スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるVS心に沁みる句

2010年09月28日 | 日記

11月7日(日曜日)に予定していた「スピリチャルセミナー」のイベントを延期しようと思う。その理由は、まず今の私し自身が、どうしても聞いて欲しいと言う気持ちにならないからだ。是非この話しを聞いて、気づいて、自分を探しをしてくださいと、果たして言えるのかが、わかりません。たとえ有名ゲストが、話をしていただくにせよ、主催者として心から送れる伝えたいメッセージがあるのか、はなはだ疑問なのである。ひょっとしたら、このセミナーは、お金を集めるだけのものではないかと思い始めたのです。
自分が迷惑をかけまくっているのに、私がスピリチャルを伝える資格はないのです。そんな理由から、セミナーを延期しようと思います。


今、汗を流して働こうと考えています。死んだ方の遺品の整理をする会社をたまたま雑誌で読みました。孤独死をされた老人や、急になくなった身寄りのない方の住まいに行き、遺品を整理して、遺族にとどけることや、その部屋で亡くなった方の退居の為の始末もサービスとしてやっております。その会社の社長さんと10月1日にお会いすることになりました。暫くは雇ってもらいたい旨をお伝えしておりますので、多分その日が面接になります。人はいつか死にます。私などは、死ぬ時に「辛い」「苦しい」「死にたくない」「悔しい」等叫ぶ可能性は大です。心を決めて、毅然とした態度で死ぬことなど絶対にできないでしょう。ほんとうにじたばたして、自分の弱さ、醜さをさらけ出すでしょう。


イエスキリストは、必ずしも毅然として死ななかった。むしろ彼は「主よ、主よ、なんぞ我を見棄てたまひし」と叫び、死の苦しみ、死の辛さを味わった。しかし心打たれるのはイエスが臨終の時、次の言葉を口にしたからである。「わが全てを神に委ねたてまつる」これは自分の立派な部分だけだなく、弱さ、醜さ全てを神と言う大きなものに委せることである。立派に生きればいいし、弱く、醜く生きたとしても、これが私の人生でしたと拗ねた言い訳をしても、そんなことは問題ではないのです。死ぬと言うことは、全て迎えてくれるのです。今スピリチャルを追求して、心は、魂はと言うような得偉そうなことを考えるより、ボロボロになっても、とにかく生きてみようと言う気持ちのほうが強いのです。
そしてこの句を見て私は嬉しくなりました。
裏をみせ 表をみせて 散る紅葉

(遠藤周作 神と私より参考にしました)

