をしてみてください。
きっと、ここもパワースポットになりますから!!?

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「引き寄せの法則」とアイマスク

2010年06月21日 | 日記

先日読んだ、the secret 「ザ シークレット」の引き寄せの法則を実践しています。
今日で3日めですが、なにぶん今までのカルマが、なりたい自分、手にいれたい物、
付き合いたい人、などに対するイメージが、湧きません。 それは欲しいものよりも、むしろ欲しくないものを考えている時間が長いと思います。今までの私の思考は、○○○したくない。○○○は出来ない、○○○ともめたらどうしょう・・・・・と否定的なことばかり思考しています。引き寄せの法則では、不平不満を言っていたら、間違いなく不平不満の状況を創りだします。私が思っていることを単純に返してくるのです。だから自分の思考に心から起きて欲しいと思うことをねんじることなんですが、これがなかなか出来ません。 
コツコツ汗流して、嫌な時も笑顔で、根気よく頑張って、質素でも良いから、人に迷惑をかけなければいいのだ!とついつい思ってしまします。だから明日もしんどいけど頑張ろうとか、お金のことで、、明日入らなければ支払いが出来ないどうしよう!、仕事の話しつぶれたらどうしよう!とか心配で、心配でしかたがない。と言う思考が、自分が欲する状況の向こう側で、いつも顔をだします。
引き寄せの法則は、理解したつもりでも、長年のこの心配思考、どうしよう思考が、なかなか抜け切れません。
そこで、このアイマスクが登場しました。少し休憩を取る時に、数分アイマスクを架けます。架けている間は、自分がなりたい、欲しい状況を創造いたします。真っ暗な世界なので、通常よりも集中できますし、周りの景色がないので、邪念が湧きません。
これが私には好都合でした。どんどんでてきます。自分の魂の創造がされていくのが
わかります。そして、数分後アイマスクをはずす前に私は、このように自分の思考を創造します。
「このアイマスクをはずした途端に、自分の欲している状況になっている。」
「だから感謝しよう。自分の創造が現実に起こっている。ありがとう、」と言って
アイマスクをはずします。
そして、私の心象風景は思った通りにかわり始めている気がします。
宇宙との同調を体験しました。スピリチャルとは、本当は自分自身なのかもしれません。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

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スピリチャルの本の紹介 「ザ・シークレット」

2010年06月19日 | 日記

あるヒーリングをされている、方かの情報で、ロンダ・バーン著 山川紘矢+山川亜希子 佐野美代子訳の [the secret] です。
全世界で100万部突破のベストセラーとのことです。私はさっそく購入して、2日間で、読み終えました。これは間違いなく催眠術にかける仕掛けがあるのではないか?とかんじさせるくらい、絶対的な教え、(ここでは「秘密」とかかれている)を実践して、健康や、金銭や富、幸せを手にいれてくださいと太く書かれております。
さてその「秘密」とはにか?・・・・「引き寄せの法則」なのです。そして過去の偉人や、成功者はみなこの方法を実践してきたのだということでした。この秘密をしれば、必ず自分の望む物が、引き寄せられてくるのです。、但し悪いことも引き寄せられるのだと言うことで、それは、欲しいものより、欲しくない物を考えてる時間が多いからで、起こって欲しことより、起こって欲しくないことばっかり考えてるからです。「ふられたらどうしよう」とか、「お金の心配」「健康の心配」とか、自分がイメージするものを、出現させてしまうのです。世界は、自分が創造しているのだと強く言ってます。
自分のイメージが、宇宙のパワーの元に伝わり、思ったとうりにその事が、引き寄せることが出来るのです。「思いは叶うを積極的」に、強く説かれております。
自分が欲しい車に乗ってることをイメージし、その車に乗れたことに感謝をすることまで、イメージをする徹底さが、私には驚きました。そしてそれは、自分自身が、自分の運命のデザイナーなんだということです。
私は読み終みながら、すらすらと読書がすすんでいかないのです。面白い内容であるにも関わらず、一小節、一小節ずつ、考えながら、想像しながら、そして実践しながら読んでいました。それは、自分が思うことが、なんてネガティブな創造であるかと言うことに、他ならないからです。もっとお金が欲しいと思いながらも、「苦しんで、汗流して、ナンボやからそんな風に行くわけない」とつい思ってまいます。そのときにはページを戻し、考えて方の間違いを修正していきながら読み終えました。

