スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

6連勤明けの一日休みは、ミロクに会いにアポロカプセルへ搭乗する。   6/108

2012年05月31日 | 自分的エッセー

心地いい風を受けながら自転車で走る深夜バイトも、やめようかという考えも、とにかく今・・に集中して何も考えないで働いている。男手の少ないセクションであるから、色々と頼まれることも多いが、「はい・・喜んで・・」と明るく返事してみることで苦痛もやわらげられているような気がする。
一週間の休みは、水曜の10時に開放されてから、木曜の深夜12時からの勤務までである。

いぜんから約束していたので、今日は、三人いる子供のうちで、長女と双子の一人と飯を食った。
前から連れていこうと思っていた、大阪ダウンタウンの天六の市場周辺に、B級グルメワイルドツアーを敢行した。私はこの町の猥雑感が好きである。鶴橋のようなコリアンタウンという明確なコンセプトもなく、しいて言えば、市場に近いこともあり、とにかく安いのである。焼肉、串、魚を案外美味いことイタリアンやスパニッシュ風に食べさせるバルみたいな屋台みたいな感じが、天満だぜ・・を表現している。楽しかった写真はフェースブックに乗せてある。
11時半くらいに子供達と別れた。
そこから月に一回のリゾートへ行くことにした。
同居している両親が二人とも痴呆が進んでいるが、絶対に誰かがいなくてはという状態ではないだけまだ救いである。そして四六時中顔をあわせていると、なんやかんやで、言わなならんことも、文句の注意もかなりきつい言い方になっている私がいている。
年老いた両親も、昔は出来たことも今ではすっかり出来なくなっている。特に火の回りに注意なんかは、際たるものである。実の親子であるが故に、かなりきつい言葉で注意を促すのだが、痴呆とはそれで簡単に直るものでなく、ただ年寄った両親から自信を失わせ、不安を与えるだけになっているのも、ようよう判るのだが・・・ついきつく言ってしまう。
だから食事時とか、休みの日は私が家に帰らないようにして、緩和状態をつくろうとしているのだ。

そのリゾートには、歩いてついた。
フロントで予約なしに入れるのもセレブたるゆえんである。
ロッカーで着替えて、くつろいだスタイルで、アポロが月に向かったようにカプセルに搭乗する。
本日のカプセルは上段である。これが多少乗り込むのに手間がかかるし、一度搭乗したらめったなことでは出られないというか、出る気がしないくらい出るのにはコツがいる。
アポロのカプセルの中は、大人一人がなんとか横になり寝れるくらいのスペースであり、空調も効いていて案外快適である。テレビやラジオも装備してあり、テレビなどはアダルトチャンネルが無料で見れる。さすがに前日から寝ていないので、アポロカプセルに入るやいなや現世との交信をたち、照明も落とし、だだ宇宙へのしばしの旅たちに心を踊らせるのだ。
3分あれば・・完全に大気圏を超え闇黒の宇宙空間でミロクの世界をただよう。
かって私はこのミロクの世界を味わいすぎたのか、完全に意識不明モードでこのカプセルから出られなくなり2泊分を払ったこともある。

ここは・・ウダツノ上がらない男の駆け込み寺であると、成功を収めた人は思うであろう。
ふかふかベットと冷たい水、窓から差し込む日差し・・・そんなものはここにはない。

                      



カプセルに入り深い眠りが、尿意でさめた時・・・宇宙服の帯を田舎の童のように結びトイレに向かう。
ここが一番の危険な箇所である。特殊な訓練を受けたレンジーくらいしか上段にあるカプセルから、体の痛みをとも会わない離室は、無理なぐらい危険である。慎重に慎重を重ね降りていく。
そして・・・トイレを済ませ、そのまま浴室ゾーンに行き、まだ目覚めをしない頭を熱い湯船が覚醒させる。ここが白浜、有馬、別府・・・何処でもない。大阪中崎町なのだ。
このリゾートには連れもって来る人は少ない。皆ロンリーチャップリンなのであるから、会話らしい会話が聞こえてこない。静かに時間は過ぎる。そしてその顔には疲れや諦め、妬みなどがかすかに薄らいでいく様が伺える。もっとましなところで一泊したかった?と聞いてみたらなんて答えるだろうか?アポロカプセルに自分を放り込むその度胸はいったい何処から湧いてくるのか?など質問してみたい気がする。そして誰もが覚醒した頭で新聞に目を通す。黙々と阪神の記事を読むもの、朝からエロ雑誌に目を落とし、男の本能を呼び覚ますものも数人いる。そこでは、つかみ取れない何かを・・諦めたのか、まだもう一度チャレンジを挑むのかをじっと瞑想しているような光景がある。
それは・・・一度出たアポロカプセルに誰ももう戻ろうとしないことに繋がっているのかもしれない。
このリゾートは、最低でも3000円がかかる。これをまだ通えるだけ世の中にしがみ付けているのだと思う。500円の朝食は、値段の割りにちゃちいのでほとんどがパスする。無料のコーヒを頂き、
英気を充足した気分になりそれぞれ帰っていく。

