スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみようvs労働市場にもこの枠が残る?

2011年02月24日 | 日記

とにかく生きてみる。深夜バイトに向かうのは自転車である。中環は、マンモス国道であり、陸橋も多く、自転車での乗り越えは結構大変です。またこの年度末によるいたるところの深夜の工事で、快適にまっすぐ前を見詰めながらのサイクリングにはならない。ちょっとした迂回をよぎなくされている。

深夜の工事は、煌々とついたライトとその周辺の暗さのコントラストが、映画のセットのように異空間にいるように惑わすような気がする。自転車をを仮歩道に誘導する点滅サインが、深夜の人どうりも少ない中央環状では、案外目立たないのであり、またそのサインもどこか必死ではない。当然工事現場ですから、工事の騒音も結構大きく、歩行者や、自転車人たちは気を遣いながらの通行となっている。しかし工事現場では、歩行者や自転車の安全の為に、「ガードマン」を配置している。

私も迂回サインにそって一旦歩道をおりてセフティーコーンで作られた仮の道を走ろうとしたところ、突然前から、自転車が現れた。ガードマンも一人で、両方向を上手いようにチェックできなかったのだ。暗闇から突然あらあれた自転車は、私のほうが反応が遅く、当りかけをかろうじて
セフティーコーンを倒して迂回路を反れたことで、衝突とはならなかった。もう一方の自転車はそのまま走っていった。私は一旦自転車をおりて「このぼけ・・・ガードマンなにしとるんやと・・」声を荒げそうになった。その瞬間「ごめんなさい・・ごめんなさい」とオネイ言葉であやまる、制服を着た、60歳くらいの、やせ気味、身長170cmのおっさんが近寄ってくる。怪我もないのでそのままガードマンの顔でも睨みながら自転車を漕ぎ出そうとしたら、「お怪我ありませんか・・」
「ごめんなさい・・ね」と、外の仕事で焼け顔を私に向けた。「眉毛剃っているやん。・・」との印象が脳味噌を溶かしだした。 深夜ガードマンの風であるが、この人は間違いなく「オネイ系」であると思った。その瞬間から、気をつけ・・・このボケなどの暴言の言霊が喉の奥で止まった気がした。その現場から半径1mmが、オカマバーの店内のある一瞬の光景に変わっていた。

最近芸能界では、この手のタレントの活躍が目覚しい。マツコD・ミッツMG・Ikkou・春名Iなどなど、また最近では,楽しんご・はすごい人気である。何故、この種類の人達が人気があるのかは、今度ゆっくりと話してみたいが、一つ感じるところでは、コミュニケーションのところで角がたたないように感じられるのである。常はきついことも、辛口のコメントも飛ばしているのであるが、心底は、「やさしいのでは・・」と思う気に私はなるのである。


さて芸能界、マスコミのこのオネイ系の枠は確実に数枚,どの番組でも存在する。これが今、一般の労働市場にも枠があるのだろうかと考える。サービス業として、夜の酒場や飲食、アパレルの系等などでは今までのあったのだが、これが今晩遭遇した、ガードマンにも枠が降りてきたからびっくりする。この先進国であるアメリカのニューヨークやサンフランシスコでは、とっくに普通の話しになっている。男も女もオネイも、人間としての素様をもっていれば仕事につくことが出来る、この偏見のない世の中が、いよいよ日本のブルーワカーの世界にもやってくると思う。
見わたせば、私の野菜のピッキングのバイト。繊細な感覚も、キヤベツ何ケースも運ぶ力強い腕も必要としているのだ。そして女性パートさんと男のパートさんとのコミュニケーションも、どこか女子高から共学になった初年度の高校のようにぎこちないのを、このオネイ系さんを採用することで、三種類のコミユケートが存在して、+アルファの価値が醸しだされる気がするのだ。
だが、このオネイ系は、見場が命であり、いつも綺麗にということで必要はないが、見すぼらしかったのでは、話しにならない。
私が深夜に会った、オネイガードマン。色は黒く、身長は170cmくらいで、眉を綺麗に剃っていただけですが、この方を採用した人事担当者は、このオネイに何を見たのでしょうか?
この人事方針は、2011年以降のチャレンジ項目なのか、それともこの方の人柄がよかったのだろうか? その担当者も、実は隠れ○○○だったのかは、想像にまかせよう・・・

