アイスコーヒーと冷やしコーヒーは別!
熱い日中、帽子もかぶらず梅田に向かってチャリを漕ぐ。ベンツでお迎え小学生が涼しい顔して、中途ハンパな派手系のママの運転の助手席に座っている。セブンカフェの駐車場、アイスカフェラテをストローで飲みながら、世界の幸せを一身に受けてるのか、全く苦しいそうな顔をしていないー
喉の渇きとチャリコーヒーをいつもはセブンカフェで済ますのだが、こんな景色を目の当たりに見て、同じ様にそこで買う気にならない僕の捻くれ者根性。
ちょっと道を外れ、アイスクリームや特にモナカアイスが有名なカドヤに寄ってみる。
冷やしコーヒー小90円を頼む。
このコーヒーはアイスコーヒーではない。アイスコーヒーの方は同族と申請するだろうが、冷やしコーヒーの方はその同族を拒否する。冷コーと言う叔父貴も、「まぁ〜そんなに意地はらんとー
ここは親戚付き合いを」と仲裁に入ってくる。
冷コーはある場末で呼ばれるアイスコーヒーのことで、東京野郎が大阪茶店文化を揶揄する時の呼び名であるだけのことだ。
冷やしコーヒーは明らかにそれらとは違う。
まず、座って飲まないのだ。写真を見て貰えばわかる様にコップ一杯にシャリシャリの冷やしコーヒーが注がれるのだ。ミルクもガムシロップもない。この溢れんばかりの冷やしコーヒーだけである。これを片手で親指中指薬指の三指でグラスを持って、3回で(三口)で飲み干さなければならないのだ。甘ったるくて苦いちめたいコーヒーなんだ。話すをしながら、タバコを吸いながら、スポーツ新聞みながら、嫌嫌とんでもない、そんなアイスコーヒー的な事は禁止なんだ。
くいくいーーくいと飲んで、「あぁー」と漏らすだけで、からのコップをステンレスの台に返す時に「ちめたいわ〜〜」と一言だけ言って帰るのだ。ドリップでもポーションでもない。柄杓で掬ってくれるだけなのだ。
そしていつも横には、素敵な女房「冷やしあめ」が、寄り添ってくれてる!
むき出しのアスファルトの上でチャリに跨ぎながら飲むのは、冷やしコーヒーだけだ。
今日の僕は二口で飲み干したったよ〜〜
熱い日中、帽子もかぶらず梅田に向かってチャリを漕ぐ。ベンツでお迎え小学生が涼しい顔して、中途ハンパな派手系のママの運転の助手席に座っている。セブンカフェの駐車場、アイスカフェラテをストローで飲みながら、世界の幸せを一身に受けてるのか、全く苦しいそうな顔をしていないー
喉の渇きとチャリコーヒーをいつもはセブンカフェで済ますのだが、こんな景色を目の当たりに見て、同じ様にそこで買う気にならない僕の捻くれ者根性。
ちょっと道を外れ、アイスクリームや特にモナカアイスが有名なカドヤに寄ってみる。
冷やしコーヒー小90円を頼む。
このコーヒーはアイスコーヒーではない。アイスコーヒーの方は同族と申請するだろうが、冷やしコーヒーの方はその同族を拒否する。冷コーと言う叔父貴も、「まぁ〜そんなに意地はらんとー
ここは親戚付き合いを」と仲裁に入ってくる。
冷コーはある場末で呼ばれるアイスコーヒーのことで、東京野郎が大阪茶店文化を揶揄する時の呼び名であるだけのことだ。
冷やしコーヒーは明らかにそれらとは違う。
まず、座って飲まないのだ。写真を見て貰えばわかる様にコップ一杯にシャリシャリの冷やしコーヒーが注がれるのだ。ミルクもガムシロップもない。この溢れんばかりの冷やしコーヒーだけである。これを片手で親指中指薬指の三指でグラスを持って、3回で(三口)で飲み干さなければならないのだ。甘ったるくて苦いちめたいコーヒーなんだ。話すをしながら、タバコを吸いながら、スポーツ新聞みながら、嫌嫌とんでもない、そんなアイスコーヒー的な事は禁止なんだ。
くいくいーーくいと飲んで、「あぁー」と漏らすだけで、からのコップをステンレスの台に返す時に「ちめたいわ〜〜」と一言だけ言って帰るのだ。ドリップでもポーションでもない。柄杓で掬ってくれるだけなのだ。
そしていつも横には、素敵な女房「冷やしあめ」が、寄り添ってくれてる!
むき出しのアスファルトの上でチャリに跨ぎながら飲むのは、冷やしコーヒーだけだ。
今日の僕は二口で飲み干したったよ〜〜