スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvsまだ終わっていないvs感謝しかない

2010年12月28日 | 日記

とにかく生きてみる。年末です。色々な場面で、いいお年をとか、来年に期待しましょうとかの挨拶が伺える。でも私のこの1年は終わっていない。いや終われるはずもない。総括しようにも、俯瞰で自分をみる事ができないくらい余裕のない年であった。先輩のかたや友達、仕事の付き合いの方、親族を含めて、全てに迷惑を掛けて生きてきた1年であった。
そんな私だから、今更総括をここに書くつもりはない。今晩も深夜バイトに行く。明日も行く、31日まで休まなく行くことにしている。そして31日の夜のみ休暇をもらい、1日の元旦の晩には、深夜のバイトに行く予定である。私のの年越しはこの国の一般的な原風景ではない。が、これが私の正月だと言い聞かせ頑張る気でいる。それは1番になんの決着もついていない事が多いからだ。
お世話になったことに対してその恩返しが出来ていないのだ。だから私し一人が、正月とだからと言って悦に入るわけには行かないし、出来ない。ここに心より謝罪したいと思う。

「お世話になったままで、挨拶にもいけずすいません。」
それから先の言葉は、何回も言いつづけた安っぽい「頑張ります・・・」しかつづかない。
心が痛いが、年末としては、この言葉に、「もっと・・」を足したいと思う。
そして、本来なら、この世から消えていたかもっしれない私が、なんとか生きていることが出来たのも、みなさんのお陰である。改めて感謝したい。テレビやマスコミでは、特番で、何人かの芸人や、有名人のどん底からの這い上がりを特集している。這い上がろうとする根性と人に対する真摯な接し方が、私には興味が募るところである。這い上がる根性・・・今欲しいアイテムである。
まだ終わらないから、最後の最後まで生きてみようと思う。12月31日の出勤シフトに、今晩私は、「出」の項目にチェックする。そして1月1日の12時00秒から、野菜を切りながら再び「生きてみよう」と思う。感謝の気持ちを添えて・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみようvs忘年会vs今年を忘れない

2010年12月23日 | 日記

とにかく生きてみよう。この3日前から月末の大晦日までは、深夜バイトが、忙しい。本当に忙しいのだ。シフトでの休みも、返上して出勤することになる。バイトであるから、そんな無理をせずにと自分に言いたいところだが、このバイトの中のリーダーである先輩の女性二人が、責任感があり、まず自ら休まないでいる。それに感心して、その感動に対して自分なりに協力を願ったのである。
いつか聞きたいのだが、「その、本当によく働くモチベーションは何処から来ているのか」を聞きたい。こないだ今企画等などでお世話になっている、元プロ野球選手の方との、仕事の打ちあわせをしていると。2時間そこれで、4件もの忘年会のお誘いの電話が入った。氏いわく「この忙しいのにまた忘年会か・・・」「会費なんぼや・・」「何時からや・・」と話ししている。私には、「お金もないから本当は行きたくないから・・」と言うが、後輩や、昔の仲間からの電話であろう、決して迷惑な雰囲気はない。元プロであるから付き合いもあるのだろうが、自分のことを忘れられえていないという、世間との繋がりに対しての自信が伺える。この人は、人間関係を誠実に生きてきただろうなと思う。
さて、私はどうかというと全く忘年会のお呼び、お誘いがない・・。また今の状況で、お誘いを受けても、断るだろう。まずはお金がない・・時間がない(深夜バイト)のだが、それはそれでさびしいから、すがすがしいになった。ここまで信頼と、人望がない男であったのかと、改めて思っている。
今、私はどんな社会と繋がっているのだろう・・? プライベートを話さない深夜バイトの世界と、今、私の状況を知った上で、仕事を出してくださる方達・・・今の私には、今年を忘れ去ることは、必要ないのかも知れない。今年を何時までも心に焼く付け、これからを生きていくべくなのであろう。
だから、この12月も淡々と過ぎていくはずだ。大晦日まで深夜バイトは休みがばい、そして元旦の夜からまた仕事をする。「どうだ・・今までのいい加減さのしっぺ返しじゃ・・」と私の超意識が,そう言っているような気がする。そしてリアルに私は「今年を忘れない・・」ぞと、呟くことにする。