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とにかく生きてみるvs最終電車の義理チョコおやじ

2011年02月15日 | 日記

とにかく生きてみる。昨日は大阪も雪が降った。深夜バイトの通勤は自転車なのであるが、なにぶん中央環状線という大動脈の脇の道を自転車が走るのだから、それも23時ころに、当然危険であるからという理由で、モノレールに乗った。最終のモノレールであり、近くには松下電器の本社もあり、サラリーマンの姿も結構見かけるのである。昨日の場合は1車両に12人の乗客が乗っていた。サラリーマン4人。若者の団体4人。女性1名。深夜市場に仕事に行くだろうと思われる、ブルーカラー3名であった。勿論私はこの三人の仲に入る。
スーツににコート姿のサラリーマンの方の一人。
黒い鞄と同じ握りで、可愛らしい紙袋を持っていた。
30代前半のスーツにpコート風のものを着て、マフラーをお洒落に巻いている。
電車が走りだすと、徐に鞄の中から可愛らしい紙袋を取り出し、包装をはずしている。
20代後半の若いサラリーマン。髪型が今風のホストぽく、細いスーツを着ている。
ピンクのビニール袋に入った、ハート型のものが影で見みえる。
50代後半のシルバーサラリーマン。ただしそんな高いポストについていない雰囲気。
普段では持たないだろう可愛いらしい紙袋から、チョコを出し、食べはじめている。

今日は、2月14日のバレンタインディーなんです。
かれらは今から帰宅するであろう。家族にも全く問題のない義理チョコを持って帰途についているのである。
「おいおいその紙袋、鞄に入るやろ・・・」「見せびらかせやがって・・」
「判ってるって、今持っているそれは、義理チョコということくらい・・」「本命は本命で貰ったんやろ・・」「見せびらかすのはやめて・・・て。」
「ハートの形が映ってるて・・」「義理でもハートが着いてることなんか、自慢になれへんぞ・・」
「はよ隠せ・・しまっておけ、このぼけ・・」
「よかったな・・沢山チョコもらって。嬉しいやろ・・ 義理、やで義理なんやで・・」

それにしても義理チョコは、深夜最終電車では、こんなにも露出されるとは思ってもいなかっただろう。また義理チョコをもらった栄誉あるあなた方もそこまで勲章のように前面に押し出さなくてもいいやないかと思う。逆に、完全アウエーの深夜市場バイト組は、ひたすら防寒服に首を引っ込めているだけしかない。私たちの14日は、13日の12時から午前8時の勤務の時に終わっているのである。当然義理チョコはと,頭を霞めなかった訳ではないが、チョコレートつきのビスケットの子袋をいただいたけど、それを義理チョコと判断するのは、あまりにも妄想自惚れ男である。あれは「おやつ」であり、それは有難いことなんですが、義理チョコではないと断言する。義理チョコであろうとそれをいただくには、少し恥ずかしい、儀式もついてくるのであり、それ相当に驚いたような、照れくさいような、嬉しい顔を作らねばならないわけであります。
でも、私は思った。こうして義理チョコを持って帰宅できるみなさんは、立派である。厳しい会社勤めを辛抱して、ようやく勝ち得た「義理チョコ」ですから。今夜だけは、「どや・・どや・・」「これが義理チョコですわ・・・」と自慢気にもって帰る権利はあります。
家に帰り、お父さん、義理チョコのひとつも貰われへんのかと、奥さんが心配するより、可愛らしい、いかにも義理チョコの袋というもんでも、それはそれは、家族はなんか安心するのです。真面目に勤めていることの証になります。
さてアウェー組の男たち。(私も含めて)今日は素直に喜んであげませんか?「よかったですね・・」と。僻んだり、ねたんだり、羨ましいがっても現状はかわりません。こんなに嬉しいそうに、最終電車に乗っているこの方達には、義理チョコをゲットできるだけの生き方をしてきのだから。
それよりも最終電車に乗る市場行きの友よ同士よ・・・この雪空、寒中の深夜作業この先、どのようになるか判らない。来年は義理チョコではなく、本命超ラブ注入チョコが手に入るかもしれない。そんなものこの先誰にも判らない。だからそれまでは、生きてみようぜ・・・・・・・・・


