スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

「愛」と「恋」vs30%の失敗の確率vsコスモス畑

2015年10月14日 | 自分的エッセー
とにかく生きてみる。今月末から、心筋梗塞の二度目の手術を待っている。待っているということは、いつでも手術台の上に乗れるように準備(検査)をして覚悟決めて待っているということだ。
この間の検査の時に、先生が今度のカテーテル手術は、「70%の確率です」と言った。ヘぇ「結構低いやないの!」と突っ込んだが、「万全を期しますーー」と言うだけであった。
30%は失敗するということは、結構ビビる数字である。

それでも僕はまだ生きなければいけないのだ。
そのモチベーションは間違いなく、「あなたがいなければ私は生きることができないーー」という祝福の贈与に対して「もっとつよく生きなければならない」という返礼の力が湧いてくるのだ。僕はこれを愛のパワーとして身体に取り込む!
「愛」と「恋」の違いって何?て質問された。
30%の失敗の可能性を待つ僕としてはこの答えを伝えておかないといけないとふと思った。

昔からこの質問はよくある。
そして美しい答えも沢山ある。どれも間違いではないが、僕が採用している解釈がある。

「恋」は相手を本気で好きなんだ~~って思う気持ちだと思う。
そして「愛」は沢山の素晴らしい言葉がある中で僕が採用するのは、相手のある一面だけを好きになるのが恋とするなら、良いところも腹の立つところも、邪悪な所もぜーんぶ引き受けられる心が愛なんだと思う。


大好き~~はその唇、その笑顔、その話し方、困った仕草などがたまらなくなった時に贈る言葉。
愛してるは、君の勝手さ、自分中心な態度、人の気持ちも知らずに的言動でさえも、受け入れ、引き受けることができる心を「愛」なんだと思うう。

瞬間の可愛らしさや綺麗さ、不思議さに心を揺さぶられた時に、「恋」が立ち上がってる。それは、もう一度それを見るためなら寿命を縮めてもいいと言う衝動が湧くような気がする。


それに対して貴方の全てを、その愛らしい姿も、
邪悪な裏切りも、子供ぽい言動も、全てを受け止め、引き受けることで、「僕はもっと強く生きなければいけない」という責任が湧いてくる。どんな姿でも、荒れた心でも、遠くへ去られたあとでも、それを僕は受け入れ、引き受ける心を宿す。この気持ちを愛してるという言葉で表現する。
それは、良いところだけをピックアップして心が踊る「恋」よりも厳しく分厚い!
それでも、愛は与えることでしか貰えないから、心揺さぶられる話しであっても、僕的には
しばらく黙ってから、「いいよ」て応え、その全てを受け入れ、引き受けるのだ。それを「愛してる」と言う言葉で相手に贈る!

さて30%が失敗する可能性の手術前である。
誰よりも先に、誰よりも強く「愛してる」の言葉を贈りたいと思っているのだが、
あまり言い慣れていないからカッコ良くはない。
もしそれを言う所がコスモスのお花畑の中でだったら、無骨な言い回しも多少は優しく届くかもしれないと思う。
連れって行ってあげよう‼️




食後のクスリvsサンドウイッチvs私は貴方の心臓です

2015年10月03日 | 自分的エッセー
心筋梗塞の手術を受けて以降、朝にクスリを結構飲まなければいけない。
昔しからクスリは飲まない主義だったが、そこを突っ張ってもどうにもならない。

それでクスリは食後となってるいる。
朝飯を食べてから飲むという事だが、
毎日、僕には丁寧に朝飯をテーブルに並べる事は出来ない。また栄養指導が入り、炭水化物の摂取を控えて、野菜をとって下さいとの縛りも入っている。以前でも検査の時には、「コレステロールが多いです、のでもっと野菜をー」と言わても「ゴチャゴチャ言うなーー」「死ぬ時は死ぬ時やー~」のロッカー的発想でその優しさ言葉を無視していた。それが今日のこの様な事態に繋がった。

クスリを飲む為に食べる食事~~これもなんか腑に落ちないし、食事側から言わせると「ほーそうなん、俺ってクスリの引き立て役な訳ー」てなる。そもそも誰もが朝飯をキチンと食べてるという前提での朝食後のクスリ服用の指示である。
高給頭脳労働エリートビジネスマン的に、「俺はこれくら体が潰れるまで仕事に打ち込んでいるから、この時代を生き抜く男なら、これくらいのクスリは普通やー」をアピールしながらあえて、ルームテンプチャーの水を要求する連中の様にキチンと朝食を摂る状況にはない。

長い枕の話で申し訳ない。
そこで僕がとった作戦は「サンドウイッチ」を朝食にするという事だ。其れもミックスサンド。
フライや惣菜を挟まないシンプルな奴でしかダメだ。
まず野菜、ハム、玉子、そしてパンで構成されていてバランス的にはこれ以上のものは無い。
そして食べ易い。
分業だけど一様、手作りである。
こうなればいいとこ尽くしである。
これに旨いコヒーを入れて、そうなれば音楽も欲しくなる。Chris Reaのオンザビーチを流し
素敵な彼女からのLINEに目を通し、
「私は、洋ちゃんの心臓です~」に「ばっかやろうー」と一人つっこむのだ。
そして慣れていないクスリを飲む習慣に、オシャレなピルケースを買いに行かなあかんわーと思いながら病院のクスリ袋からクスリを出す。





この様に朝食をキチンと摂る様になった
クスリを飲むための朝食では無い。
今日一日が楽しく愉快に生きられますようにという予祝を込めた朝飯になった。むしろ祈りに近い儀式になった。
そして「僕は・・・・で生きている」という、他なるものへ依存と享受で生きてる事を実感する。

「僕は・・・で生きている」。「・・・」に埋める言葉がたくさんある事が、僕をまだまだ生かしつずけるのだろうと思った今朝です。