先日、昔お世話になった、あるスポーツ用品会社の元本部長さんから突然電話を頂いた。
その方も、5年前にその会社を一身上の都合で退職され、何社か勤められた後、今は絵を書かれている。退職後も何回かお酒を飲み、これからのことを話ししたことがある。今その方も、少し迷われているようであった。短い時間の電話であったが、「とにかく生きてみよう・・」というブログを書いてることを伝えた。「とにかく生きてみる」か・・いいフレーズや・・とおっしゃった。その言葉を聞けただけで、電話した甲斐があったと言われた。電話を切ってから暫くうれしくなって考えた。この歳でまったく何もない男が、夢や、希望を語ることは綺麗事なんだ。そんなありもしない、出来もしないことに逃げてる暇はないのだ。人生の終わりまであと数年しかない。それこそクリスマスも正月もないのだと。私にとって来年のことなど全く判らない。それでも皆さんにとって来年がいい年でありますように心から願う気持ちになった。 年末までに、憶年会を一人ですることにしよう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風俗嬢が求めたスピリチャルとは?vs ルポ小説「ヒーリング タッチ」vol4

2010年12月18日 | 日記

 「足を洗う」

大阪に戻った秋月さんから連絡をもらったのは、秋月さんが体験アチューメントを受けてから2日目だった、その夜秋月さんの仕事終わりを待ち、食事をすることにした。20時に秋月さんは、待ち合わせの喫茶店にやってきた。最近は少し暇のようであり、秋月さんの口から「今日は坊主・・」と聞いた時には、此方がドッキとした。控え室などでは、業界用語を使って会話を採っているのだろう。折角出勤してきているのに,身入りがないのがもったいないとのことで、「暇なら休んだよかった・・」と溢した。風俗の世界のシビアなところを会間見るような気がした。
ビールを飲みながら秋月さんの話を聞いた。「体験アチューメントは非常に感激した。体中の毒が出たような気がした・・・」し帰ってからも良く寝れたと話してくれた。秋月さんも「レイキ」が、特別な宗教ではないということは理解できた。そして本格的に習ってみようかな・・という雰囲気のことを話しだした。「この仕事も何時まで出来るかわからないし・・不況も手伝ってお客さんも減ったし、やっぱり風俗に行くひとの傾向として、若い女性が恋人のようなサービスをするところの方がいいのであって、前立腺マッサージもお客様は、いることはいるがやっぱりマニア的なところだから・・」と言った。「レイキ習ってみようかな・・と」呟いた。私は、それはいいと直ぐに答えた。実際にこの春から大阪教室を開講する予定でいたのだが、講師がいないので、その度に三重の本校から講師を、泊りがけで着てもらうことにしていたのだ。「うちの会社でレイキの講習費用を出すから・・」とつい口走った。レイキスクールの費用は、レベル3までの段階で15万かかる。そしてティチャアーレベルであと15万かかるシステムになっている。合計30万がかかる。私はここで大きなミスを犯してしまったことを後になり気付くことなる。「その費用を此方で出すから・・大阪教室が立ち上がったら協力して欲しい」と言った。秋月さんもそろそろ風俗の世界から足を洗う時期なのかと思いはじめているし、今後将来の仕事として癒し関係の仕事もいいのではと思っていた。秋月さんもそこに大きな勘違いがあった。今まで沢山の人のお陰で生きてこれた。そのお返しにみんなの為になるように今度は心を癒してあげることが、自分の使命ではないか?と思った。
