スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvs救援物資が届くvs母殿、感謝でごじゃるな

2017年02月09日 | 自分的エッセー
先日「お米が無い!この辛い言葉が、それでも強く生きる契機になる!」とF B にアップしたら、上賀茂のねいさんが救援物資を送ってきてくれた。
お米とすぐきと、たぶん日本一だろうと思う茄子の辛子漬けも入っていた。
すぐきは細かく刻んだ「きざみ」がいい!
これは温いままにまぶして食べる、一杯1500円はとってもいい代物だ。
その後お茶をかけて「ぶぶずけ」でさらっと口の中に流し込むこの贅沢は、聚楽第の秀吉でも口にしなかっただろう。
そしてこの辛子漬けは、有名デパートやお取り寄せe-saight なんかで出品要請が半端やないのですが、頑なにお断りをしていて、昔からの得意様だけにしか手に入らない完全手作りの超逸品なのだ。

痴呆のオカンにぬくままにすぐきと、辛子漬のぶぶ漬けの用意をして食べさせる。
勿論米も故郷のものだ。
齢80歳!20数年住んだ上賀茂の懐かしい味を思い出してみるのもいい。
僕はそのお相伴を有り難くいただかせて貰う事にする。
今日は、メシ屋のゴハン(中)と、漬けもんと味噌汁ーー云々のような下衆な食べ方ではない。
京に上洛した信長のような気持ちで、「京は贅沢じゃの〜猿」と言って愛でていただこう!
そして出立ぞーーー
何も良い事がないこの世を、面白く生きてみようぞ!

母殿、里に感謝でごじゃるな!
すぎくをぬくままの上に乗せると、テーブルの上が上賀茂に変わる。
このすぐきの匂だけで、明神川の流れが聞こえるし大田神社のカキツバタが見える。

「誰か馬をひけーーーーーー」
と雨の中今日もチャリに乗って出かける!


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とにかく生きてみるvs「米が無い!」vs只単に無いと言う事実の向こう

2017年02月05日 | 自分的エッセー
「米が無い」とう言う事は普通に無いと言う事では無いのだ。

朝起きて、オカンの飯の用意をしないとと思った時に、昨日で米が切れた事に気がついた。
深夜仕事帰りに玉出で買って帰るのは、どうも重いし、僕のチャリでは(マウンテンバイク後ろスーパーの籠つき)長距離バランスが悪いので朝起きてから買い物にでもと思っていた。
朝起きてきた痴呆のオカンに「米無いは!」と普通に言ったら、なんと急に涙を出した。
「米が無いのかいな、あぁーー」と言って。
そして隣で借りて来るわーと言い出す。
「それは恥ずかしいから辞めて」と僕は説得する。
「賀茂のねいさんに送って貰う」とか言いながらも「こんなん慣れてるからなんでも食べるから」と言う。
そして「米が無いか?!」と数回呟く。
この時代の人には「米が無い!」と言う事は、今無いけど買って来たら問題ないと言う思考にはならないのだろう。
何もなく貧乏だった時代を、乗り越えてきた人にだけ湧いて来るこの感情は何なのだろうか?
「米が無い」と判った時点で急に痴呆のオカンのスイッチが入った。
「何とかやっていこーー贅沢は言わんから」と誰かに言い聞かせるように声を張って言う。
そして遂に「どっか仕事に行くは!」と言う始末だ。
目の前のものが無いだけでない「米が無い!」と言うその言葉の伝える意味は何なのだろう?
「かかってこいや〜〜貧乏」
「負けるかいこんな位で!」なのだろうか?
決して悲観しないその態度は痴呆にもかかわらず染みついたものなのか?
そしていつになくハイテンションで中古で買った社長椅子に座っている。
そして考え事をしながら指でテーブルを8ビートで叩いてる。

僕は今日は米を買うのやめようと思った。
その代わりに鏡餅の残りを切って砂糖醤油で焼いてあげた。
「飯が無ければ餅食うとけ!」てよくお母ちゃんに言われたと楽しそうに話しながら餅を美味そうに食べる。
やっぱり餅は神に捧げる食べ物だったのかと思いながら、餅のシンプルさとその神話性に改めて脱帽する僕だった!
痴呆のオカンにエンジンがかかった朝の原風景は、今から65年前位に重なっていたのだろうか?
いや今でも「米が無い!」は辛い言葉の反面、それでも生きてみると言う強い契機を与える言葉なんだろうな〜〜


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