スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvsあのアイスコーヒーに逢いたい

2019年05月15日 | 自分的エッセー
 
「あのアイスコーヒーに逢いたい!」(逢いたい)と書いたのは、めちゃくちゃ美味いとか、究極とか、こだわりとかではなく、これから書く事は大人の話しではなく「通だね!」と言うセリフも出て来ないアイスコーヒーの話しだからなのだ。どちらかといえばあのスタイルに逢いたいのだろう。
伏見の大手筋近くに住んでいた頃、近くにあるパン屋でありカフェにも利用できると言う、ホリディモーニングユースにはぴったりの店だった。そこのアイスコーヒーの話である。
田舎もんじゃけ、そげな飲み方あるこったしらんよった。アイスコーヒーを注文すると、クラッシュアイスを一杯入れたグラスを持ってくるのじゃ。当然アイスコーヒーは入っとらんばってん!そしてその後にホットコーヒーを持ってきんしゃって、グラスの中に注ぐのよね!「何しよるんじゃ〜〜」と喉元まで出かかっている言葉を飲み込んで、その様子を見守るこっちゃよ。「ぬるくなるちゃよ〜」の動揺が隠せんとよ!その後「アイスコーヒーが薄くなるっちゃ!」と僕のレジスタンスが昂ぶるのちゃ。お店のスタッフはさも田舎モンの烙印を僕に押すように、「これが上手いアイスコーヒーちゃ〜〜」と無言の暗示を残して去っていくさぁ。僕はぬるくて薄いアイスコーヒーを念頭に入れて飲んでみるちゃ〜〜「ちめたい 、そして濃いちゃ〜〜」そして美味いとね〜〜先入観なんて、なんとしょぼく脆いもんやと知ったし、僕には知らない事がまだまだ一杯あると思い知った日やった!そしてなによりも田舎もんやった。
それから30数年が過ぎた。暑くなる季節、アイスコーヒーを注文する時に思い出す。志津屋のアイスコーヒー。今はやって無いみたいやった。誰かこのイルージョンチックなアイスコーヒーを出してる店、知りませんかなぁ〜〜
 
 
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とにかく生きてみるvs大阪の海は悲しい色やねんvsそうでも無いのよねー

2019年05月06日 | 自分的エッセー
「悲しい色でも無い」という話し!大阪の海は悲しい色やねんと正樹が歌ってから30年くらいたつのやけど、悲しみをみんなここに捨てに来るから〜とたまに口ずさみながら南港フェリーターミナルの岸壁に立っている僕です。
この海に悲しみがいっぱい捨てられていると思いながら滲む街の灯をやっぱり一人眺めている。でも、この海はそんなに悲しい色でも無いような気がする。この季節、微風が吹いて僕の身体を包んでくれる。ずーっと吹いている微風、それは僕の中の細胞を立ち上がらせてくれるのです。
港は陸と海との境界にある、かなりデリケートな場所だから、その分心身に感じる事も街場に比べると多く感じるのだと思う。
関門の向こうに神戸の灯りがキラキラと見えるし、カモメ埠頭から出る那覇港行きのAラインもほっこりと停泊している様に思える。
10連休の終わり、551の紙袋を持った旅人がゆっくりと人道橋を渡り船内に消えて行く。天保山の観覧車は夜空にくっきりと輪郭を表しているし、岸壁に当たる波のチャプチャプも「ここ何処や感」を僕に与えてくれる。
そんな大阪の海に、「夢しか無いよな男やけど〜〜」「一度だってあんた憎めなかった!」とリフレインする。俺の夢って何やたんやろと自問自答するけど!未だ夢定まらずなんやこの歳にもなって!
でも無い事も無いのよねー母校追手門学院高校の野球部の監督となって、甲子園で一勝して校歌を歌うことかなぁ〜〜〜〜〜〜〜それともサーカスにアメリカンシリーズ第二弾「カリフォルニア行き特急券にはアメリカンコーヒーがついてくる!」(昔、柏原芳惠のディエットソングを明星が募集していた時に送った楽曲を、今度はサーカスに提供して日本レコード大賞を取ることかもしれない。
夢は大きな方がいい。でもそれは叶わない夢なのかもしれない。それでも虚しくも無いし悲しくもない。
港の岸壁に立っている僕はちっとも疲れてないのだ!断定は出来ないけど多分ここにいる僕は夢の中にいるのではないかなぁと感じるからなのだ。そうもう一人の僕がここにいるようなんだが、Hold me tight 僕はそんなこともわからんようになったのだろうか?
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