「レイキの世界もその他の癒し関係も含めて、その道を究めて行こうと思うならば、まずそれと出会ったことに感謝をすることが必要である。そしてその勉強の為に、自分のお金でそれ対する対価を支払うことが必要である。どんなにお金に苦しくても、レイキを習うと決めたら、借金してでもこれだけは自分で払わなければ、その有難さの部分に大きな違いがあると思う。またその努力も自分で積み重ねていかなければ、本当にレイキをわかることはないのだ。全て用意された勉強は,絶対に物にならないと今は思う。が、その時は開校するのに、どうしてもわかる、ドラマのあるスタッフが必要であったし、秋月さんも、体験アチューメントで見た、魂の宇宙感に対して、何か特別の選ばれし人にでもなったのだ。私は、今の仕事をやめて、勉強するだけの時間とその費用について話を進めた。秋月さんも、風俗の仕事から足を洗うことに対して、二、三のこだわりがあった。どの世界での女性がその仕事をやめることの理由が、結婚である。特に風俗に勤めている女性が、まともな結婚を望めることは薄く、大抵何処かに傷を持った同士か、嘘を固めた結婚ということになる。秋月さんもそれは沢山見てきている。単純に心からおめでとうということは言えない場合が多い。
それでは、もう一つの道として、昼間のまっとうな仕事で成功することである。お店を持ったり、事業を起こしたりする元風俗嬢も沢山いているが、その道も大変難しい道であり、相当の根性とコネとノウハウがなければならないし、提供する商材がしっかりしていなければならない。しかし秋月さんには、そこを意識して生きてきた訳でもない。どちらかと言うと、この仕事を隠して、結婚できる条件の男性を探す方に重心を置いてきた節がある。私の条件は、大阪校の開設にあわせて、スタッフとなることであった。秋月さんも少し考えて見ると言った。
レイキというスピリチャルな媒体に出会うのも奇跡であり、それを仕事として生きていくことは、もっと奇跡であり、自分の運命がそのような方向に引っ張られているという気が、どんどんわいてくるのだ。「世の中の困っている人、悩んでいる人を助けてあげ、救うことが仕事であるのでは・・」と大きな感違いをしてしまった。またその受け皿を用意する条件を持った話が持ち上がると、それは人生が大きく飛躍できるような時期であり、チャンス到来と思えたのも、秋月さんの間違いではないだろう思う。
それから秋月さんは翌月に仕事をやめた。そして1ヶ月の間、短期での海外留学をすることにした。パリで、絵の学校に入り、好きな絵の勉強と、若い時代に出来なかった、留学ライフをパリですることにした。そして今までの風俗勤め、前立腺マッサージの過去も自分なりに消そうとした。
しかし本当の理由は、5年間付き合っていた彼に、今の仕事がばれたことにあった。自分のお店のインターネットの履歴を彼に見られ、その問い詰めに答えられなくなり正直に話したのだった。
「長い間ごめんなさい・・」との言葉が精一杯だったが、ばたばたするような別れ話しにならなかった。レイキをすると決めて、急に自分の環境が変化することになった。秋月さんの魂が、出来ない、無理だと言う観念を、打ち破ろうとしているのではないかと言う、俄かレイキヒーラーの私は、最もらしいことを言ったことを、今では後悔している。秋月さんは根を詰めて、積極的にレイキスクールに通い、レベル3まで完了して、レイキヒーラーとしてパリに絵画の勉強をかねた、遅い卒業旅行に向った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかく生きてみようvs体重が減ったvsもっとネバる

