とにかく生きてみる。新年から、インターネット、紙媒体の求人紙などの情報から、吟味した?というより年齢制限のないもので、なんとかお役にたちそうなものをピックアップして募集エントリーしたり、実際に選考会にも出向き、面接設けた。
その結果が、新年から三連敗である。東京の出版社2社については、難しいそうな気もしないことまなかったが、長いレポートをそえて今の気持ちを考えを送っていた。しかし、今後の北村様のご検討をお祈りいたしております云々と返事が返ってきた。
そして、大手T○Y○T○の期間ライン工については、不退転の覚悟で望んだ。
「大阪をあとにするけど・・・」それもこれも生きる為やとの覚悟を決め、洗濯から掃除から、身の回りことももう一度自分自身でやろうと決めて挑んだのだが、その合否連絡が封書で届いた。
少々見にくいのは、一度くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てた遺恨が皺になっているからだ。
絶対に受かると思っていた。なんなら給料から天引きでトヨタの車を買ってもいいとう気持ちも喉から出ていた。それでも「ご期待に添えないことになりました」とすっぱり不合格であった。
それは、深夜バイトから帰り、眠さを押しのけ選考会場に一番のりをした自分のやる気を、どこかの拾う神様が見ていてくれるという確信があったからだ。
「甘かった・・」
「現実はこんなのだろう・・」
「しかたない・・・」
「もうTの車は乗らん・・」
といまさら言ってもしょうがない。またこの年である、次回という言葉も存在しない。
せめても、何故落ちたのかが判れば、その傾向と対策が組めるのだが、求人に関してはその答えは自分で想像するしかないのだろう。
新聞の広告欄には自己啓発の新刊が、天国方面幸せ行きのガイドブックのように掲載されている。
「運を超えた本当のすごさ」
「受かる!自己PR作成術」
「君を成長させる言葉」など・・・・・・
これらの類の本を読んで挑んでいたら、どうだったのだろう?
もちろん結果は同じであり、また引き寄せの法則で、「すでに期間工として現場ラインで楽しく作業しているところをイメージする」という引き寄せの技も木っ端微塵に砕けていただろう。
どうも自己啓発本のなかでは、注意書きとして、年齢制限というか、50歳以上の方には効果が薄い可能性がありますようなことも書いておくべきではないだろうかと思う。
いまさら・・・目標を決めて、そのためにどんなプロセスを経て、どんな努力(行動)をするか・・・云々の話も私の中では、「なる時はなるし、ならん時はならんは・・に」に達観しはじめている。
これを中年のあきらめと、お怒りの諸兄もいるかと思いますが、今から100年ほど前には、すでにこの年では死んでいてもおかしくなかったのだから。松尾芭蕉も50歳前半に亡くなっているのだから、「頑張ります・・」という自己PRも相手方かしたら「嘘つけ・・」と腹の中で呟いているのではないだろうか。
いっそう月日は百台の過客にして、行きかう年もまた旅人也・・・
「不器用な男ですから、しばらくは遠州地方にて旅人となりて・・旅に死せるありです・・」などと度肝をぬくような一発くらいかませばよかったと思っている。
こうなりゃ・・・・行く道いくしかないのだ。
本田、日野、三菱の期間工になってやる・・と今だけスイッチがはいったような高揚感が何故かある。しかしもしもだ、神様がいてこの連敗を何らかのキッカケにとのご配慮ならば、これもまた一考しないわけでない。だから・・またまた横浜の某企業に選考レポートを送った。
そうしていると、この企画ならいけると思えるビジネスモデルが閃いた。
自分の手の内が広まってきた。誰かに言いたい!くらいである。
どうだろう・・これもそれもとりあえず動くということから始まってないだろうか?と言うことにたどりついた。前に進むには、動くことからしか始まらないのだ。ただ動くには金が多少いるが、そこに躊躇していられないという気持ちに興奮してきている。
次は本田・・鈴鹿工場てか・・・・・
「手前生まれは、そうどす・やるどすの京都で、育ちは儲かりまっかの浪花で、人読んでフーテンの洋さんと申します・・」とのたまおうか?と思う。
最後ははどうにかなる。どうにかなる? どおぉぉにかなるかな???
「腹くくる 白いさらしも買えぬのに」 北村 伝