宇宙のエネルギーは、絶対でありそれは、どんなこも創造する。そして自分自身の心「魂」が宇宙であるから、善悪関係なしに自分が思ったことが、全て引き寄せられるのだ。たくさんのスピリチャルの本をよんでいます。それぞれに底辺で繋がって入る気がします。スピリチャルの本は、内容については、これがいい、これは駄目と言うものはありません。やっぱり「気」がポイントであり、出来ない、無理、諦めたなどの、観念に支配されていると言うことなだろくか? 幸せを引き寄せることは、自分の考えの中にしかないのでしょ。
私は、この本の秘密をしりました。今から実践いたします。
「人様に喜んで頂けるしごとが出来、皆様に感謝して、富の分配をして、寄付をします。」これを毎日創造します。・・・・・・・・(みなさん楽しみに)
それにしても、全てで言い切っている内容には感服いたしました。読み終えれる私の脳みその水分が少しへり、乾きはじめているような気になりました。そしてこの本にめぐり合えた縁が不思議に思え、深呼吸を5~6回やりました。


 

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スピリチャルヒーリングは自分探しと言う話し

2010年06月17日 | 日記

本日、大阪北区で、スピリチャルヒーリングをされているN女史と会食を致しました。
N女史は、レイキ、オーラーソーマーを今現在数箇所のサロンで、実践されております。最近は、またシーターヒーリングを勉強されております。久しぶりにお会いし、私はその向上心に感心しました。
ヒーリングには、色々なアイテムが存在いたします。ヒーリングをする方とそれを受ける方とは、殆ど1対1のマンツーマンが基本の形となります。ヒーリングを受けるクライアントは、そのヒーラーの能力や評判でサロンにやってくるのです。その目的はと言うと、健康の為であったり、心が安らかになる為であり、幸せになる為です。そしてそそれらのメリットを享受する為には、私は、何のために生きているのか、私の魂は、私に何を気ずかせようとしているのか?など結局、「自分を探し」の目的にヒーリングを受けているのです。
自分探しのヒーリングセッションですが、、霊視、レイキ、オーラーソーマー、ダウジング、チャネリング、等のアイテムで受けることが可能なのです。だからお客様によっては、多種のセッションを受けられていることが、度々あります。
N女史は、長い経験を持っています。クライアントさんが、心に伝わる答え、気ずきを
得てもらう為に沢山のスピリチャルの勉強をされています。どんな形態で、セッションをするかが、重要ではないのです。いい気ずきをしていただけることが大事ですから、やり方は、自由なのです。パワーストーン、ヨガ、催眠術など、スピリチャルヒーリングと冠をつければ、どんな方法でも規制がないのが現状です。
N女史は、クライアントに「自分探し」のお手伝いをしているのですが、本当はご自分自身が「自分探し」をしてるのではないかと思います。奇蹟を持たないヒーラーとして
その熱心さと探求心は、多くの気ずきを導くことになるでしょう。来月シーターヒーリングをしていただく約束をいたしました。

ヒーリングの癒しと言うのは、目的が最初にくるのですから、どんな方法でも、そのセッションが、満足すれば良いのです。私はそんな状況をなんら否定をする気もありません。それより霊感、霊視一発鑑定専門と言う一芸スピリチャルのほうが、なにか胡散臭く感じるのです。その理由あ、それらのヒーラーとの御縁が、影響するのではないかと思います。合えば一生付き合うこともあれば、やっぱし胡散臭いな・・・と言うケースもあります。スピリチャルヒーリングは宗教ではありませんから、生涯信じるご本尊様もいなければ、その経典もありませんし拒否することもできます。神様、仏様、キリスト様等のご本尊崇拝を基本にしているのでもありません。
それは近代になって解明されだしてきた精神の領域を研究することで生まれた癒し学なんです。霊視系と精神テーゼ分析系と分けることができます。
私はどれが良い、悪いを言える力も証明論を持っていません。

