とにかく生きてみる!もうすぐしたら、三回目の心筋梗塞のステントの手術を受ける。
慣れたもんだと言うのは憚かるが、今回は昔々から詰まっていた血管にステントを入れるそうで、足の付け根の二箇所から通すらしい。そうしたら何とか健康に成るはずだ!
健康な身体にいい考えが宿る事は真実であると思う。その結果は良いかどうかわからないが、いい考えが湧いてくると言うのはめちゃくちゃ面白じゃないかと期待するのだ!
ここ最近!息子や長年の友人に、僕が独断と強烈な選り好みと偏見とノリとウケ狙いで、「とにかく生きてみる賞」を贈っている。東京で極貧の中で芸能事務所のオーデションに行って、「受かった」けど金を払はなければならない事に「とにかく生きてみる賞」を贈った。
さて、僕の事である。痴呆の母親との暮らしは中食(出来合いを買ってきて盛り付ける)のアレンジのアイデアの勝負であり、コストとの戦いである。そこで某○務スーパーでめちゃくちゃ安いカレーのレトルトを買った。5袋で250円だから、1袋50円のカレーレトルトである。
僕はたいして期待もせず、しかしカレーと言う日本で最も食べられてるメニューという事もあり、全く食べられない位不味いとは考えていなかった。
「そこそこなら良し」という方針でいつもいてる。
そしてレトルトを容器に移し、レンジでチンした後、中途半端に暖かい御飯にそのカレーをかけ、スプーンで二、三回耕してカレーライスを口に運んだ。
「コクがない?」「コクが無いのに不味くない?」「不味く無いのにもう一度スプーンが動かない」~-というそんなカレーライスだった。
それは単に安いから不味いと言う図式では無い。
コクが最初から含まれていないカレーなんだろうか!そう思えば「コクががある事だけが、カレーが美味い条件では無い筈だ!」全くコクが無いカレーももう一方のサイド側では美味いカレーと同じ様に歓待される事になるのでは?と考えてみる。
コクの追求はそれは美味いものになる鉄板の話しである。その味の奥に、野菜や魚介の微かな味わいが醸し出ていたり、お酒やワインを入れて意外な香りから至極の一品となり、それが美味さになるのだが、その反対に全くコクを持たない味という物が存在しないとは言えなくはない。食べたものの、それは即くその味という図式なのだ。
トマトはトマトの味、マグロはマグロの味として存在するように、シンプルな素材としてのカレーの味もあるのでは無いかと考える。はい!カレーですは、アズスーンアズなカレーであり色んなスパイを混ぜたルーに野菜や肉を一緒に炊いて作るカレーであるだけでは無く、単なるあのカレーという素材がカレーを存在させてると思う位いコクが無いのである。
それは食べた瞬間に口の中から脳みそに送る物語が無いのである。ピクチャーライズ出来ないのだ。
高い壁が立ち覇だかるように、無時間な世界の様に味の歴史的な移動がないのだ。
食べた瞬間、そのカレーは涼しい顔で言う。
「はいカレーだけです」とカレーの記号だけが僕を呪うように僕の口に入り、それ以上味の感想が広がらないのだ。
高い壁が、ちいちゃな前にならえをしたら中指がつくくらいの距離に覇だかり、上を見上げれば、真上の太陽しか光が拝めないくらいの高さをした壁が僕の前にあるように感じるのだ。
「カレー」という記号のもつ呪詛に完全に囚われる。それでもカレーという素材があるのが意識させられるからカレーなんだ。
普段から僕や皆が食べているカレーは深いコクがあり、時間的な流れがあり、どんな小さなソースの破片にも物語りがあることが解らさせるしそうさせる様な工夫はしてある。たとえインスタントでも結構なヤラセのコクは入れている。その証拠に、そのコクを知るとじっとしていられなくなって来る。
そうなんだ、コクのある美味いものを食べると、クルクル動き回りたくなるのだ。人間はクルクル動き回ることが好きな動物であると思う。クルクルしたいが為に美味い物を欲するのだろうか?と言うぐらいに!恋愛も、ビジネスも、教育もクルクルしたいが為に原始にスタートしたのだろう。
でもその反面、居つく様に、立ち止まるしか出来ないコクのない食べ物もある事を知ってしまった。けれどそれを食べる事は悲しい事ではないのだ。
僕はいま、1袋50円という非常に世間的にパッチーなレトルトカレーを食べる。全く「コク」が無いカレーを食べる。でも文句も無い!原初のカレーはクルクル走り回るような味では無かったけど、それには誰も失望はし無かったはずだ。
僕もそうで、何故かこの「コクの全く無いカレー」を一口食べて、不味いとも、失望とも感じないが、ただカレーという記号に囲まれ、身動きが取れないほどの空間が襲ってきて、コクの旅をする時間を盗まれた感じがする。でも失敗感はないのだ。我慢をすると言うことでもない。
言い過ぎれは、どしっと落ち着いてこのカレーを食べる事さえも僕にはできる。でも何か悲しいのだ。
何故か?
それは誰かにこのカレーを食べてもらいたいという絶妙のパスを送る相手が浮かばないことだ。
ただただ大きな高い壁が僕の前にある。どんなパスも贈る事も出来ないこの位置は、孤独な位置なのだ。でも1袋50円のレトルトカレーはまずく無い。ただ「コク」が全くないのだ。
それは何だかよく分からないものがこの世に存在すると言う基準を受け入れる事につながるのだ。
だからこれは僕だけの持論にする。
そしてこの持論は絶対に受け売りでは無いことだけが嬉しいのだ。
人の受け売りだったらもっと言いたい事が綺麗に収まるはずだから~~
でも、僕はこのコクの無いカレーに1袋85円のハッシュドビーフを混ぜた。それでもコクも出てこない。
でも僕は必死でその味を、そのカレー➕ハッシュドビーフの意味を探した。もう意味なしでは耐えれそうになかったから。
そして気がついた。「辛さが無くなった」事を!