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最高の睡眠が出来た。レイキで出来た。

2010年09月25日 | 日記

飽きぽいというのか、優柔不断というのか、自分がレイキのサードデイグリーを取得しているのにもかかわらず、つまらない出来事があっても、駄々流して生きていたのです。
昨日は精神的にも、物質的にも大変疲れた一日でした。「貧すれば鈍す」の典型的な一日でした。経費節約が、余計とお金がかかる始末になり、自分の境遇を怨み、人のことを妬みまくりました。そんなことですから、当然自分の精神にも反応がおこるのは当たり前でして、夕方から酷い頭痛と動悸が襲いました。どんどん地獄に引き込まれそうになり、ぼろぼろの状態で家にたどりつきました。どうにもならないこと、それは全てが自分の身からでた錆びと思いはするものの、何かに当たりたい心情は増すばかりです。
経済的はだめ、人間関係もだめ、未来予想図も書けない状態でして、唯一の集中策としての読書の乱れ読みも、全く頭に入らない空読み状態です。この原因は一にも二にも仕事と収入のバランスが取れないと言うことですが、今晩中にこの問題が解決できるわけでもないのですが、酒を飲み、酔って寝てしまおうという男らしさもなく、只イライラしていました。前にも書いたのですが、私はアイマスクをして寝ています。それは、朝、このマスクをはずした時に、リセットされた自分を期待しているからです。アイマスクをつけて、横になっても眠れるはずはなく、頭には、バッドニュースがぐりぐりと写しだされます。どうすれば・・・・・なにをすれば・・・・とその堂々巡りにため息と一人言が頻繁に発せられます。そこで頭痛を癒す為に頭を軽く押さえていましたら、チョッと気持ちいいのです。レイキかと、急に思いだしまして、その作法に則り、邪気を払い、光を自分の中に取り入れ、マントラを唱えて、頭頂と丹田に手を置き、呼吸を数えました。
重いマットが頭に乗っかかる状態でしたが、少しずつ楽になり、呼吸が約30回くらいになった時には、すでに深い眠りに入っていました。
それから6時間後、久々の心地よい目覚めを自覚しました。
レイキを知ったのは今から5年前でした。大阪教室も開始しホームページも開設してやる気満々でしたが、自分の思慮不足により1年後閉鎖に終わりました。人に言える、伝える実力も、器もない自分を今更反省してもどうなるものでもありませんが、
習ったレイキヒーリングは、生きていました。当時私はレイキを拡大解釈、夢つづりをしていたかも知れません。レイキ>癒す>気づく>良い方向>いい環境>上手く行く>成功となる。ほんの数回かじったレイキで、ここまで飛躍した、楽天的な考えをしてたかもしれません。でも今は、とにかく昨晩心地よい睡眠が出来たことのみが感謝です。よく眠らさせてもらった、後は、私が何とかする!!と言う気持ちです。それでも何とかならないかもしれませんが、ただ1晩の最高の睡眠を取れたことに幸せを感じました。
この間、あるクライアントの方に言われました。もっと汗をながしてみたらと!
その通りです。ただショウムナイプライドがそれを拒んでいましたが、先日とあるカジノみたいなスーパーの夜勤専門の仕事の面接がありました。合否はまだですが、とにかく生きてみようと考えています。

 

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ロンリーシルバーVSシンシナティーキッドVS父の自作のサイコロ

2010年09月20日 | 日記

本日は、敬老の日であります。特別にはれがましいイベントも、家族で食事会する予定もありません。そこで何かいいネタをと思いまして、競馬好き、競馬狂、競馬命の父を淀の京都競馬場までお供することにしました。ここで父の紹介を少し・・・・・
まず無口で、質素で、頑固で、友達いない?酒は飲まない、タバコは吸います。小市民なお爺さんですが、競馬だけは昔から大好きです。1年間毎週土曜日曜は競馬をやっています。と、言っても1日3000円くらいをちびちびと楽しんでいる人です。
そんな父が、競馬場でどのように過ごしているのかを、かねてから母の要望で見にいくことになりました。というのも1年前に手術を(脳梗塞)をしまして、一人で行って大丈夫なのかを、母は気にしていました。

私は競馬はしません、また競馬場も場外売り場も行きませんから、どんな雰囲気で1日を過ごすのかは想像できません。本日は阪神競馬場の開催ですが、京都競馬場でも、馬券が買えて、モニターでレースを見れます。場外馬券売り場として利用できます。
また、街な下の場外売り場では、窮屈な場所で、ずーとたって見なければなりませんが、場外馬券売り場としての京都競馬場は、ゆっくりと競馬を楽しめるのです。スタンドにすわり、大きなモニターを見ながら予想をして、馬券を買う・・・・・ ホスピタリティーも整っていますから家族連れも結構いてます。
そこで私が感じたことをお伝えいたします。
まず競馬は100円から買えることで、12レース楽しんでも、最低1200円でとにかく遊べるということです。レースとレースの間は約30分くらいで、その時間で次のレースの予想と馬券購入をするのですが、この30分が実に間が、いいのです。
素人の私には、辛気くさく感じますが、競馬好きの方には、刻一刻とせまる締め切りに向かって各自のやり方で馬券の決断をします。
ちょと横にそれますが、1円パチンコと言う定額で遊べる、パチンコの形態が定着してきましたが、それと比較することは出来ませんが、「当たり、的中、」を手にいれるためにする作業としては競馬は、パチンコより崇高な想像的なゲームなのだと思います。
競馬ロマン論をここで話しする資格は私にはありませんが、レースを読んで、出目を降臨させて、買う馬券が最低100円からで、もし3連単で当ればたいていは1万くらいのオッズがつくのです。なかなか3連単はあたりませんが、ナンバーズを買うように12レースを数字だけ追いかけて賭けるのも面白いでしょう。

さて敬老の日・・ですが、シルバーな男性が多いことに驚きました。それも殆どが一人で来られている方です。そこにはまた一つの多くのお年寄りの老後の生き方があります。
家族、親戚が寄り合い、宴会をしてファミリーをから祝福を受ける老人、敬老会で、カラオケパーティーで楽しむ老人。それらの人は今までのちゃんとした人生を送ってきたらこその敬老の日のお祝いが迎えられるのでしょう。そして、ここにも、この競馬場にも敬老の日なにふく風のように、ロンリーシルバーが、競馬新聞をみて、実績、好みの馬,騎士、当たり数字のめぐりあわせを考えて、想像して決断して馬券を買うのです。そんな人は、敬老の日である今日をどのように思ってるいるのだろうか?と私は馬も走らないスタンドで考えていました。一人で来て、一人で遊ぶ、このロンリーシルバーをかっこよく見えたのは、群れることしか存在していなかった自分の過去の後悔と反省なんでしょう。

ところで父は、馬券売り場の隅の柱の横の椅子に鞄を置き、新聞を広げ、ひたすらモニターと自分のノートを見て、想像と決断を楽しんでいます。その場所は父の指定席らしく知った顔の同じ位の年齢の人と、ちょこっと話しなんかしている姿をみて、ロンリーシルバーの哀愁を見せ付けられた気がしました。私はいつも、誰かと居たい、繋がっていたいという甘い願望を持っていす。休日は、友達とゴルフ、旅行、コンサート、スポーツ大会、などなどが、幸せだ思っていましたが、どうやらこの先一人で楽しめる趣味を見つけないと、この先かっこいいロンリーシルバーになれないのでないかと真剣に思います。
父は、床にスポーツ新聞を広げ、自分で作ったオリジナルサイコロをころがし始めました。父は、あなたは今、スティーブマックインのシンシナティーキッドになっています。


 

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もとプロ野球選手VS超前向きVS新企画

2010年09月18日 | 日記

この夏前に知り合った、元HANKYUの選手で、京都の名門の高校では、春夏の甲子園に出場された方です。プロ生活では、現役は短かったのですが、16年間、新人の教育担当コーチとして、当時の上田監督にも信頼が厚かった人です。
お会いした切っ掛けは、「アマチュアスポーツにもプロノトレナーを派遣すること」を目的とした、一般社団法人を設立された時でした。広報的なお手伝いをすることでお話をさせていただきました。近々にはホームページをアップする予定です。
ところでこのT氏なんですが、ものすごいバイタリティーがあるのです。
歳は50歳を三つ越えているのですが、人に会う、人に会う、説明する、説明する、お願いする、また人に会うというように、とにかく動いて、動きまくっています。戦略的思考や、仕事の優先順位等のエリートサラリーマン的な意識は一切ありません。というと運動部、スポ根仕事人の会えばなんとなるとか、当って砕けろとかの大雑把な、人間関係を紡ごうとしているのではないのです。「まずは、会った人にたいしては、信じるのです。」とこの今時の社会では珍しい思想のもち主なのです。「騙されるかもしれませんが、疑って、話しはしていません」ときっぱり言い切ります。T氏自身も本当はそんな単純な考えではないと思いますが、言い切るのが素敵なのです。今時、色々な角度で物を見ることが重要であり、こうだ・・・!!と言い切れることが、自分を庇う、初めから言い訳を持って交渉する私にとっては、なんと新鮮なことであろうと思う。
そのT氏と話をしている時にプロ野球をやめられた方の、第二の人生についてお聞きすることが出来ました。ある人は、整体鍼灸院を開業されていたり、ゴルフのレッスンプロとして沢山の生徒を教えていたり、飲食店を経営されたり、野球とは離れて生きていかれているかってのチームメイトさんのお話しを伺いました。
一度は、最高レベルの世界に身をおいた人々が、その世界で生き残っていけなかった時の気持ち、小学校から命をかけた野球に決別した時、これから生きていける術は何なのかを考えた時に、どんな気持ちになりましたか?を質問させていただきました。
まずT氏は、チーム内では見込みがない若手選手の肩たたき係りだったのです。
プロ野球で燃え尽きた人はほんの僅かです。ほとんどの選手は、公式戦にも出場出来ず引退をしていきます。青春を賭けた思い出に酔う暇もなく、その仕事をすべて失い、新しく第二の人生を選び、0から出発する時の心の葛藤やその思いはどんなものか?
今の社会で生きるワンアウトを喰らったら、なかなか浮上するのは難しいです。なかなか前に進めないでいるワンアウトを喰らった人々に、勇気を与えるメッセージ
を送れたらいいのですが、と私の独り言が、T氏に聞こえたみたいで、T氏は「その何人かの人は、悩み、努力して、成功している人がいるのです」と話されました。

取材させてください。お話しを聞かせてもらえないでしょうか?と私はお願いしました。ワンアウトを喰らった後どのような気持ちで、どの位努力をして、第二の人生を輝くものにしたのか?を著書にまとめてみたくなりました。
最高レベルのプロ野球、猛練習、真剣勝負、上には上がある、プライド等が、どのように作用して、どのように邪魔をしたかを是非まとめてみたくなりました。
とにかく生きてみよう、とにかく会ってみよう、とにかく書いてみようと思いました。

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出版プロデーュスVS風俗女性VSスピリチャル

2010年09月15日 | 日記

昨日、大阪で活躍(名前は知れ渡っていません)する作家さんとお話しする機会がありました。今の出版業界のおかれている無残な現状を愚痴を含めて、聞かせてもらいました。それ以上に、大阪発の本が全く売れないことに話題がうつりました。大阪発の本は、「サカボン」と言って昔から東京では、馬鹿にされている風潮があるのです・・・・
そこで、今私が考えているノンフィクション的な、小説のスクリプトをお話しさせていただきました。

ある女性の話しなんですが、彼女は風俗に勤める女性です。その風俗は、男性の前律線のマッサージを専門にするお店です。男性は寝ているだけでいいのです。女性は,その男性の性的興奮をする箇所を巧みにマッサージをして、逞しい勃起を起こさせて、快感を提供するのです。これは巷にあるファションヘルス等では出来ない熟練された技が必要なのです。その女性が、5年の間に接した男性(お客様)の色々な癖や、普段の仕事モードではみれない、その時間だけの様子をどのように思ったかを述べながら、自己嫌悪に堕ちていく自分と、幸せになりたいと思う自分との葛藤を、スピリチャルの力によって前に進むというストーりです。
多くの女性がスピリチャルヒーリングを受けると考えることがあります。
自分の気のアップや、自分のオーラーの浄化は自分自身で出来る可能性があることに気づきます。そこでサロンに通い、勉強をして資格(公のものはない。すべて民間)をとります。将来を考えての自己啓発ですが、この時点から大きな迷いが生じてきます。まずは、ヒーリングサロンを立ち上げたところで、すぐには食べれないのが普通です。特に高額収入を得ている風俗の女性が、足を洗ってこの仕事についたとしても食べれない事実がそこに大きな壁になります。所詮世の中「銭」という生きる為の座右の銘が、頭にはっきりと浮かんでくるのです。別の仕事を選んでも今までの収入も見込めないとしたら、もう一度風俗の世界に戻ろうかなと思いはじめます。
でも今では、スピリチャルヒーリングを勉強した自分には、この葛藤、矛盾こそが迷路にさまよう始まりなのです。自分を信じろ! 心はそれを望んでいない! 自分を褒めてあげて! 毎日気を浄化して、ラッキーカラーを見つけて、瞑想をしても、明日の家賃を考えなければならない自分が、なんとも情けなくなります。
そして・・・・もう一度風俗の世界に帰っていきます。
昔の自分に決別して、新たな道を歩くことに希望に喜びをもった時、風俗よりいいと確信したはずの自分が、リアルに生きることの厳しさに突き当たり、もう一度風俗にもどった。もどった自分は、スピリチャルヒーラーとしても先生の資格もある。
さあ昔みたいに自分を隠して生きるのか、開き直って、風俗嬢であり、スピリチャルヒーラーとしてカミングアウトして、楽な、あるがままの気持ちで生きるのか?
人間として、女性として、自分に鋭く問いかけるのです。

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