ヒーリングには、レイキ、オーラソーマー、チャネリング、etc等、それぞれのヒーラーは、その道の追求のをしていただければいいのです。
霊感師や、チャネラーなどの、どこかで奇蹟がおこりその特殊な能力が身についた方は、その能力により、その素晴らしい鑑定セッションをすることが本筋であり、絶対的な能力を使わせてもらうべきである。
しかし奇蹟をもたない人にとっては、スピリチャルヒーリングの求道は、猛勉強と時間を、お惜しまない努力との末に、やっとそのスキルを手にいれることになります。
それでも、もっと新しいスピリチャルヒーリングほ方法が登場すれば、それを勉強しなければなりません。それは奇蹟を持たないヒーラーのハンディーなのでしょうか?
N女史には、それが楽しくてしかたがないように見えました。
「私も自分探し」をきっとしているのでしょうと笑っておっしゃっていました。

海外では、特にイギリスでは、スピリチャルヒーリーングの研究が盛んにおこなわれ、社会でも認知をされ、また学問として研究されております。
哲学、自己啓発、心理学など昔からある「心の勉強」が、今世紀に入り「癒しという医学」にベクトルが向いています。不安や、心配からくる病気の根治に対してヒーリングの役目は大変大きいのではないかと思います。
西洋医学と予防医学と心の癒学で、健康な体を持つ意識は、20歳~40歳のOLを中心に幅広く、多くなってきたのではないのでしょうか。そんな彼女達の目的は、
幸せになる為の「自分探し」なんです。
今の自分はいったい何の目的で、この世にうまれたのか、それぞれ自分の魂は何を学んでいるのかを知りたいし、それが「自分らしく生きる」ことに繋がることをなんとなく判りは始めてきたのではないでしょうか。いよいよそんな年代になってきたのではないかと言う気がします。
N女史も語ります。「私は団体の中で仕事をすることに、非常に大きな苦痛あるのです。自分の記憶の中では、そのようなトラウマは見あたらない。でも魂のレベルでは、どこかにこの案件を抱えているカルマがあるのではないか」と。それを知ることで彼女は自分自身を癒すことが出来る。そして自分を探すことが出来る。


今、西成などで、職もない路上生活者の方にスピリチャルヒーリングで、自分探しをしてくださいと説いてみても、まずは飯を食うことが先であるといわれるのが落ちでしょう。また大学を出て会社に勤めて、この不況に泣いてる方にとっても、「まずは食べれるようになることが先決」と絶対に言うでしょう。切羽詰まった人々には、ヒーリングといえば、仏教も神様も、キリストもまとめてマンマンちゃんアン、どうか仕事がありますようにと、唱えるのが、背一杯でしょう。
それでも、路上生活者がおにぎりと味噌汁の配給を受けている時に、彼らのインタービューを聞くと、「感謝してます,有難い、ありがとう」と本当に感謝して食べているのが伝わります。このように路上生活者になった原因は、元元は自分自身にあるのでしょうが、そんなことをずーと考えていたら生きていけません。それより目の前にある当座の食事にありつくことがシンプルな気持ちでしょう。
スピリチャルの世界では、「感謝の心」を、本当に持つことは、上級のヒーリングなのです。毎日食えるか、食えないかを切実に考えてる人が、食事をさせてもらう「感謝の心」を持っていることに対しては、「人間、苦労をしないと感謝の気持ちがわらないのかな・・・」と考えさせられます。そんな姿をみていると、
私たちは、くれぐれもスピリチャル志向に、甘い期待や優越感を持つべきでないと思うのです。
「自分探し」は、死ぬか生きるかの厳しい冒険なのかもしれない。苦労のない人間にスピリチャルを語る資格はないのかも・・・・・・
多分、N女史もこの冒険の厳しさを理解し、長い道を歩き続けるだろう。

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