とにかく生きてみる。梅田北ヤードの向こう側に新しくオープンした、まったく新しいホットポット(鍋)の最高執行責任者として、今毎日毎晩お店にたっている。ゆわゆる客商売であり、待ちの商売であり、サービス業である。
つくづく思う・・・私は器用なのか、それとも不器用なのかである。もともとタレントのなりそこないであり、芸能ごとの大好きな性格ゆえ、お店でのスタッフというのも、あるアトラクションのキャストと同じであることはすぐに理解できるし、そのキャラになりきることが、プロであるし、またそのキャラも、その日の店の雰囲気や、天候や状況によって演じ分けなければならないということもわかるのだ。
それは、小学校の学芸会並みのアトラクションであれば、自然にその化けの皮もすぐにはがれ、すぐに信用というか、支持が得られなくなるのである。プロである、お金をいただくからには、なりきるシンクロする、しかも憑依をしなければならない。
人気のある物語には、板についた役柄や、キャラが存在すると言うものである。寅さんの渥美清や、釣リバカの西田敏行みたいに、本人か役柄か、どちらもシンクロするようなところまでキャラになじんでいきそれが支持を得るのだろうが、私の場合のキャラ設定がまだ固まっていないのだ。シリーズ化されるこのレストラン物語において、脚本、演出、出演をかねる私のキャラ設定には、山田洋二や向井田邦子、スティーブンスピルバーグの向こうをはって、傑作なものを設定しなければならないのだ。
そこでだ、頭に浮かんでくるというか、インスピレーションというか、昔昔、清水健太郎が歌った、「失恋レストラン」という歌がある。
「悲しけりやここでお泣きよ・・涙ふくハンカチもあるし・・」
あかん・・ハンカチなんかあらへんぞ、早速阪急の一階に行って買わなければ・・・・
「愛が壊した君の心を優しくつつむ椅子もある・・」
あるある、ここの椅子はめちゃくちゃ座りごごちがいいので、話し込むお客さんの多いこと
「ネェ・・マスター作ってやってよ涙忘れるカクテルを・・」
うぅん・・ないぞ。涙忘れるカクテルなんか!早速世界のカクテル辞典から、研究するとしよう。
そしてこれが問題である。
「歌ってやってってよ・・・痛み癒すラブソディー」を・・・・・
わしは、歌は好きやけん、でもめちゃ音痴じゃけんのう・・・わしの歌で、癒されるんか??
ともんどり打つのである。かめへんで・・・何ぼでも歌とたるけど、「それでいいんか??」という自問自答である。
そして最後には、「ラストオーダは失恋までのフルコース」である。
肉はいいとしても、魚貝系がないぃんちゃうか?という呟き。
そして〆は、忘れろ雑炊か、いい思い出やん麺をその旨いスープにいれてやるくらいしかできませんぜ・・
でも・・・「ネェマスター、ネェマスター早く・・」なんてせかされたら、こっちはパニクルやんけ・・・
と、まぁ・・失恋レストランのマスターとしてキャラを立てればこんな感じになるのだろう!
さて、やっぱりどんなビジネスでも今の時代それは難しいし、ましてや繁盛店にもってくるには並大抵の努力ではないと思う。しかしその辛さばかりがクローズアップされるわけではない。
昼間の激しい仕事を終えて、束の間のほっこりする時の食事を提供することは、いくらかのお金をいただいてると言え、「また明日もがんばって・・」というメッセージを一緒におくるということである。そして送るからには、いい気運のメッセージが大切である。ゲストの心情はこっち側ではわからない。心、穏やかでないときも、悲しみや辛さを背たろうているときもある。
またそれが生きるということであるし・・・また日々の中でたまにくるラッキーモゥーメントも、今夜こそ君を落とす・・と根性を入れた夜も、マスターは、失恋レストランのマスターは変わらず、「頑張って・・そしてそれでもくじけたら、ここに帰ってきて、涙忘れるホットポットを食べんね・・」と言うメッセージを発信するのだ。
そこに私の事情は一切いらないのだ。いつでも、どんな時でも、歌を歌えぬ私でも、話相手になってあげる、ずーっと「ネェマスター、ネェマスター・・・・」と呼びつけてくれと思う。
若い頃からの、海外一人旅
だますよりだまされたことが多い
歌は下手くそだが、選曲は渋い
酒は酔う日と酔わない日がある不思議体質
恋愛は苦手
好きなギャグは「くさぁー」と「おぉーーおぉーーー貞治」(オリジナル)
楽しさの裏側に辛さも存在する・・のだといつも思う
ひそかに外人の女性と暮らす・・・
そして此処に TONY KITAMURA が設定される。