2010年12月15日 | 日記

とにかく生きてみよう。いよいよ今年もあと2週間で終わる。最後の最後でもまだもがいてる。
それは、お昼の仕事と言うか、正業の方向が見えてこない。というより私の正業がなんであるかもはっきりしない。広告企画と出版プロデューサーであり、自分自身もライターとして思いつくことをへたくそな文章で綴っている。たまにコピーライティングの仕事があるくらいだ。それはまだまだ実力が不足していることが一番の原因であろうと思う。そんな私の今年の収支は言えば、お金の話しでない。体重が落ちたのだ・・別にダイエットを目指しているわけでないが、深夜のピッキングバイトでと、その通勤で使う自転車のお陰である。94kgあったのが、今日現在で88kgになっている。-6kgとなっている。この数字は本当に嬉しい。何人かの友達には顔が細くなったと言われた。そこでこんなエピソードを一つ。バイトを始めた当所は、中央環状線の南北の自転車で走る時に、大きく3箇所の大きな坂(立体高架しているので)がある。1ヶ月の間は、坂道は押して登っていた。そうこうしているうちに、ママチャリでその坂を登ることが出来きた。発ち漕ぎであったり、座ったままでも力強いペダルの踏み込みでなんとか坂道を踏破している。これには単純に驚いた。「習うより慣れろ・・」ちょっと違うかもしれませんが、あの頃、どれだけ鈍らな生活をしていたのかが、如実にわかる。鍛えれば、人間の体は成長する・・それは賭け値なしでそう思う。まずこれに今頃ではあるが気付いたことに感謝したい。さて来年をどう生きるかである。体を鍛えるというか、自転車を使って、1時間の片道通勤をすることも、苦にはなるが、なんとか続けられそうだ。それはいい・・がやっぱり稼がなければならないと強く思う。その為に何をコツコツとするべきかと考える。今のところ見あたらない。それでは、どうするか? なにかを頑張ることにしよう・・ 何を頑張るか?それを一づつ書いてみようと思う。企画書をもっと沢山書こうと思う。そしてこの経験を生かせるようにしようと思う。
だから・・来年はとに生きてみる。そしてネバルことにする。今年は図書館で月に10冊のペースで、色々なものを乱読した。心に残るものもあれば、文字を追っていただけのものもある。本を読むたびに思う。書いて見たいと・・その実力はまだないが、まだまだと言っておれる年齢でもないのだ。
年末に掛けてピッキング作業が増えた。人の増員もしたが、その量は通常の1.5倍になっている。
帰り道の自転車は結構、無意識で漕いでいる。その時一瞬ひらめいたことがあった。それは歌である。オリジナルの歌である。「奇跡に向って」と言う題までが、閃いた。年末までの超多忙なバイトの帰りに、この魂の歌を紡ぎ挙げようと決めた。超意識の状態で、体がふらふらで自転車を漕ぐ・・
どうか私のインスピレーションよ・・この歌を紡ぎ給え・・・ ご清聴ありがとうございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風俗嬢が求めたスピリチャルとは?vs ルポ小説「ヒーリング タッチ」vol3

2010年12月12日 | 日記

 「アチューメント」

 