アポロカプセルの中で私はミロクと会う。吸い込まれるように暗闇に同一化する。
何も考えることもなしに、ただ7時間ほど、宇宙空間をリゾートする。
そこらか見えた地球は、凹むほどつらい場所ではないように思えた。


ありがとう・・・娘よ、息子よディープワイルドB級グルメに付き合ってくれて・・

 

 

 


 


深夜バイトの金環日食どたばた狂想曲はハートウオーム。  5/108

2012年05月21日 | 自分的エッセー

今日も深夜バイトだった。毎日毎日おんなじことを繰り返す日々である。
それでも、季節が変ったり、祝日などのカレンダーの旗日などで、微妙な時の動きを感じる時がある。箱の中にいる私たちは年がら年中同じ事を繰り返しているのに、ありがたいことにその微妙な変化が、私のささやかなモチベーションになっている。

本日は、日本全国で日食フィバーが起こったはずだ。また日食の時間帯が深夜バイトの終わり際ということで、ほんのちょっとだけ冷蔵庫の端で話題になっていた。
6時50分ころから、配達の運転手さんも荷物を取りに来て、やれやれの雰囲気も流れ、6時に上がる主婦のパートさんも帰っていき職場は、ベテランレギラー陣で後片付けに入ろうとしていた。
数人のパートさんが「もうすぐ始まるで・・・・」と言う。
駐車場から上ってきた運転手さんも、「ちょっとづつ太陽が欠けてきてるで・・・」と一報を入れてくれる。
職場には窓があるのだが、深夜からの夜間飛行の為、朝の景色を感じると急に眠たくなったり、疲れがドットでてくるので、深夜バイトドラキュラ達ちのために、スクリーンで陽が入って来づらくしてある。
「誰か・・・日食ようのめがね持ってきた?・・」とたずねる。
ある人は、「買ったけど忘れてきたわ・・」と間抜けな返事。
「ローソンに行ったらまだ売ってるかも・・」とか
「直接見たら目がつぶれるは・・」とか・・ 気合はまったく入っていない様子である。
それでもスクリーンを開けてると窓のやや上にはなにやら、もぞもぞしている太陽が雲と一緒にみえる。「誰もネガネもってへんのか・・」と再度聞くが、誰もそんな準備などしていない。
しかし・・・そこからが狂騒の始まりである。朝のテンションの高は一般の方とは雲泥の差がある、市場野郎達だ。
まずは黒いゴミのビニールを切って窓にはった。
太陽に目は向けれるけど、輪郭というかデティールがはっきりしない。
それでも何人かのパートさんはその場で金環を探している。
次に、めがねに黒マジックを塗った秘密兵器が持ち込まれた。
塗りが薄く太陽が目に痛いということになった。
それでもなじみのパートさん達は回し掛けをして世紀の天体ショーを見ようと必死になった。
いよいよ作業中断になった。
日食を見るというより、そこらへんにある物でボケることに注目が移った。
玉ねぎの薄皮で挑む者や、ペットボトルにコヒーをいれてそれを底から見る者も現れて、一時は物ボケ合戦になった。
そこに救世子が現れた。配送のおじさんである。おもむろにやってきて、静かに日食用のメガネを出した。
「すごいやん・・・●●さん」と美辞賛辞のあめあられに包まれる。普段目立たない人だけにその時の人気はスマップばりである。おばさん?パートレディーの黄色い声と共に、そのメガネはたちまち
パートさん達の手に渡り、西の空に輝く太陽の天体ショーを見ることに拉致された。
そこに・・・この職場のキャプテンであり、冷蔵庫の主の大御所が登場した。
私がここまで深夜バイトを続けているのも、このご婦人を尊敬しているからである。
口はそこそこ辛口であるが、本当によく働くのである。かってこれほどは見たことがないのである。
そのキャプテンが、それを取りあげて太陽を見た。
「ほに・・:・¥:;@」
「環になった・・」と感激をもらしたいなや、「3階の子らにも見せたらなあかん・・」といってそれをもって階段を駆け上がっていった。
そして3階のメンバーと共に戻ってくるなり・・その場で仕切り始めた。
「はい・・●原さん、次美●ちゃん、瑠●さんはまだやろ・・はよ見や・・」
「小●さん見たか?はよ・・・おいで、北やん(私のこと)まだやろ・・見てみ・・」
「ちょっと北やんにも見せたって・・」と強引な仕切りが続く。
そして、「まだ・・見てない人・・」と言って声を張る。
そのへんからこそこそと話し声と共に笑い声が聞こえる。
肝心のそメガネの持ち主さんがまだ一回も金環をみていないのである。
そして屈託ないホホ・・という笑い声と共にメガネが持ち主に返された。
そして・・女性陣が内合わせもなくその運転手さんを褒める褒める・・一幕があった。
金環日食と共に来たモテキは・・・日食の終わりと共に去って行ったのは言うまでもない。

私は今日そこに現場のリーダーの姿をみた。
まずは・・皆に見せてあげたい、一人だけ、何人だけが見たのではなく皆が公平にその機会を与えようとする姿勢に感動をした。特に女性のそれもかなり人生のベテランの女性の多い職場では、この接し方で大きなトラブルになるかもしれないからだろう。
そして・・大きな声で「見たか?見たか?はよ・・おいで・」と声かける姿は、暖かい人やな・と改めて思った。かってこんなおばちゃんは何処の町内にもいたんだろう。でもカッコ悪いや、めんどくさいやなどで、そんな心意気のおばちゃんがいなくなって久しい。
私はメガネから見える金環日食よりも、「あんたも見とき・・見ときや・・」と声を張って、メガネを采配している姿に、心が暖かくなった。ハートウオーム現象だ。
あこまでは出来へんな・・今の俺には・・・と一人呟きながら、ありがとうと言ってめがね返した。
「おせっかい・・・!」と言われたり思われたりすることなんか、まったく眼中にない。
ただ・・・皆に見せてあげたいと言う気持ちがビシビシ伝わる。
この判り易いのがいいのだ。


ほんの数秒の日食メガネで、金環を見ただけであるが、完全に私の脳内カメラのシャッターは切られていた。あれから12時間たっても残像が残っている。
偉大なる太陽と、改めて思わずにはいられない。



フィラジャージと原口君と2対2のデート 4/108

2012年05月17日 | 自分的エッセー

深夜バイトのおかげで、体のサイズが引き締まった。特にお腹から腰、腿にかけては本当に細くなった。巷では、お金を払ってダイエットやウエイトコントロールをしている方が多いなか、お金をもらって自然にダイエットできるとは、本当にありがたい限りである。
その甲斐あって結構きつめの服を着ることが出来る。また古着屋さんで気に入ったものが丁度いい具合にフィットするようになった。そうなったら、着ることが楽しくなってくる。着ることが楽しくなれば、どこかに出かけたくなる・・・そうゆう春から夏にかけての茶摘時期である。

今から、33年前になる。大学生だった私もごたぶんにもれずシティーボーイを志していた。
サーフィンがは流行、サーファーが南の街をロングヘアーに黒い顔をして歩いていた。
私もごたぶんにもれず、シテイーサファーであり、それもバリバリであった。知識とローカル情報はコミットしていて、たまに「今日はええ波がくるは・・・」と気圧図をみながら、能書きをたれていた。
先輩の紹介で、T山学院の同い年の女学生との紹介があった。その時は3対3の百番居酒屋コンパだった。私と原口君は、その中の女子とラブカップルが成功して、次回も逢うことを約束した。
次回は夕方からの2対2のデートあり、当然車対応の、お家まで送りがついているコースを計画した。
その頃、また違う先輩が着ていた、おしゃれなジャージがあった。フィラのボルグモデルのジャージである。

                   

まだメンズクラブやチャックメイトくらいしかないファッション雑誌も見るはずもなく、ただ友達や、先輩の真似をして流行を取り入れていた。それら、これらが無茶無茶カッコよかったのだ!!!!
テニスのボルグ選手も長髪でバンダナというスタイルで、プレーもすごく強かったせいもあったが、私はこの色使いと、永遠の憧れ「Fのワンポイント」がたまらなかった。
これが欲しくて・・・そして今度のデートではこれを着ている自分の姿を想像して、原口君と買いにいくことにしたのだ。その当時は、高島屋にしか置いてなかった気がする。とにかく、原口君とデート前に高島屋に行き、フィラのジャージを買ったのだ。原口君はこの紺ベースを色違いで買ったのだ。
今でこそダサいかもしれないが、男二人のフィラジャージお揃え南闊歩は、その当時では恥ずかしさの微塵もなく、「どや・・」「どや・・」「フィラやで・・」と颯爽と歩けたものである。

そこで事件は起きた。
高島屋で買ったあと、すぐに着たい衝動を抑えれず・・二人は手に紙袋を持ち、着替えたその時、
今から会うはずのT山学院の女の子二人が、目の前に現れたのだ。
偶然にも、高島屋をぶらぶらしていて、私らのフィラペアーズの誕生を目撃されたのだ。
どちらが気が付いたともなしに、「あ・・・あ・・・」「何してんの・・」と冷たい汗が流れた気がした。
向こうも・・「う・・・う・・」と笑いながら唖然とした風にその場で半固まりしている様子だった。
こうなれば・・もうごまかす訳にいかない。
「二人でこれ買ったんや・・」と正直に言う。それでも恥ずかしいが、「俺らフィラペアーズ・・」です。と居直り半分テレ半分で、まるで漫才をするような衣装のごとく説明を笑いに変えた。
「まだ待ち合わせの時間も早いので・・・」一旦その場から合流せず、改めて待ち合わせの場所で会うことにして、4人は高島屋をでた。
「ネタばれ・・」してしまった私と原口君。
本当は前からこのフィラジャージを持っていることにして、フィラペアーズで笑いを取りまくろうと思っていたところ、「今日仕込んだ物・・」ということがバレテしまったからには、潔く田舎者になって念願の服を変えた喜びを伝えようと言う雰囲気で方針は決定した。

それから原口君はその彼女と3年くらい付き合った。
私は・・・・しょうむない事をして3ヶ月くらいで終わってしまった。
昔あった・・笠屋町のスピークイィジーのチークタイムのブラックライトは、このフィラジャージについている埃をを強烈に浮かびあがせることが今でも印象にある。
このフィラジャージとは本当に色んなところに行ったものだ。
長野のスキー場ではフィラの洋ちゃんとも呼ばれていた。
それから・・・次次と新作が出てきた。周りも多く着だしたしたころ、このフィラジャージもなくしたのか、捨ててのかわからないまま着なくなったし、興味もなくなった。

50歳をすぎた今・・・・
古着であるが、もう一度来て見ようと思う。原口君の紺バージョンも是非用意しようと思う。
そして・・・周防町の英国屋で待ちあせるのだ。
原口君・・やってくれないかな・・・

 


とにかく生きてみるvs母と京都に帰るvs見てみたかったその姿  3/108

2012年05月08日 | 自分的エッセー

このゴールデンウイーク中に母の姉の主人が亡くなった。 私も母も血のつながりはなく、私は幼頃から、親戚の集まりなどではたまに顔をあわせては声をかけてくれるいいおじさんでした。
私の母も痴呆に入り、徘徊こそしなものの、今言ったことはすぐに忘れるし、日にちの確認は一日に何回もしなければならない。先日も近所で迷子になり、電話番号は覚えていて、知らない家か電話がかかり、「お宅のお母さん道に迷ったみたいで・・・送っ行きます」と親切に、母を送っていただいた。そんなことで、私は母に・・「桂のおっちゃん亡くなったそうやで・・」と告げた。
一瞬何のことか判らなかったみたいで・「へぇー」と言ってそのままなんかしていると、「誰が亡くなったん?・・」と聞いてくる。三回くらい同じ事を繰り返したのち、「通夜とお葬式・・どうすると?・・」とたずねると、「こんな状態やから・・行くのはやめておくは・・」と言う。私はそれを真に受けて、一人で通夜と葬式に参列する旨を親戚に告げた。
しばらくして二階で洋服ダンスを開けたり閉めたりする様子があった。
そして・・・今からすぐにでもいける用にと、喪服を鞄にいれて居間に降りてきた。
「通夜と葬式・・行くのか?」と再度聞くと、「そら私の実の姉のご主人やから・・いかなあかん・・」と言う。
判ったと・・返事をして明日の夜から一泊しなければならないことをゆっくりと言い含めた。
母の実家に泊めてもらうことは出来るが、京都までいくのに誰か付いていかなければならないので、私が母と一緒に行くことにした。私は深夜バイトがあり、通夜が終わって深夜バイトに行き、翌日の葬式に出るためと、母を迎いに行く為に次の日に、また京都に行けばいいのである。

母と電車に乗るのは本当にひさぶりである。
2年前に大腸癌の手術をしてからは体重が戻らなく、やせたままここまで来ている。
母は、ビニールの鞄に喪服を入れ、手には何時も銀行や役所に行く時にもつ、見るからに偽物のLVのパッチもんのバックを下げていた。手には指輪の一つもない。年配のおばさんたちが葬式の時にするような真珠のネックレスもない。黒い低いパンプスに、派手なプリントの水色の靴下が、子供ぽく印象的だった。ゆっくりと景色を見ながらの電車からの風景・・・かってこの路線を何回も乗っていた母の脳裏には何が映っていたのだろうか・・
通夜も終り・・とりあえず親族が集まり、葬祭会館での食事になった。
見る人見る人に・・「ちょと忘れぽなったから・・誰どした・・と聞きながら」
「ああああ・・・テルちゃん・」 テに発音が集中し、ルが下がる上賀茂なまりで話している。
故人も82歳での逝去であり・・悲しさの中にもどことなく朗らかさがある食事会になった。
母も喪主の姉の横に座らせてもらい・・・昔話しに笑いながら・・楽しいひと時を送っているように見えた。
桂のおじさん・・・こんな時にしかもう顔をあわせることが出来なったことが寂しく思います。
祭壇のお花や、参列者の方々を見ていると生前、本当に立派にまじめに生きてこられたのだろう・・と思いました。実は3年ほど前に母が入院した時、おじさんが黙ってお金を母に渡してくれました。
私はそのお礼も出来ずにいました。
・・また母の毎日の平凡な生活に、このようにアクセントをつけていただいた、このお葬式も、母には久々の自分のルーツの確認と、あの頃の昔話に夢中になれたことで気持ちが癒された思います。、
おじさんの葬式でこんなことを思うのも申し訳ないのですが、亡くなっても周りの人に気を使うその気遣いに・・改めてありがとうございますと心から手をあわせます。

亡くなったおじさんは、京都の市電の運転手でした。小さいころからそれは印象ににあります。
でも・・私も周りの従兄弟も(家族の方は別として)その市電の運転中の姿は見ることが出来ませんでした。というよりそのお姿を目に焼き付けることが出来ませんでした。
もし・・幼い私がその姿を運転席の後ろから見つけたら・・・感激していたことでしょう。
市電が通過するたびに・「おっちゃんおれへんかな?・・」と一人探したことを霊前に報告します。
市電が廃止され、バスのほうに移った時にはもう・・・私も生意気な人間になってましたので、それ以上の思いはありませんが、京都市交通局を定年まで勤められたことに本当に尊敬をいたします。


深夜バイトを終え、母を迎えに行きました。
上賀茂の実家で一晩過ごした母は、もう代替わりのしたその家で唯一、あの頃のことを知っている、おばさんといつまでも、半分かみ合わない話をしながら・・・笑っていました。
家や店が沢山建って、すっかり変ったけど、玄関をでて、北側の大田神社の後ろの山は・・・
「変らんへんわ・・」と言っていました。
そして・・・喪服を入れた安物のビニールの鞄と超安物のバックを持って歩きはじめました。
後ろ姿は、もうすでに亡くなった母の長兄の歩き方にそっくりでした。

「また・・おいでや・・」と上賀茂の里の方の優しい声に、50年ほど前にここから嫁いだ日のことが
薄っすらと賀茂の風と共に、母の思い出としてよみがえるのでしょうか?
それとも、黒いパンプスに水色の靴下が・・・ 戸田家7人兄弟の末っ子、で、おてんばだった少女に一瞬
戻れたのでしょうか?






たこ焼き屋で、焼きあがるたこ焼きを険しい顔で待つ青年に向けて! 2/108

2012年05月04日 | 自分的エッセー

近所のたこ焼き屋さんの前を、自転車で通りかかった。
高校生1年くらいの男子が、たこ焼き屋の前で立っていた。制服のだぶだぶ感から、多分今春入学したてであることが予測された。
たこ焼き屋で、営業中にその焼き台の前で待つということは、明らかに、たこ焼きを買うということだろうと思う。
たこ焼きを食べる・・・というシュチュエーションは、まずは友達同士でワイワイがやがや的に学校の近所のたこ焼き屋に群がって皆でほおばることもだし、
または、観光地や出かけ先でちょっと小腹を満たすのに、家族や仲間などと一二個つまむようなこともあるだろ。
しかしそれは、まったく孤独感のない状況でのたこ焼きの買い食いである。
ところが、自分の自宅でたこ焼きが食べたくなったら・・・・
おかんに買ってきてもらう? 妹に小遣いをちょっとやって買いに走らせる?
当然出前なんかないから、結局は自分で買いに行かなければならないのだ。
それが、自宅でたこ焼きを食べるということなのだ。車や自転車で行っても、必ずたこ焼きの焼き台に向かって数分は待たなくてはいけないのだ。それがローカルたこ焼きの買い物というものだ。
小さなころななら、お金を握り締めて、焼かれるたこ焼きを見つめながら、「おいしそう」とか「何個食べれるやろーー」とかを考えながら今か今かと、必死の思いで焼きあがっていくたこ焼きを見つめていたものだ。そこに近所の友達が通りかかっても、自信満々に「たこ焼き買ってねん・・」と言う強い態度でいることが出来た。それは純真な心からと、たこ焼きに対する尊敬の念があった。
そして、なによりそこには笑顔が一杯だった。

その高校一年生君は、たこ焼き屋の前で、一人で、焼き台をはすかいに見ながら、苦虫を噛み潰したような顔で立っていた。渋い顔でたこ焼きの出来上がりを待っているその君の気持ちはようようわかるような気がした。
「もし・・同級生に見られた・・」「それも人のことをペらぺら言いふらような奴に・・・見られたら」
「あいつ昨日・・一人でたこ焼きやの前でたこ焼き焼けるの待とたで・・・」2時間目にはクラス中に知れ渡るだろう・・ 「あだなはたこ焼きになるのだろうか・・・」などを多分考えていたのだろう。
だから、せめてその待つ態度だけでも、世の中をすねた白けた風でなければ言い訳がつかないのだったのだろうか。
人は一人でたこ焼きを買うことが恥ずかしくなるのはいつごろで、反対にそれも超越して俄然と愉快になるの何歳くらいなんだろうか?
また達観したら・・たこ焼きが焼ける間も笑顔でいられるのか?

大人の男の世界に風俗店がある。
高級なソープや派遣型店舗などでは、それはお客様同士、顔を合わさないような心配りがなされているが、安物の風俗店で、それもマニア型のデブ専門、超熟女店、お尻開発店舗などでは、決してそのような待合が施されていない。
また無理やり待合所として造られているため、歯医者の待合室と変らないくらい顔がさす。
「俺は今日は・・・・取材で来たから・・仕事やねんこれも・・」的な顔で待っている。
当然仕事だから・・厳しい表情はしていていいのであるが?
隣の男性は・・照れ隠しをしきりにその店の従業員に話しかけている。
「前は・・誰々を指名して・・サービスはままやな!!」と常連客を装おって見せる。
七三公務員風の男は・いかにも税務調査マルサにきてますよ・・的なしぐさに、親の葬式のように厳しい、つらい表情で待っている。
また、せっかくの待合室におかれたエロ本も、逆に避けられているみたいで、表紙もおれていない。

人は一人でこのような見られてはいけないところに来た場合は、恥ずかしさと、照れくささと、後ろめたさで、苦虫をかみつびした厳しい表情になるもんなのだ。
それは、連れなしで一人でいることが大きな条件となる。一人でいる時こそ本当の自分が出る。
せかっくこれから楽しい事をするのだから、もっと嬉しい顔でいれなものなのか・・とつくづく思う。
また、そんな場所で知り合いとでも逢おうものなら、「ばれました・・・私も●●プレーが大好きですから」とあっさりカミングアウトしたらいいものを、また言い訳を探して、舌がもつれ・・・・
「インターネットの抽選で当たりまして・・」なんて言う嘘をつく。ばればれである。
北村さん・・うれしそうな顔してますね!! ニコニコですやんと言われるような男になりたい。
「そうやろー ゴルフ、酒・・はやめれてもこれはやめれませんわ・・」とハハァハハァと笑い飛ばしたい。朗らかに生きていきたい。そこに魅力があるし、私の目指してる生きたなのだ。プライドを捨てるのではない、ただどんな時も笑顔をかもし出せるようになりたい。
笑顔が人生を変える最大のギャーであると人には話したりしているのに、自分はできない。
それではせっかくの運も楽しみもこの手から離れていく。

たこ焼き屋の前で苦虫を噛み潰して、焼けるのを待っていた高校生君。
その姿ははるか昔の私の姿だったのだ。