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とにかく生きてみるvs勢いがない

2011年02月08日 | 日記
とにかく生きてみる。新年が明けて1ヶ月がたった。深夜バイトは、最近では自分の中の真我発見の過程というモチベーションから、普通の稼ぎの手段になって来ている。当たり前といえばその通りであり、働くことに毎回毎回そんな理屈をこねていては、しんどくて仕方がなくなる。また回りを見渡せれば、ごく当たり前に淡々と仕事をして、生きているように見える。大層に考えている私の、人生感がおかしのではと思いはじめている。そこには、自分がこんな深夜バイトで納得できるはずがないという思い上がりの気持ちがあるのだろう。何も出来ない自分をもっと知ること、自覚することが大事なのである。
今は、勢いが無い。前に向く勢いがない。えげつない向かい風が吹いているわけでもないが、前に進まない現状がある。さてどうしたものか・・・と思いつつも、毎日の生活をするのが一杯一杯なのだ。今月に入り、異常なほどに淡水化物を食べている。食べざるえないのが現状であるからだ。うどん・・焼きめし、インスタントパスタ、食パンの繰り返すしで腹を満たしている。だから非常に胃に負担がなく、体の調子はいい。体重も災いのなかで減っているからこれもラッキーなのだ。自転車のお陰で、足の筋肉も戻ってきた気がする。これもラッキーなのだ。
なぜ勢いがないのか?自分の心は何を望んでいるのか?が判らない。○○したい、○○なりたい願望はあるのだが、きっと自分の潜在意識がそれらを完全否定しているのだろう。恐ろしきは、この潜在意識である。「どうせ無理だろう」「自分にはできやしない」「この年で・・・は」と強烈な潜在意識がブレーキをかけているのだ。もともと潜在意識は、変化を嫌うのであり、人は変わらないことに安心を求め、それを納得する為の言い訳をつくるのである。いまいましいこの潜在意識をどうするか・・が今後の問題である。無理だろうが、年であろうが、関係ない思っている願望に向ってひたすらドンキホーテとして生きていくしかないのである。結果が悪くも、良くも考えず、ましてや儲かる、儲からないを考えず、出来ることで自分の願望を思いつづけ、動いていくしかないのである。「願望実現」のハウツウはないのである。スピリチャル世界では、ここにハイヤーセルフという超意識が存在して、本当の自分を見つけ、願望実現の為の切っ掛け見つける方法として、自己ヒーリングがあり、レイキや瞑想を行うことで、ハイヤーセルフを呼び、偶然のめぐりあわせの時間軸を自分の願望チャンネルにあわすことが可能になるのだが・・・

最近は、自己ヒーリングをしていない。こんな時に都合のよい考えであるが、自己レイキをしてみることにする。そして勢いをつけていきたい。
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とにかく生きてみようvsバイト代が飛んでいく

2011年02月03日 | 日記

とにかく生きてみる。1月の中旬に歯医者に行った。下の前歯がぐらつき今にも抜けそうで、その治療の為に行った。その歯はそこで抜いたのであるが、先先曰く、根本的に前の下の歯を治さなければ、数年後には、前歯は全て無くなるとのことでした。ようするに歯茎がよわり、天然の歯が持たない状態になっているらしい。今なら、前歯を数本抜き、削って、結構いい感じの連続差しが可能であるといわれた。歯は大切である。実用面、(物を食べる行為)や、印象(清潔な歯)も、これから色々な人とお話をする機会が増えると思うので、綺麗にしたいと思っていた。
「やりますか?」と尋ねられた。少し考えてから、「やりましょ・・」と返事したところまではいいのだが、値段が、保険を使っても「90000円はかかる」との、口頭での見積もりを頂いたときには、「やっぱりやめます・・」と、喉まで出掛かっていた。バイト代でなんとかなるかと腹をくくったものの、バイト代はバイト代で、経費やもろもろで、使わなければなりませんので、一瞬にして超赤字財政にかわりました。
2月3日節分。本来はここからスタートだったはずである。とにかく生きてみる。につづいて2011年バージョンを用意していたのだ。「50歳から始めよう・・・」と思っていた。バイト先にも、今月から週4日の勤務にシフトをへらしてもらい、街に、市場に、戦場に出て行こうと思っていた矢先の、この財政破綻である。でも慣れているといえば、慣れているのだが、と一人ぶつぶつと言っている。人生の付けは、きっちと、払わなければならないから、自分の体にしてきたことは、自分でケアーしなければならない。またガタガタの歯で、色々な人に話すことも何故か自信たっぷりに話せる気にもならないし、やっぱ思い切ってでも、この財政危機のなか、この入れ歯、差し歯手術を受けようと決めた。それにしても痛い・・・・ でもこんな事は私だけでない、世間の誰もが普通にやっていることだから、それほど目くじら立てて言うこともないだろう。普通に普通に涼しい顔でいようと思う。

そして明日から、その戦場に出て行く。例の独立リーグのある球団の企画運営の一スタッフとしての打ち合わせがある。過去には何でも出来ると思っていたが、今では出来ないことが殆どである。それはそれで謙虚に受け止めようと思う。出来ないことを知っていることを知っている50歳として、話を聞いてみようと思う。50歳から始めることは、新しいことでなくていいと思う。もう一度、もう一回、諦めていたことをチャレンジしたいと思っている。そして綺麗ごとは言わないと、ここで再度キモに命じたい。深夜バイトは、やっぱり辛い。はやくライフ計画が組めるように昼間の仕事を持ちたい。そして少なくとも子供に合わせる顔だけは持ちたいと強く願う。
本日は、娘の誕生日である。22歳おめでとう。


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