伊勢神宮つづく国道沿いにある3階建てのテナントビルの2階に森平先先が主宰するレイキサロンがある。2階のフロアーは、セパレートされていて、右側の部屋は、事務所兼カウンセリングルームと施術部屋になっている。左側の部屋は、レイキスクールの為の研修ルームとなっている。秋月さんは、事務所件サロンの部屋に案内された。それは、エステサロンよりも少し控えたリラックス感をのある清潔な部屋であった。「もっと胡散くさいところかな・・と思いました。」と率直な気持ちを言葉に出した。部屋には施術用の健康的なマッサージやトレーナーが着る様なニット性の白衣着た、気さくな30歳前後の女性が二人がいた。森平先先は、お寺での仕事が終わると、このサロンで、レイキを施し、患者さんの治癒をする。レイキサロンでの費用は、1時間5000円である。腰にや肩こり、または内臓疾患などの、糖尿病などの方が、訪れる。先生は、西洋医療と東洋医療の融合を薦める。レイキとは、手当て療法である,それがまず基本である。しかし、その根源にある、「病は気から」と謳われているように、自分の気を整えることを、教えてくれたり、実際にレイキの気を受けることにより、心のモヤモヤが晴れたり、悩んでいたことがスーット消えたりすることもある。それがオカルトぽいと言うのか、人間が元から持っている「気」を、生きる中で色々とした経験の中で、観念というものに支配されると、その気が、体の中を通り難くなり、「気」がつまるのだ。レイキとはその「気」を流れやすくすることなのである。つまったパイプを掃除するよな感じで、気を通りやすくするのだ。・・そんな説明を受けながら、回りのスタッフの雰囲気も想像上のオウムのような感じでもなく、宗教的な儀式もないのが判り、秋月さんは安心した。見知らぬお客様との一期一会のプレイを仕事としている秋月さんは、人に対する警戒心も強い。女一人で生きてきたこの歳まで、その考え方は特に自分自身で強く守ってきた。上手い儲け話しや、お金の貸し借りは絶対にしないと決め、それを実行してきた。今回は、あくまでも体験レイキということであり、体験アチューメントをしてもらうことが目的だあり、その後の勧誘があるのか、高価なものを買わされるのではの心配を、露骨に口に出して尋ねてみた。「そんな・雰囲気に見えますか・・?」と逆に聞かれ、「いいえ・・・そうは見えないのですが一様聞いてみただけなのですと・・」それも正直な意見として、スタッフも先先も、何回もそのような潜入感にあっているいるみたいで、朗らかに笑って、「レイキのイメージがまだ安心できるようになっていない・・」ことに、若干の苛立ちを含めて、「気功」のひとつですと優しく説明をしてくれた。身につけている宝石や、装飾品をはずして、事務所とは別の施術の部屋に入った。それこも安心感を造る為にドアーもなければ天井もふさがれていない。部屋を区別する壁は、人が通れるくらいにスペースがあり、表情こそ見えないが,声や音は聞こえるようになっている。
ヒーリングの音楽が流れ、インセンスの香りがした部屋で、椅子にすわり、先先がその前に膝まつき、頭の上から順番に手をかざしていく。体に触れるか触れないかのとこれで、先先の手からでる暖かい気を感じることができた。秋月さんは手を合掌して軽く前かがみに座っている。始めはどきどきしていた心臓が、少しづつ平時の鼓動に変わっていく。何か優しい毛布に包まれた気分になってきた。ずーと目をつぶっていることの約束も、初めはちょろちょろと見てやろうと思っていたが、目が深い眠りに入ったようにあける事が出きないのだった。もっと言えばあける気にならない位い、フワァとしている。自分の意識も今日の朝からの行動を辿っていたかと思うと、幼いころに兄弟揃って家で夕食を食べてる光景が浮かんだり、父の自殺を聞いた時のことが記憶として出てきたと思うと直ぐに、今の風俗の仕事のことが頭に浮かんだ。暗い宇宙の中で、地球を見つめている自分が見えた。その辺からしゃっくりが出た。また鼻水も出ていることが判るが、律儀に手を合わせているので、鼻をすすることしかできなかった。体が暖かく、生暖かい水の中に浮かんでいるみたいな気持ちになってきた。先先の手は方から背中と手翳しは進んだ。膝から足にのことでは、秋月さんは涙を一杯貯めていた。そして声には出せないが、涙を流し泣いていた。
体験アチューメントであるから本来であれば20分くらいのところであるが、8分くらいでそれは終わった。お水を薦められ飲んでから、感想を聞かれた。「どう・・でした」と先先は聞いた。「何かフワァとして優しいも布のような物に包まれて、生きてきてありがとう・・と思いました」と秋月さんにとっては素直に答えた。けちをつけるわけではないが、今の自分の周りに起こることに対しては、素直に何でも喜べないという気質が、この何年間に染み付いていることを秋月さん自身は知っている。
でも、それは傲慢な人間にたしての態度であり、時にお金にものを言わせ店外デートを強引に誘ってくる人間や、高級品を自慢する男たちに対して多かった。逆に自然に咲く雑草や、夕方群れ飛ぶ鳥などには、「頑張れよ・・」「ちゃんと着くんだよ・・」と一人応援をしている。体験レイキは、素直に言えた。・・実際は何も饒舌に話せなかった。鼻水と涙とが出た事が、秋月さんには、それが本物であると感じたのだ。「ありがとうございます・・」と言うのが精一杯の感想であった。今日のこの体験は、頭で考えても理解できないと思った。子供のころから親に強制された大きな宗教団体のお題目では感じられなかった「ありがとう・・」が心に湧いてきた。誰にかは判らないが、多分生まれて来た自分に向けたものであることは確かであったと思った。そして変わろうとずーと思っていた自分が、自分の魂のメッセージを受けとった気がして、大阪に戻った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする