スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

今年はあったvsでも結果オーライvsそしてとにかく生きてみるか、来年も。

2015年12月29日 | 自分的エッセー
とにかく生きてみる。そして2015年が終わろうとしている。
今年は我が人生では大きなことがあったと言えると思うのだが、今僕は大きな事と書いたが、50数年生きてきて一番大きい事かどうかはわからない。人生の岐路でもないし、大きな転換期でもなかった。でも今年の事は確かに記憶に残る事があった。
親父が亡くなったこと、そして人生初めての手術、それも心筋梗塞の2回の手術があった。
だからと言って、何か僕自身変化した訳ではないと思う。人間って物語を作りたがるもので、今年の様な場合は、特に転機とか、生まれ変わりとか、神の啓示とか、その意味を探ろうとするけど、そんなものは何もなかった。ただ長く生きてくると色々な事に出会わなければならいのだ!

できれば避けたいけどそうはいかない事がある。それをただ引き受ける事ができる様になった事に気がついたということだけだ。そしその出来事が過ぎてしまってから、事後的に何か一つ成長してる?したかな?と思ってみたりするのだ。

そこでだ,今年の思い出に本を一冊買った。



色々な出来事もあったことは必然とは言うけれど、そんなポジティブに迎え入れる事が出来ない事も時も有る。

成熟するけど、どれ位成熟したかなんかは、スコアーをつけるわけにも行かない、自分でも点検出来ない。成熟するという事はどう言う事かをあらかじめ知っているような事は不可能で、知っていたら成熟とは言わないのだ。
いつの間にか、昨日の自分より少し大人になっていた。そしていろんな人から頼りにされるようなことで、「僕大人~~ですかね」という事後的な発見をするだけでしか成熟した事は分からない。
成熟する為のマニュアルやマップもなく、1日1日の日々生活の中でしか身につく事だけが、人間の生きる深みや営みこそが成熟を作っていく。
その過程を「困難」として引き受ける覚悟を僕はしようと思う。

2015は~ーその意味では、結果オーライだった。結果オーライて、どんな卑怯な事をしても最後が良ければいいという話では無い。結果がオーライになる制度でしか、僕の人生は体力気力ともに持ちこたえることができないのだ。
さてさて,正月、敢えて困難を選ぶ僕は、確かに成熟したのか?
もう一人の僕に時間をかけて聞いて見ることにする!
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とにかく生きてみるvsただひたすらに読んだvs隣人を愛すること

2015年12月07日 | 自分的エッセー
久しぶりにブログを書く。しばらくは忙しいさに過まげて僕の心の琴線が発令しなかった。

しかし人間は時間に生きている限り、必ず変化する。その変化と共に生きることがストレスの少ない楽な生き方なんだろう!
僕は10年前に会社がパンクした時の役員だった。
それなりの責任と負債を持ってその時期を乗り越えようとした。奇跡が来るのか?こないのか?を知るために、とにかく生きてみる事にした。

それがこの本である。かれこれ7年間で10回以上は読み直した。



神様とどう付き合うか?
大人とは誰かー何を持って
隣人を愛する事とは~~
本当に色々なジャンルに傾倒した哲学的思想が中心の本だ!
この本を読む姿勢は、聞こえるか、聞こえないかわからない神様の声にどの様な姿勢で臨んで生きていくか?に集約される。僕は全く意味の不明な言葉は何回も何回も読む事で、身体的に理解ができる様になる事を知った。
「なるほどこうゆう事だったのか?」それは
もうビビらない生き方に変化をさせてくれた。


「本当の自分という」という幻想を自分が決めつけて、それに他のすべての性格が従っている状態を自分として設定しているから、自分自身を愛する仕方がわからなくなってしまっている。
「本当の自分」とか「ピュアな自分」とか「世界で唯一の自分らしい自分」というものがどこか自分の内部に隠れていると思っている人間が沢山いてる。そんなのは存在しない。雑多でグチャグチャな自分の人格が混在している事実を受け止めてない、だから自分を上手く愛せないのだ。
誰でも、自分の中に弱さや醜さ、邪悪さを抱えてる。誰も憎まず、誰も羨まず、誰にも欲望を抱えない人間なんかいない。
自分の中に確かに存在する、そう言った邪念を受け入れるところからしか、「自分を愛する」事は始まらない。
ただそれは自分の中にある人格要素と折り合っていくしかない。自分の邪悪さや愚かさと共生するしかないのだ。それは諦めや屈服ではない!
「私の弱さ」を私は十分観察してるし知っている。そしてそれがどんな場面で出没するかも知っている。でも~~「気にしない」‼️
自分で自分を観察するけど気にしない‼️

自分を愛する事の基本系は、自分の中にある様々な「不快な人格」となんとか折り合いをつけてゆくという事です!
自分がを愛せないものが~~隣人を愛することはできない!

愛するとは完全な理解と共感にもとずくものではない!そうではなくてなんだか「よくわからないもの」を冷静に見て、振る舞い方をわきまえて、
涼しい顔をして受け入れることである。
この能力が神様を愛する能力にまっすぐにつながっているのです!
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